夏の雨

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夏の雨

 玲から高校時代の動画について連絡が来た後、しばらくして梅雨になった。  空は分厚い雲に覆われ、連日雨が降っていた。例年より早い梅雨入りで、いつまでこの雨が続くのだろうと思っていた矢先、今度は咲月から連絡があった。相談があるという話だったので、授業終わりに吉祥寺駅で待ち合わせ、咲月が選んだ井の頭公園沿いのカフェで直接話をすることになった。 「久しぶりだね。咲月と最後に会ったのって、去年の学祭に来てくれた時?」  卒業後、潮は咲月と何度か会っていた。SNSで学祭や個展の案内をすると、咲月がたまに見に来たのだ。とはいえ、それ以外に会う機会はなく、二人だけで約束したのは咲月の入学祝い以来だった。咲月は国立の女子大に進学し、ピアノサークルの練習で忙しくしているらしい。 「そうです。去年はすみませんでした、私が全然時間なくて」  ストライプ柄のブラウスに、淡いベージュのマーメイドスカート。肩先で切り揃えられていた髪は少し伸びて、セミロングに近い長さになっている。カフェラテを飲む咲月を眺めながら、ふと「大人になったな」と思う。一歳しか違わないのに何を考えているのだろうと、潮は首を横に振った。 「気にしないで。元気にしてた?」 「はい。潮さんは」 「私も……まあまあかな。就活でちょっと忙しかったけど」 「予定、大丈夫でしたか? 今日、私服だなと思って」  潮は、紺のシャツにジーンズを合わせたラフな格好だった。予定を合わせる時、咲月は潮の就活を気にしていたので、リクルートスーツで来ると思われていたのだろう。袖をまくろうとしてペンキに気づき、潮は小さく肩をすくめた。 「実習用の作業着なんだよね。せっかくカフェに来るなら、着替えてくればよかったな」  アンティークのテーブルと椅子が並ぶ、静かなカフェだった。窓際の席からは公園がよく見えて、木立が雨に濡れて輝いていた。木々は新緑の頃を過ぎ、葉の色が深くなりはじめている。どこか既視感のある景色だと思いつつ、潮は淡々と言った。 「内定も一応もらったの。どうするか、まだ迷ってるんだけど」  アイスティーのストローに口をつける。迷っているとは言ったものの、気持ちは既に進学に傾いている。久しぶりに夏休みのことを思い出した潮は、高校三年生の自分が出した答えに疑問を抱きはじめていた。あの時、本当に形にしたかったものは、椅子そのものではなかったのかもしれないと思ったのだ。  結露した水滴が、グラスの表面をつたっていく。ペーパーコースターにグラスを置き、潮は顔を上げた。 「それで、咲月の相談って?」 「玲さんから、連絡があったんです」 「台本の題材にしたいって話? 私も連絡きたよ」 「潮さんも、電話かかってきましたか」 「えっ?」  潮に電話はなかった。玲からメッセージが来た後、当たり障りのないやりとりをして終わっていた。 「玲と、何か話したの?」 「夏休みの思い出話というか、あの時のことを色々聞かれたんです。でも、玲さんの反応が変だった気がして。私の返事で気分を悪くしたなら、もう一度私から連絡した方がいいかなって悩んでたんです。潮さんなら、玲さんから何か聞いてるかもと思って」 「私は、何も聞いてない。卒業以来会ってないし」 「一度もですか?」  目を軽く見開いた咲月に、潮は頷いた。咲月の入学祝いの時、玲にも連絡はしたのだ。しかし「稽古がある」と言われて結局都合が合わず、その後もサークルの公演で忙しそうだったので、潮から声をかけることはなかった。 「潮さん、覚えてますか。最後の日、玲さんが皆で海に行こうって言ったの」  覚えてるよ、と潮は答えた。大学に入ってから、高校時代のことなんて振り返らなかったのに、いざ思い出してみれば記憶は鮮明だった。玲たちと講堂で過ごした夜、この約束は実現しないだろうと思ったことも、潮はよく覚えていた。 「あの時、みどりさんがどんな反応をしていたか、聞かれたんです」 「……みどり?」 「動画、撮ってなかったみたいで。映像に残ってないって言われて」  確かに、玲はわざわざ録画を切りに行っていた。あの一連の流れを、潮は玲の配慮だと捉えていたが、それなら何故今になって蒸し返そうとしているのだろう。台本の題材にするのは、あくまで動画に映っている範囲の出来事だと思っていた。 「咲月は、玲に何を話したの?」 「それは……」  ザーッと雨音が大きくなる。さっきより雨脚が強まったのか、木々が雨風に吹かれて揺れていた。雨の雫が木々を濡らし、青葉が色濃くなっている。翠雨、と呟いた潮は、この景色に既視感がある理由に気づいた。翠玉館から通り雨を眺めた時と、同じ色だった。 「今だから、やっと話せるんですけど」  咲月の小さな声に、潮は視線を戻す。俯いたまま黙っていた咲月は、おずおずと顔を上げ、意を決したように話し始めた。 「私は、みどりさんのことを気味が悪いと思っていたんです」
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