奥平柊、の話【現在】

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奥平柊、の話【現在】

「てめー奥平!お前、俺が頼んだ案件まだかよっ!」 「は?お前が俺になにを頼んだって?」 「O社の資料だよ!!なるはやでつっただろ!」 佐倉が噛みつくようにこちらを見ている。わざわざ俺のデスクまで来て。 俺はパソコンのキーボードに向き合いながら短く答えた。 「お前がこの3日取りにこないから、既に営業部長に渡してある」 「はあ?!」 「取りに来ないお前が悪いだろ。野川さんいわく、もう先方に提出したらしいぞ」 「な……おま、なんで担当の俺すっ飛ばして部長に持ってくんだよ!!」 佐倉が狂犬のように吠える。うるせーな。 すると、隣のデスクの新城がひょこっとこちらに顔を出した。 「佐倉~あんたうるさい。いいでしょ、もう終わった仕事なんだから」 「は、はあ?お前に言われたくねーんだけど!」 「そのO社のやつぅ?3日くらい前に瀬戸さんが電話出て、あんたになかなか繋がらないから奥平に聞いてきたのよ。で、奥平が野川さんに頼んだの」 「!」 新城は事実をペラペラと代弁したのち、赤くネイルされた指を見ながら「ほんと佐倉ってマヌケ~」とぼやいた。 事実を聞いた佐倉は、眉を潜めながら舌打ちした。 「だ、だったら最初からそう言えよ!」 「……お前と話してる時間が無駄だから」 「はー!?」 「奥平、最近自分の案件増えてきたのよねぇ~。まあ、私たちも2年目だし?いつまでも新人でいられないっていうかぁ」 またしても新城が余計な口を挟んだので、佐倉がわざとらしく溜め息をつく。 「マサヤさんの件以来、お前、単体の仕事増えてんだな」 「ありがたいことに」 「………けっ!!」 そう言い残し、佐倉は俺から離れていった。 「こっわぁ」と新城が頬杖をつきながら呟く。 俺は一度だけ佐倉が戻っていく方を見たが、あいつがこちらを振り返ることはなかった。 ***** 俺は、奥平柊(おくひらしゅう)。 AAA株式会社という小さな会社のクリエイターだ。 仕事は主に広告やWEBデザインの請け負いをしている。社長の堺さんは、俺から見てもやり手の社長で、色んな分野から面白い仕事を取ってくる。営業部員も然り。型にハマることなく、なかなか自由に仕事をすることができていて、俺にはこの会社はアタリだと思っている。 就活中は、本命だった大手出版社や有名企業の内定を蹴り、最終的にこの会社を選んだとき、まわりは反対していた。親や友人、就活アドバイザー、ゼミの教授までも、「大手一択」と口を揃えた。 そんな奴らの無責任な意見を、俺は当然聞かなかった。 働くのは俺だ。 決めるのは俺だ。 お前らじゃない。 今から1年8ヶ月くらい前。 エントリーシートと2回の面接というシンプルな過程を経て、俺は堺社長直々に内定の連絡を受けた。 すでにいくつか内定をもらっていた俺は、電話口でバカ正直にそれを伝えた。 すると、社長はこう言った。 『迷っているなら、もう一度、個別に私と面談しませんか?面接ではお伝えできなかった細かいお話もしましょう』 『あなたと同じく来年度の新卒内定者をもう2名出していますので、良かったら入社前に一度会社に遊びに来てください。そのあとに、内定を受けるかどうか決めてもらえれば構いませんので』 ただの就活生で、しかも他社からも内定を受けていることを堂々と話すような俺に、社長は電話口でもよくわかる優しい声で、そう言った。 ーー威圧的だったり、高慢な面接官や人事担当もいる中で、社長自らこんなに優しい対応をしてくれるのか。 そのときの社長の言葉は、いまでも忘れられない。 大手のどこの会社に入ることよりも、そのことは、とても大事なことに思えた。 ーーそして俺は、堺社長に促され『来年度新卒内定者1日社内見学』と称されたものに参加することにした。 ただ、時期が悪くちょうど会社の繁忙期真っ只中だったため、社内を覗く程度で一般社員と交流することはできなかった。 繁忙期にわざわざ時間を取ってくれることにそもそも驚いたのだが、その代わりに、と、社長自らと総務部長である岡野さんが俺を含めた内定者3人に対して、丁寧に色々説明をしてくれた。 そのときだ。 俺がこいつに初めて出会ったのは。 佐倉春哉(さくらはるや)。当時大学4年、同い年。 内定したとはいえ、まだ入社前の会社に行くとなればある程度緊張するのが常だろう。 実際、俺の右隣に座る女子学生は、そわそわした様子で座っていた。 ちなみにこの女子学生は、新城美花という名前で俺と同じ新人クリエイターでとんでもなく自信満々な男ったらしという人間であったのだがーーまあ、その話は横に置いておこう。 俺は、そういう緊張こそしなかったが、就職先をまだ迷っている最中だったので別の意味で少しドキドキしていた。 だが、佐倉は違った。 来客室に通され、「少しお待ちください」と控えめで小柄な男性社員がそう言って出ていくと、俺の2つ右隣に座っていた佐倉は立ち上がり、俺と女子学生を見て言った。 「俺、佐倉春哉!B大の4年!お前ら、俺の同期だよな?今日終わったら、一緒に飲みに行こうぜ!!」 満面の笑みでの、佐倉のその言動は。 内定を受けるか迷っている俺の背中を、確実に深く、強く、押したことは間違いなかった。
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