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「まあ今回は俺に請求してくれたらいいから、力になったってくれや」
「えっ、いいですよ所長。そんなに何もかも、悪いです」
そこまでいくと、自分がしていることは「子育てしたい」と駄々をこねてお膳立てを待っているだけになる。
あれ、実際と相違ないな。
「お前の何倍給料もらっとると思ってんねん。使い道もないから遠慮すんな」
顔だけでなく心まで男前な上司は、突き放すように言って軽く手を振った。
「でも――」
尚も言い募ろうとした伊玖を押し留めたのは、結城ではなく新山だった。
「結城くんがいいって言ってるんですし、いいんじゃないですか? 本気で子ども育てたいなら、お金かかりますよ。当座は育休扱いでなんとかなっても、先々見通したらここは頼ったほうがいいです。せっかく頼らせてくれてるんで、甘えていきましょう」
そうか、それもそのとおりだ。
昨日柳井に聞いたところ、夜泣きが安定するまで大体二、三か月ほど要するらしい。対して男性である小牧の育休は一年のはずだが、事務所の平均では二か月だ。一年を超過するなら休職扱いにしてくれるそうだが、給与はなくなる。かといって昨夜のような徹夜を続けて出勤できるかと問われれば、それは否だろう。
長くなりそうなら辞職扱いにして失業手当をもらうこともできるとは言われたが、伊玖はどちらがいいのか判断がつかない。長期で見据えるほど、現実味が薄くなることだけはたしかだ。
「……はい、ありがとうございます」
「まあ、返したいなら出世払いにしよか」
「はい、お願いします」
ただ施してもらうのは、どうにも性に合わない。
「うわ、結城くん相手に出世払いとか、勇者なの? 闇金のほうがまだマシだよね」
「仮にも弁護士がそれ言うな。自分とこの従業員に妙な真似はせんわ。小牧、こいつこんなんで心配になるやろうけど、腕だけは確かやから。腕だけは」
結城にそう言ってもらえる新山がうらやましいが、当の新山は不満そうだ。
「二回言わなくても良くない?」
「二回言わな良くないな。二回でも足りんくらいや」
「もう。まあ結城くんはともかく、精一杯尽力しますよ、小牧さん」
その言葉に、さすがは結城の後輩だと思った。軽口を叩いても、職務には忠実らしい。先日の柳井といい、わけがわからなくてもとりあえず協力しようとしてくれる姿勢に好感をもった。
警察へ捜索届けを出すことで一致して事務所をあとにする。結城所有のベンツの助手席へ厚かましくも乗り込むと、厚い黒革が全身を包みこんでくれた。強ばっていた全身から緊張が抜けてゆく。おかげで警察での聴取も滞りなく済んだ。
名前や生年月日を知っていたこともあり、妊産婦名簿から割り出せるらしい。本人の足取りは比較的簡単につかめるだろうとのことだった。そういえば昨日柳井も彼女側へ役所から連絡をしておくと言ってくれていた。今日も味方してくれた優しい世界に、ほっと胸を撫で下ろす。
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