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1 ダーケスト工房
「嫁の奴、オラの顔見るたんびに文句言いやがる!」
若い農夫はさして広くもない工房をウロウロと落ち着きなく歩き回り、イラつきを振り撒いていた。
ひのきの香りが漂う家に明かりはなく、小さな窓から差し込む日射しだけが唯一の明かりだった。
「こちとら仕事で疲れてんだから、風呂入って晩酌でもしてぇのによぉ。グチグチうるせぇのなんの」
農夫は薄暗い室内を見回しては目につく物全てが勘に触るのか「チッチッチッ……」と世話しなく舌打ちしている。
「寝てる時のイビキもうるせぇしで、文句を言ったら切りがねぇ。もうすぐ子供が産まれるってのに、夫婦仲は氷河の山みたいに冷えきってるよ」
一通り見回すと彼は作業中のこちらへ、視線を移し凝視しながら舌打ちを繰り返す。
面が広い皮のベルトに黒いモヤのかかった石を擦りつける作業は、剃刀で頬から顎にかけて髭を削ぎ落とす物音に似ている。
ベルトは角度をつけ坂道のように傾け、その斜面に黒い石を上から下へ滑らせるように擦り、下まで辿りついたら再び上へ持って行き、下まで滑らせる。
にしても、うるさい。
農夫の舌打ちが私の集中力を欠く。
「悪いが、静かにしてもらっていいかい?」
「ぁあ? アンタまでオラにケチつけんのか!? どいつもこいつもぉぉおおお!!」
農夫の怒りは家庭の話から、私へ向けられた。
若い男はサイか象のように床を鳴らし、ゴリラのような圧迫感で迫る。
丁度、その頃合いで作業が終わった。
黒い石はまとわり着いていたモヤが無くなり、表面の黒い層は被った砂が溢れ落ちるように剥がれた。
石の中から出てきたのは、薄暗い室内を燦々と照らす、光るダイヤモンドだ。
農夫は宝石を片手に持つ私の胸ぐらを掴み、獅子のような目付きで睨む。
そこへ――――私は白色の輝きを放つ宝石を農夫の胸に押し込む。
男の胸に吸い込まれる宝石は、自らの帰るべき場所を理解したのか、よりいっそう輝きを放ち取り込まれて行く。
鬼の形相を見せた農夫は、みるみると表情が穏やかになり、胸ぐらを掴んだ手を離すと、慈愛に満ちた僧侶のような顔つきに変わる。
自分の身に起きた不可思議を受け入れると、若い農夫は感謝を述べた。
「あ、ありがとう……なんだか、胸の中に溜まっていたモヤモヤが、スッキリしたよ」
「それは良かったな」
「オラ、家に帰ったら嫁に言うよ…………愛してるって」
「そーかい。じゃぁお代を」
こちらが手の平を見せると、若い農夫はポケットから銀貨を取り出し、私の手に乗せる。
すると、農夫はそのまま私の手を引っ掴み、両手で卵を包み込むように握り、つぶらな瞳で見つめて語る。
「な、なんだ!?」
「飯を食う前も嫁に愛してるって言う。風呂から上がったら愛してる。夜、寝る前にも嫁の顔を見ながら愛してる。嫁のイビキで目が覚めて、寝顔を見た時にも愛してる。朝起きた時、嫁よりも先に言うんだ……愛してるって」
「わかったから手を離してくれないか? まるで、私へ愛を囁いているみたいだろ」
「勿論、アンタのことも……」
農夫は声を潜め、震える唇で息を多めに吐きながら、静かに言った。
(アイシテル)
「いいから帰れ!! キモチわるい」
農夫は愛しの妻が待ち遠しいのか、狭い部屋を駆け足で扉に向ける。
彼は扉へ辿り着くと振り向き聞いた。
「魚人……職人さんの名前を聞いてなかったな。何て名前なんだい?」
「ダーケストだ」
「ダーケストさんか、アンタにピッタリの名前だ。この……暗い部屋とか」
農夫は空気をかき混ぜるように腕を回し、私の陰険な室内を指した。
私は適当にあしらう。
「そりゃ、どうも」
我が家が待ち遠し農夫は、勢いよくドアを開け、出て行った。
アンタにピッタリの名前か……。
闇よりもさらに深い暗闇を意味するダーケスト。
この工房も居心地が良いはずだ。
出来る限り明かりを拒んだ工房は、作業場というより洞窟だ。
というより、入り口の看板に【暗闇の工房】と書いてあっただろ?
まぁ、文字が読めないのだろうが……。
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