夏の盛り

2/2
前へ
/15ページ
次へ
 潮たちが卒業した高校は、開学から百年近い歴史を誇る女子校だったが、近年は女子校人気の低下や、少子化による志願者数の減少が問題となっていた。校舎の老朽化も深刻になり、学校の生き残りをかけて、交通の便がいいエリアへの移転が決まったという。  新校舎への移転は今年の春に済んでいて、元の校舎は空の状態だ。修復工事の費用が捻出できず、今後の維持計画の目処も立たなかったため、秋以降取り壊し工事が行われることになったらしい。 「既読、つきましたか?」  電車から降りた潮は、スマートフォンの画面をつける。今朝、東京を出るときに玲に送ったメッセージは、昼になっても読まれた形跡がない。潮が首を横に振ると、咲月はあたりを見回して言った。 「こんなに静かでしたっけ、この駅」  東京駅から新幹線で軽井沢駅まで向かい、在来線に乗り換えてさらに数駅。卒業以来ぶりに来た高校の最寄り駅には、潮と咲月以外誰も降りなかった。抜けるような青空には太陽が高く上り、ホームのすぐそばに広がる雑木林が青々と輝いている。  二人は木造の駅舎へと歩き、切符を箱に入れて無人改札を抜けた。外に出て駅を振り返ると、色褪せた駅の看板が日差しに照らされ、時間の経過が余計に色濃く感じられた。  高校時代の同級生とは交流がなかったので、移転することも、あの校舎が取り壊されることも知らなかった。路線バスに揺られ、延々と続く木立の影を眺めながら、潮はため息をついた。行ったところで、玲が本当にいるのか定かではない。空振りで終わる可能性だってある。そんな確証もない旅路に咲月を付き合わせていいのか迷ったが、「取り壊される前に見ておきたい」とかえって背中を押されてしまった。  もし玲がいたとして、一体何を話せばいいのだろう。彼女が今どういう精神状態なのかわからないし、特に心配するようなこともなかったと思うのかもしれない。先の展開がこんなに想像できないのは、それこそあの夏休み以来だった。  二十分ほどバスに乗り、最寄りのバス停で降りる。さらに十分ほど歩いて、ようやく校舎が見えて来た。 「わぁ、久しぶり……!」  声を上げた咲月につられて、潮も息を呑む。正門からけやき並木が続き、奥の方に桜色の本校舎が見えている。久しぶりに見た校舎は、記憶の中にある風景そのままだった。  二人は正門横の守衛室を覗いたが、特に誰もいなかった。通用門の鍵も開いていて、構内にすんなりと入れてしまった。 「いいんでしょうか? 前はもっと厳しかった気がしますけど」 「まあ、もう誰もいないから。盗られて困るようなものもないだろうし」  二人は本校舎を通り過ぎ、敷地の奥へと進んでいく。玲がいるなら翠玉館だろう、と潮は踏んでいた。木立を抜けると宣教師館とチャペルが現れる。チャペルの扉を伝う蔦は勢いを増していて、放っておいたら全てを飲み込んでしまいそうだった。潮は試しに扉を押してみたものの、こちらは鍵がかかっていた。  翠玉館も案の定、鍵がかかっていた。二人で周囲を回ってみたが、窓から垣間見えた中はがらんとしていて、談話室にあったアンティークの家具なども既になくなっていた。入口の上部にはめ込まれたエメラルドグリーンのガラスは、今はちょうど影になり、鈍い色に沈んでいる。輝きのないステンドグラスを見上げて、潮は踵を返した。 「玲さんの台本って、きっとみどりさんのことを書くんですよね。翠玉生だけの秘密、って掟がありましたけど」 「その掟、いつまで守らないといけなかったんだろうね。もう翠玉館もなくなるのに」  玲があの夏を台本にしようと思ったのは、校舎の取り壊しが決まったせいだったのだろうか。動機としては納得できるが、潮はまだ違和感があった。咲月には電話までかけたのに、潮には最初のメッセージ以降何もなかった。あの夏を一緒に過ごしたのは潮も変わらないのに、この差は一体なんだろうと疑問を抱いていた。  本校舎まで戻った二人は、あっさり開いた扉を前に顔を見合わせる。四人で動画を見た講堂に向かうと、明らかに人の気配があった。意を決して中を覗くと、古びた木の椅子が四つ横並びで置いてあり、舞台上に制服姿の玲が立っていた。 「玲……」  四年ぶりに会ったはずなのに、玲は高校三年生の時から何も変わっていなかった。ショートカットの髪、すらっと伸びた手足、どこか危うさのある中性的な顔立ち――あの夏まで引き戻されたような感覚に潮が戸惑っていると、舞台上の玲は手に持っていた台本を下ろし、途方に暮れたように微笑んだ。 「あの夏の結末が、いつになっても見えないんだ」  一緒に見てくれる? と言って、玲はたった一人、未完成の台本を演じ始めた。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加