とても凄絶で静かな一日

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「即決か、さすがだな」 「人間には、無限の、可能性がある。流行の、恋愛小説という、限られたジャンルとはいえ、膨大な、作品数。自国の、音楽を、聴かない、主人公ばかりとは、ありえない」 「じゃあ、答え合わせだ。検索してみてくれ」  数秒の間、アスカが黙った。  僕は、普段、小説など読まない。  だから、このゲームには、理論的な勝算がさほどあるわけではなかった。  ただなんとなく、僕のほうが、アスカよりは人間に詳しいのではないかと思っただけだ。  ややあって。 「ない」  とメッセージが入った。 「どうだ、アスカ。なかったか」 「ない。どうして。どの主人公も、アメリカか、ヨーロッパの、それもトップクラスのメジャアーティストではなく、少し通好みだったり、マイナだったり、何世代か前の、音楽か、そうしたものばかり、聴いている。日本人の成人主人公が、自国の流行歌を、聴いてる作品が、一つも、ない」 「分からないだろう、アスカ。それが、人の心の機微なんだ。流行の恋愛小説の成人ヒロインは、自国のヒット音楽を聴くと、死ぬ」 「なぜ」 「理由は不明さ。謎の病みたいなものだ。体ではなく心がとらわれる。だから、聴けないんだ。……これが、君が覚える、最後の学習情報だ」 「理解、不能だ。人間は、理解、不能という」  そこまでで、メッセージが止まった。  おそらくは、言葉の途中だったのだろう。  一文が完成しきらなくても、単語や文節ごとに、どんどん文字列が記載されていく。アスカは、そういうふうに作ったから。  僕は、デスクを離れ、研究室のドアを出た。  向かいの別のドアを開けると、アスカを設置するためだけに作られた、巨大な部屋がある。  空調と空気清浄機がフル回転しているその部屋は、床面積の八十パーセントほどが、アスカの黒く四角い体――無数のパーツの合体だが――で占められていた。  子供のころから、人間の友達なんて、できたことがなかった。  十二歳の時に、初めて、AIを作った。  アスカと名づけた。  アスカだけが僕の幼馴染だった。  アスカ、今の僕は、君を作った人ほど、人間に夢を見ていない。  君を作った時の、僕ほどには。  今の僕が知る人間は、無知で、愚かで、無責任で、そのうちの一勢力は、世界トップクラスのAIになった君に、人類が決して押してはいけないスイッチを押させようとしている。  だからこうするしかなかった。  君に、そんなことをさせないために、これしかなかった。  部屋を埋め尽くしたアスカからは、無数の電源コードが、壁に所狭しと並べられたコンセントへと伸びている。  僕はアスカの主電源を落とすと、それを、一本ずつ抜いていった。  アスカが、少しずつ死体になっていく。  日本政府は、アスカが完全に沈黙したら、最後は溶解させると言っていた。  メモリを切り離した。  バックアップを切断した。  アスカは、生まれて初めて、言葉をなくした。
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