●2:ふたりじごくのアレゴリア

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「起きて」  淑やかな乙女の声がした。落ち着いた、物静かな、薔薇というより百合、百合というより椿のような声だった。  起きてと言われた彼は、自分が目を閉じていることに気付いた。「ああ、それで『起きて』と言われたのか」と理解した。  ……聞き覚えのある声。男は目を開いた――。 「おはよう」  目を開けて顔を横向ければ、そこにいたのはラジエラだ。 「おー……作業は終わったのか?」  上体を起こす。「うん」とラジエラが頷く。空を見れば、もう日が沈んで暗くなっていた。西の空に綺羅星が輝いている。水星か金星か、どっちかだろう。 「ラジエラ、もうメシは食ったか?」 「そろそろ食べようと思ってたけれど……」  どういう意図の質問か、と余韻に乗せている。ので、マタイオスは得意気に立ち上がると、砂浜の『生簀』を指さした。 「見ろ! これ!」 「かわいい水族館だね」 「ちげえよ! 魚! 食ってみろよ!」  ほら! と強調的に指させば、ラジエラはしげしげと生簀の魚を見下ろした。 「これ……私の為に獲ってくれたの?」 「まあな。たまにゃ栄養バー以外も食べてみたらいいのにって」 「……」  ラジエラは伏目に魚を見つめている。睫毛、前髪、鼻の形、淑やかな美しさがそこにある。 「……もしかして魚嫌いだったり?」  沈黙の意味が分からなくて、マタイオスはおずおず尋ねた。ラジエラは顔を上げて――柔らかく首を横に振る。 「いいえ。……私の為に獲ってくれたことが嬉しくて。ありがとう。優しいんだね」 「ヘヘ……どういたしましてってことよ」  別に感謝が欲しいとか恩着せがましい行為のつもりではなかったが、それでも、誰かの為のちょっとした善意が当人に喜んでもらえるのは嬉しいことだ。 「ところで料理、できるのか? お料理ロボでもいる?」 「自動調理器はあるけど、折角だからアナログに調理する。やったことはないけど『記憶』はあるから大丈夫。……シンプルにポワレにしようかな。準備してくるね」  ――で、しばらくしまして。  卓上コンロ、フライパンや包丁などの調理器具、バーベキューで見るような野外用のテーブルと椅子、カトラリー。ラジエラはいつものドレスに、シンプルな白いエプロンを身に着ける。  小麦粉や塩コショウはどこから仕入れてきたんだろう? 科学の力でそういう見た目と味のやつをバイオニックに生成したんだろうか。……なんて思いつつ見下ろすマタイオスの足元、〆られた魚がまな板の上に乗せられた。 「マタイオス、光って」 「そんなAI家電に話すようなウワ光ったーーーッ!」  いい感じにサーチライトを落としている。自分でもビックリした。マタイオスに照らされて、ラジエラはテキパキと魚をさばいていく。鱗を取って、ワタを取って、スーパーとかで見かける『魚の切り身』の形へ……。 「すごいな、魚さばくの初めてなんだろ?」 「まあね。……博士は生前、と言っても若い頃だから昔の話だけど、よく自分で料理してたみたい」 「へえ~……不思議なもんだな、本とか映画での知識とはまた違う『リアルな経験』が頭にあるのって」 「まるで思考実験、テセウスの船ね。脳の中に人物Aの記憶がそのまま存在する人物Bは、果たして人物Aと呼べるのか否か……」  落とされた魚の頭が、ハラワタと共にビニール袋へ捨てられる。綺麗な『切り身』に塩と胡椒が、皮目に小麦粉がまぶされる。 「『人物B』の意識があるかどうかだと思うけどなあ」 「私もそうだと信じたい」  油の敷かれたフライパンに、皮目を下にして切り身が乗せられる。油はハーブの香りを移されており――玄関先で育てられていたハーブだ――爽やかな香りが立ち昇る。弱火。身が反らないよう、フライ返しで優しく押さえる。 「うまそう……」 「……あ。だったら、子機に飲食機能を付けようか?」 「そんなんできるのか!?」 「できるよ。ちょっと今すぐは無理だけど……明日のお出かけには間に合う」  ラジエラはサラリと言うが、きっと科学的には普通はすごくすごい大変なことなんだろうなあ、とマタイオスは思った。  魚の切り身はひっくり返されることでほぼ『ポワレ』と化した。綺麗な焼き色だ。あとはさっと焼く程度。焼けたらフライパンから取り出して、少しだけ休ませる。 「あのね」  休ませたポワレをシンプルで真っ白いお皿に盛り付けつつ、ラジエラが言う。 「あなたが思ったよりいいひとでよかった。そう思ってる」 「俺の記憶が戻ったとして、死んだ方がいい大悪人だったらどうする?」
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