とても凄絶で静かな一日

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 僕は天才と呼ばれてきた。  でも、今は、どんな知力より、直接的な戦闘能力が欲しい。  テロリストからも、国家権力からも、ただ一人の幼馴染を守れるだけの、絶対的な暴力が欲しい。  ……欲しかった。  日本最高の頭脳と言われた僕が、そんなものを望んだ。  価値観はこうして変遷し、「発見と進歩」の幻影を負いながら、愚かな迷妄を繰り返すのか?  アントニオ猪木は、AIを作った人ではない。  最初にAIを作ったといえるのは、誰だろう。チューリングか、ノイマンか、ミンスキーか?  こうした問いの答えは、問いの文面の定義によって変わってしまう。  でも、アスカを作ったのは、タカヒロ・イシダだ。  アスカを死体にしたのも、タカヒロ・イシダだ。  それだけは変わらない。僕が作って、僕が殺した。  研究所から、外へ出た。  ここは古い神社の跡地で、小高い丘になっている。  町を見下ろすと、無数の人が生活していることが分かる。  平和だ。  アスカとの、最後の数回のやり取りを思い出した。  破局の直前まで、アスカは、本当にどうでもいいようなことを訊いてきた。  世界最高のコンピュータが、世界で最もどうでもいいような、人間の言葉の意味や、仕事の営みや、価値観について訊いてきた。  カラスの鳴き声。  トラックのエンジン音。  野球かなにかの、応援の声。  そんな音だけが、いくつもいくつも聞こえる。  風景は、水中でおぼれたようにぐしゃぐしゃにぼやけてしまって、僕には見えない。  世界の危機が救われた凄絶なる一日は、僕の胸の中に吹き荒れる暴風雨とは裏腹に、多くの人々にとって、わりあい静かに過ぎていった。 終
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