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「柳井、訪問行ってこい」 「え、俺がですか?」  母子保健法第11条に基づく新生児訪問、もしくは児童福祉法第6条3第4項に基づく乳児家庭全戸訪問、通称赤ちゃん訪問は保健師が行う。いや、赤ちゃん訪問のほうは助産師や看護師、地域民生委員など保健師以外の場合もあるのだが、とにかくどちらも保健師の仕事のうちだ。だからそこに疑問はない。  ただ柳井律哉が驚いたのは、自分が男だからだ。  妊産婦のケアをする訪問事業。特に妊産婦の女性が一人で在宅しているところへ赴くことの多い訪問事業において、男が訪問することはほとんどない。余計なプレッシャーを与えてしまうし、疑念も生んでしまう。恐怖すら与えてしまいかねない。女性一人の家に夫以外の男があがる。不自然極まりない。ただでさえホルモンバランスの不安定な時期に。  だから律哉はこれまで訪問事業のメンバーからは外されていた。淡々と役所で業務をこなしてきた。それなのに、なぜ? 「男一人で赤ちゃん育てることになったって連絡。とりあえず行ってこい。聞き取りしないことには始まらない」 「まあそうですけど、ええ……。俺やったことありませんよ」 「知っている。でも下手に女性保健師を行かせて襲われでもしたら、それこそ洒落にならんだろう」 「俺は襲われてもいいんですか」 「お前を襲おうと思うのは、ヒグマかスズメバチくらいだ」 「暗に人間の恋愛対象外って言ってますよね、それ」 「人間として良い餌になりそうだ、とは言っている」 「ちゃんと食いついてくれるんですかね?」 「食いつかれるのがお前の仕事だろう」 「ですよねー」  めずらしい男性保健師同士、気のおけない仲を確立していたはずの鶴本係長にあっさりと捨てられ、律哉は溜め息をついた。平の宿命で逆らえない。定時であがれる地方公務員のメリットを散々享受してきたが、今ばかりは縦の強い行政が憎い。  周りの女性職員に訪問の際の道具を貸してもらい、聞き取りのポイントを指南してもらう暇さえ与えられず、貸与されている自転車に乗って指定の住所へ向かう。夏の陽射しがヘルメット越しの頭を焼いている気がした。 (つーか、男一人で赤ちゃん育てる「ことになった」ってなんだよ)  その疑問は、鶴本の言うとおり聞き取りで解消するしかない。  わかってはいるが、ゆうに五キロを超える荷物とともにスーツで自転車を漕ぐ未経験の重労働が太陽と協力して律哉の思考力を奪ってくる。 (事前に連絡くれてれば、もうちょいマシな対応できただろうになー)  額の汗がこぼれ落ちないよう天を仰いだ。抜けるような青がなんだか憎たらしかった。
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