無償の愛

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無償の愛

 皇太后の部屋の前には騎士が他の部屋と同じように立っていた。 「中へ取り次いでもらえるか?」 「しかし、このお時間では」    既に深夜と言って良い時間だった。  そんな問答をしていると、中なら声が掛かって入って来るように言われた。  その声は凛としていて、壊れたと言われる人の様な感じではなかった。 「皇太后様、こんな夜更けに申し訳ありません」 「よい、テオドアの件できたのであろう?」  初めて会う皇太后様は、穏やかで優しい微笑みを絶やさない人だった。  上品で慈愛に満ちた人、絶世の美女とかでは無いけど、とても六十を超えた人には見えない若々しさと美しさがあった。 「はい、執事長が色々と暴露してくれました。  両親にそのような事情があったことも知らず、非常に申し訳なく」 「ほっほっほ、何もラグランジュが申し訳なく思う事はない。  あれは私の年の離れた弟故、思い込みで見ている所がある。  私を寂しい老人にしたいようだ」  あれ? 大分印象が違って来る。 「昔話をしよう。  先代は公国に留学に来ていた際、私と出会った。  成人を目前に控えていた時で、私にもどこぞの貴族令息との縁談が出ていたくらい、それなりにモテていたのだよ。  その中の一人であった。  ただ先代は私に本気ではなく、政治的な繋がりと皇帝陛下としてでは自らが求める者とは添い遂げられない、皇位も捨てたくない、その時の私は非常に都合の良い相手だったのだ。  それを知らなかった私は、政治的な流れに身を任せ、先代からの言葉を鵜呑みにしてしまった。  幸せにする、と」  自嘲気味に若さとは盲目だ、と呟きながら更に続けた。 「いざ嫁いで来たら気持ち良いくらい、冷遇されたわ。  初夜の儀もなく、皇妃として対外的な仕事に追われ、婚儀から七日後には側妃が私の元へ先代を伴って挨拶に来た。  側妃が、先代を、だ。  呆れたわ。  呆れ過ぎてその夜は涙で眠れなかったのを今でも覚えておる。  その後は弟から聞かされた事とそう変わらん」  面白おかしいように話してくれているけど、側妃がマウントを取りに来たなんて、どれ程悲しくて悔しかっただろう。 「そして、残念な事にラグランジュの父親であるいまの陛下を産むと、亡くなってしまった。  陛下は私が育てたのだ。  だからの、二人の子に血の繋がりなど関係ないと心せよ」 「ありがとう、ございます」  戸惑いながら、励まされ叱咤されてお礼を言った。  かなり情報通だ。 「テオドアがあの部屋を使うように仕向けたのは弟だが、私も特に止めなんだ。  使用人の間では霊が出て首を絞めると有名だったそうだが、そのような噂を皇族に言おうものなら、不敬罪で処刑だろうからな。  それに私自身、信じてはいなかった。  先代ならば、さっさと側妃の元へ行くだろうと思っていたしな」 「ですが、兄上が体調を悪くし、首を絞められると言い始めたから、護符として枕カバーに刺繍をされたんですね」 「ふふ、私も公国の者だからな。  ただあまりにも目の敵にする弟がこのような事に納得するはずが無い。  だから敢えて呪物だとしたのよ」  どの王子でも良いと言いながら、第一王子の元へ行くように、うまく操りながら画策したんだ。 「なかなか良い出来であったであろう?  ラグランジュの名前をビッシリと刺繍しておいたからな」  イタズラを仕掛けた子供の様に笑う皇太后が、執事長が話していた姿に重なった。 「あの布は公国からの贈り物だからちょうど良かったのだ」  呪詛だの何だのって話の小道具にはうってつけだったんだ。 「せっかくの護符を僕が」 「分かっておる。  私の所に衝撃が伝わってきたからの。  呪わば穴二つと言うが、護符の様に守ろうとする事が善だから大丈夫などという事はない。  呪いも、守護も原理は同じだ。  だから返しが来る。  それが自分の命を縮めるのさ」  薄く笑う皇太后様に、執事長が言った長くないと言う言葉を思い出させた。 「もしかして解呪で反動が」 「いや長年、子供や国を護ってきて、その反動が少しずつ私の体を壊していってるのさ」 「公国の呪詛や呪術ばたいした事ないと」  「それは違う。  公国は術者を表に出さないだけだ。  だからこの帝国は長い間呪詛を受けているんだ。  私がそれを返して、また掛けるを繰り返しておる。  私をこの国から離れさせるか、死なない限り影響はないが。  その時は近そうだ」  ふふと寂しく笑っていた。 「先代にひどい仕打ちをされたのに?」 「私は愛していた。  だから愛を持って陛下を育てた。  公国から狙われていた時は、向こうの王太子との婚姻を画策して、失敗に終わり廃位にしたかったのだが、陛下が離してくれなかった」  そろそろお役御免にして欲しいと、微笑みながら話す皇太后様は、慈母でしか無かった。
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