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「じゃあ、迎えに行くで」 「はい、お願いします」  一日運転手扱いしているというのに、結城の顔に嫌悪の色はない。伊玖は思わず問うていた。 「あの、所長はどうしてここまでしてくれるんですか」  たしかに事務所は大きくないとはいえ、他にも弁理士はそれなりにいる。そして仕事は山積みにできるほどある。わざわざ厄介事を拾った伊玖にここまで善意を―― 「善意ちゃうで。単純に慣れとるからや。自分から厄介事に頭突っ込むやつはお前だけやない」  伊玖の心を読んだとしか思えないタイミングで、結城はタバコをくわえながら言った。火を点けるのは遠慮してくれているらしい。伊玖に対する配慮なら、不要なのだが。 「ちゃう。これから行くとこ、子ども生まれてからは禁煙してるんや。俺も会うときは禁煙させられとる」 「……そうなんですか」  だからなぜ、そうタイミング良く。読心術か。そうなのか。 「余計なこと考えんと、今日預かってもらった礼を三十秒以内に伝える方法を考えることやな」 「えっ、あ、そうだ、菓子折りとか」 「甘味は嫌いやし金はあるからそんなんはいい。必要なんは誠意……ほら、着いたで」  そう告げると結城は結局火を点けなかったタバコを灰皿に押し潰し、さっさと車を降りてしまった。慌てて伊玖も続く。  朝一で弁護士と会って警察に行き、もう夕方だった。一日赤ちゃんを預かってくれた相手に伝えるお礼……三十秒? 挨拶でほとんど終わる。短すぎる。せっかちなのか? 「リモートで仕事してるやつや。端的に済ませたほうがいいやろ」  なるほど。……って、え? 仕事している人に預けたのか。もっと暇な人というか、時間に融通の利く人に預けたのだと勝手に思っていた。 「忙しいけど、立場上ある程度は融通利く。わかったらはよ来い」 「はい!」  睨むような鋭い視線を浴びせられて背すじが伸びる。  忙しい人。立場のある人。結城の知人。もうそれだけで礼を三十秒にまとめることなどできそうになかったが、結城が来いと言うなら仕方がない。 (子どもがいるなら、穏やかな人かな)  一瞬でもそう楽観的に考えた伊玖が間違いだった。伊玖から見て相当癖の強い結城が禁煙させられている時点で、結城より癖のある人物なのは明らかだったのに。
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