147人が本棚に入れています
本棚に追加
ビールにならないビール
普段ビールをつくっている小屋に向かう中、村長さんは私のほうを上から下までジロジロと眺めた。
「失礼ですが、奥様はお酒造りをしたことがおありで?」
「ええっと……ワインを」
「ワイン……ふむ。大変申し訳ございませんが、中に入れることはできません。領主様だけどうぞ」
「あれ、どうしてですか?」
「昔から決まっているんですよ。パン職人と酒造りをしたことのある人間は、絶対にビールづくりを見せないと」
パン職人。酒造り。
私はそれらを聞いて、顎に手を当てていた。
その仕草で落ち込んでいると思ったのか、ジル様は「申し訳ございません」と頭を下げてくれた。
「自分が見てきますから、ここで待っていてくださいますか?」
「いえ。おかまいなく。どうぞ行ってらして」
そう言いながら、ふたりが小屋に入っていくのを見守った。
ワインはつくるときいつも不思議だった。勝手に手でぶちぶち潰せばシュワシュワと泡が出るから、ある程度泡が落ち着いたら樽で寝かせれば完成だったから。そういえば、ワインがお酒にならずにブドウジュースのままだったことはあまりないなあ。
パン職人や酒造りをしたことある人間を入れたことないってことは、つくる手順を相当管理しているんだと思う。でもそれでビールづくりを失敗したってことは、別の要因があるのかもしれない。
しばらくしたら、ジル様と村長さんが戻ってきた。
「お帰りなさい、どうでしたか?」
「いやあ。作業を見学させてもらいましたけど、面白いものでしたね。ただ……村長曰く手順は合っているそうですから、何故かはわからずじまいでしたね」
「そうなんですか……」
これだけだと、なにが原因かわからない。
その日は、私たちは村長さんの家に泊めていただくことになった。泊めていただくことになったのはいいけれど……。
私たちは夕食のあと、村長夫人に案内された部屋を見て絶句していた。
大きめなベッド。枕がふたつ。ベッド、ひとつ。空きはない。
「ハワワワワワワワワワワワ……」
「主人から新婚だと伺いましてね。どうぞごゆっくり」
気を利かせてくれたのだろうけれど、私来たばかり! 初っ端から同衾はない!
私があたふたあたふたしているのを見かねてか、ジル様はソファに腰を下ろした。
「来たばかりで早々に同衾は困るでしょう。シルヴィさんがベッドを使ってください。自分はソファで眠りますから」
「だ、駄目ですよ! ジル様はいつもいつもお仕事されてるんですから、きちんとしたベッドで眠ってください! 神殿のベッド固いんで、村長さんの家のベッドだと寝にくいかもわかりませんから!」
「……神殿のほうに、きちんとしたベッドを寄贈したほうがよろしいでしょうか?」
「どうぞ! お気遣いなく!」
私たちはギャーギャーと、どちらがベッドを使う使わないで揉めに揉め、結局はコインを投げて決めることになった。表立ったらジル様、裏だったら私。
コインを弾いたジル様を見つつ、祈るような思いで見上げていたら、コインがくるくると回った。それをポンッと手で押さえる。
……くるくる。くるくる。
私はなにかが出てきそうな気がして、こめかみに手を当てた。そういえば、ブドウを収穫してワインづくりの作業をしているとき、巫女長からなにか言われたことがあったような……なかったような……。
私が「うーんうーん」と考えていた中で、ジル様が私にコインを見せてくれた。裏。
「それでは、シルヴィさんがそちらのベッドを使ってくださいね」
「あ、は。はい……あのう、ジル様」
「どうされましたか?」
「この方法はワインづくりの方法ですので、ビールづくりに使えるかどうかわからないんですけど、聞いてもらってもよろしいでしょうか?」
「……もしかして、ビールの打開策、思いついたのですか?」
「はい」
寝る前、私は思い出したことをポツンポツンと話してみた。それを聞いたジル様の金色の瞳がみるみる輝いていった。
「ありがとうございます! なんとか期日中にビールができれば、皆さんも困らないでしょう! 本当に、ありがとうございます!」
そう言って私の手をキュッと握った。この方はなにかあったらすぐに手を取るのだから。
男の人に慣れてない私は、あわあわしながら視線を逸らす。
「ワ、ワインの方法ですから……ビールで使えるかどうかまではわかりませんよぉ」
「それでも、試してみる価値はありますから。本当に、ありがとうございます」
「……はい」
……まあ、この人はいい人だ。私の化石病について、なにも触れることはないし、私の持っていることにしかなにも言わない。
この人と未だに夫婦になるっていうのがわからないけれど、仲良くはやっていけるんじゃないかと思う。そう思いながら、私は手を握り返した。
****
次の日。私たちは村長夫人のつくった朝ご飯をありがたくいただいてから、村長さんにお願いをしてみた。
「去年のビール樽と、今年のビール樽を入れ替えるんですか?」
「はい。それで今年のビールも間に合うのではないかと」
「それはまあ……やってみますが。なにぶん去年は大麦が豊作だったもので、ビールをつくらないと傷んでしまうとかなりの量をつくりましたのでいけるかどうか」
「せめて今年の分だけでも入れ替えられませんか?」
「……やってみます」
それだけを指示して、村長さんにビールづくりをしている皆さんにお願いしてもらった。
ジル様は私のほうを見下ろした。
「ちなみにこれの意図は?」
「うち、ワインをつくるときにできるブドウ殻を使って、パンを焼いていたんですよ」
「……申し訳ありません。ちょっと話が見えないんですけど」
「はい。ブドウ殻を入れたパンって、普通に大麦粉を捏ねて焼いたものよりもふっくらとしておいしいので。黒パンでたまに固過ぎて釘を打てそうなものがあるでしょう? あれもスープに浸しながら食べる分にはかまわないんですけど、稀に外で食事をしようとしても、歯が折れそうなほど固いパンだと噛み切れませんからなんとかならないかと相談を受けて、神殿に残っている文献で調べて、その方法でパンを焼いてたんです」
小麦粉を主食として食べられるのはもっぱら貴族や豪商だし、どうにかして安上がりな大麦粉でおいしく食べれる方法を探していたところで見つかった手法だ。未だに理屈はよくわからない。もしかしたら王城で働いている人だったらその理屈がわかるのかもしれないけれど、こちらは知らないんだからしょうがない。
その方法をビールづくりにも応用できないかと思いついたのだ。
「稀にそれだけだと上手くパンが膨らまなくって困ったとき、空いたワイン樽をくるくる拭って底に残っている泡をパン生地に混ぜたら、上手く膨らんでいたんですね。もしかしたら去年のビールは美味くできたんだったら、それの要素を吸い込んでいる樽を使えば、ビールもできるんじゃないかと思ったんです」
シュワシュワと泡ができれば、あとはこちらのもんで、泡がある程度収まったら樽で寝かせればつくれるはずだ。
その泡さえ出るタイミングが来たらいいのだから。
私たちは祈るような思いで、樽の入れ替えを待っていた。
それから先は、泡が出るまでひたすら待つしかできない。樽から出された去年のビールは、慌てて主婦層が集まって包まれて各所に売りに出されていき、ビールをつくっていた人々も休憩しながらもずっと小屋のほうを待っている。
ビールにしろパンにしろ、泡立つかどうかなんて、待つしかできない。
普段はビールと一緒に振る舞われるだろう干しブドウを皆で齧りながらただ待っている中、小屋で働いていた人がひとり、中を見に行った。
やがて、すぐに飛び出してきた。
「ビールが! ビールができたぞ! 泡が、ずっとできなかった泡ができたぞ!!」
途端に歓声が上がった。
村長さんはそれを見て泣いている。
「ありがとうございます、本当にありがとうございます。これでうちから餓死者を出さずに済みます」
「いえ。考えてくださったのは妻ですから。ねえ、シルヴィさん?」
「いえっ、私も聞いた知識が使えないかどうか、提案しただけですからっ!」
とりあえず。せっかく大麦がたくさん獲れたのに、それでビールもつくれず売れなかったら大惨事だった。
ひとまずはそれが解決できてよかった。
私はジル様と一緒に、皆が「ありがとう! ありがとう!」と歓声を上げているのを見守っていた。
この方法は、もし再びビールができなかったとき用に、村長さんが記録を取ってくれることになったし、またビールになにかあったときの対処法として残ればいいなと思う。
最初のコメントを投稿しよう!