●3:ドラマティック・ドゥーム

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 マタイオス――カンダは、全てを思い出した。  そして、彼は泣いていた。涙がつーっと、二つの頬を滑り落ちていった。悲しいからではない。自分の人生があまりにも馬鹿で間抜けで愚かで救いがたくて下らなくて、惨めで惨めで堪らなかったからだ。  なんかさあ、もっと、記憶喪失なんだから、もっとこう、隠されし壮大な真実が……とかないワケ? なんて自問する。そして、記憶喪失というモノにいささかドラマ性を期待しすぎていたかもしれない自分を見つける。自分に酔ってた自分に気付き、もっともっと惨めになる。 「はは……なんで泣く機能がついてんだよ……」  ラジエラらしいなあ、なんて思いながら。 「あ?」  カンダの言葉の意味が分からず、力二は生体の方の目をギッと細めた。 「ったく、どうやって舞い戻ったかは知らんが、しっかりトドメを刺してから捨てるんだった。……まあいい、今度こそおまえは死ぬんだからなァ!」  力二は残酷に口角をつり、鋏に力を込め――カンダの首を斬り落とそうとして――斬り――斬り――斬れない。ギリギリと、鋭利なハズの鋏が、カンダの首で二の足を踏み続けている。皮膚の一枚も斬れないまま。 「なっ……なっ……なに!?」 「……一つ聞きたい」  親指で涙を拭い捨て、今度はカンダが力二を睨む番だった。 「サロナは無事なのか?」 「サロナ? ふんっ、元気にボスの愛人やってるよ!」 「そうか」  よかった。彼女は無事だったのか。サロナが自分のような目に遭ってなくてよかった。  ……だけど、彼女は結局、逃げきれていない。彼女の望む自由は、そこにはない。  記憶喪失という『ワンクッション』が置かれたからか、カンダの恋の熱は下がっていた。今になって冷静に考えれば、サロナへの恋慕が情けないほど盲目的で独りよがりだったことが分かる。今はもう、記憶を失う前のように、全てを捧げ尽くしたいとは思わない。  だがサロナを憎んでもいない。恋の熱狂、あれはあれで、その時は楽しかったし、結果はともあれ何かに熱中と夢中ができる何かがあったのは嬉しかった。まるで過去の記憶が美化されるかのように――。  だから、サロナに捧げたいとは思わないが、せめて救われて欲しいとは思った。  ――そんなことを思いながら、カンダは自分の首を挟む鋏を掴んだ。力二のマシンスペックを上回る力で、強引に、その鋏を開かせ、開かせ、開かせて……ばぎょ、と破壊する。 「ぐわあッ!?」  パーツが飛び散る――運転席のチンピラがギョッとして振り返る――カンダは力二の身体を蹴っ飛ばした。車のドアごと、力二が道路に放り出される。 「ひええアニキ!?」  運転手が素っ頓狂な声を上げ、急ブレーキを踏んで、慌てすぎたせいでガードレールに突っ込んで、衝撃で気絶したらしい、ハンドルにもたれかかるように倒れる。ファーーーーーーーーーーーーーーー、とクラクションが永遠に鳴る。 「よくも殺そうとしやがったな」  そんな車から、カンダは襟元を正しながら現れた。 「カンダ、てめえ……!」  道路のど真ん中、口から血交じりのゲロを垂らしながら、腹を押さえる力二が上体を起こす。辺りは騒然、AIカーは緊急停止し、乗っていた者がなんだなんだと窓から顔を出していた。 「クソがッ、死ねえ!」  力二は手近な車のバンパーを掴むと、それを軽々持ち上げてみせた。彼の筋繊維は身体改造によって超人の域に達していた――ここまで強化するのに力二はとんでもない金を注ぎこんだ――慌てて乗者が窓から落下しつつ逃げたそれを、カンダへと投げつける。 「死ねって言われて――」  カンダはそれを、片手で受け止めて見せた。 「――死ぬ奴がいるかバーカ!」  今度はカンダが投げる番。慌てて力二が転がり逃げる。さっきまで力二がいた場所にクレーターができて、そこに車が突き刺さっている――とんでもない所業に、力二は目を白黒させながら、カンダと車とを交互に見比べた。  その時にはもう、カンダの跳び蹴りが顔面にクリーンヒット。 「はぐっ!」  鼻が折れる音。前歯が都会の空に舞う。  後ろへ倒れていく力二、のネクタイを、カンダは掴んで引き留めた。もう片方の手は、文字通りの『鉄拳』を振り被りながら……。 「がっ、ぐっ、やめっ……」  力二の目に浮かぶのは恐怖だ。カンダは……優越感を覚えた。今まで散々、自分を馬鹿にして、コキつかってきたのは力二だ。靴を磨かせれば後頭部に唾を吐かれたり、自分が吸った煙草の吸殻を飲み込むよう命じられたり、身体に危険なほどの一気飲み飲酒を強要したり、気に食わないことがあったらすぐ怒鳴って殴ったり……いつもいつも、力二はカンダを馬鹿にしていた。馬鹿だグズだ要領が悪い頭が悪い貧乏人だと罵った。極めつけには殺されかけた。  だから、今、カンダが抱いている殺意は正当性のあるものだ。そうに違いない。力二の今までの所業を許せるはずがない。365日殴り続けてもこの恨みは晴らせない。許せない。だから―― 「殺すの?」  淑やかな乙女の声がした。落ち着いた、物静かな、薔薇というより百合、百合というより椿のような声だった。  カンダは目を見開き、振り返る――人ごみを掻き分けた最前列、走って来たんだろう、肩を弾ませ汗を浮かばせたラジエラが、手の甲で顔の汗を拭っていた。ラジエラが汗をかいているところなんて初めて見た。ロボットみたいな女だと思っていたが――生命体なんだ、と今更ながらに実感した。  そんな一瞬の思考が、さっきまで力二に抱いていた殺意をクールダウンさせて。 「……殺さねえよ」  力二をぞんざいに投げ捨てた。溜息。ラジエラが殺人を厭うていることを知っている。ラジエラのおかげで今ここにいるカンダが殺人を犯してしまえば、ラジエラの矜持を台無しにしてしまう。ラジエラを本当の悪女にしてしまう。ラジエラの為なら、カンダは煮えくり返るはらわたをなだめることができた。  暴力を止めたカンダに、ラジエラはほっと安堵の色を目に浮かべた。 「マタイオス――」 「カンダだ。全部思い出した」 「……そうなんだ。ダっちゃんって呼んだ方がいい?」 「なんでだよ普通はかっちゃんだろ、別にカンダでいいよ」 「それで――」 「ああ、記憶の話ね。……なんか、説明する気が失せるほど俺は馬鹿だった」  肩を竦めてみせる。戻った記憶がどんなものだったか、それで察してくれと苦笑に乗せる。 「……あの島の海流のおかげで助かったみたいなんだわ。だからさ、ありがとな。マジでおまえのおかげで俺は今生きてる」 「そう。なら、よかった」 「よくねえよ」  最後の言葉は力二のものだった。鼻と口からだらだら血を流しつつ立ち上がる男は、憎たらしさと怒りを全開にした目でカンダを睨んだ。 「カンダァ……おまえが生きてると、俺が仕事失敗で殺されンだよッ!」  力二が何かのスイッチを押した――その瞬間だ、「ドズン」と地響きが起きる。それまでしきりに携帯端末を向けて野次馬根性を丸出しにしていた民衆だが、流石にヤバい雰囲気を悟り始めたが命よりバズりを優先して退散しない。が、流石に二度目の地響きと共に、アスファルトを突き破って巨大ロボットが現れれば、彼らは口々に叫びながら逃げ始めた。  土煙とやまぬ地響き、ビルが傾く――その真ん中にいるのは。人で下半身は四つ足の多脚型、赤い装甲に全身のトゲ、両腕には巨大な鋏を有した『弩級人型クレーン』。だが明らかに戦闘を目標に設計されているにおいがプンプンする。  唐突な巨大ロボの登場に、周囲のビルにいた人々も仕事どころではないと悲鳴を上げて避難を始めた。辺りは阿鼻叫喚だ。わあわあと逃げ惑う人々が地面に流れる。 「んなっ……うちの組織って巨大ロボ持ってたんだ!?」  ラジエラを抱えて跳び下がりつつ、カンダはカニみたいなロボの登場に目を見開いた。そして直後に理解する、「俺は下っ端だから組織の情報を全然教えられてなかったのか……」と。 「どういう身体改造をしたのか知らねえが……これには敵うまいッ!」  カニロボの肩の上にいた力二は、そこからスルリとコックピットに乗り込んだ。ギラン、とカニロボの目が光る。地上にいるカンダを踏み潰さんと片脚を上げる――。 「どぅおわあああ! どうする!? どうする!?」  即死必至なストンプを掻い潜って走って逃げつつ、カンダは腕に抱いたラジエラに問いかける。背後でドゴォンドバァンとアスファルトが踏み砕かれるヤバイ音がする。背中に地面の欠片がショットガンのように当たる。それがラジエラに当たらないよう、出来得る限り男は乙女を大事に抱えた。 「マタ――カンダ、ウドンで飛んできて」  こんな状況でもやっぱりラジエラの表情筋は仕事をしない。「飛ぶって」、とカンダが目を丸くすれば、彼女は言葉を続けた。 「大丈夫、ウドンは飛べる。『究極アルティメットスカイフォーム』って叫べばいいから」 「お、あ、うん、究極とアルティメットで意味被ってない?」 「いいから」 「分かってらぁ! 究極アルティメットスカイフォーーーーームッ!!」  力の限り叫んだ。その瞬間、カンダの意識は一時的にウドンへ戻る。VRゴーグルを外したような心地だ。一瞬、見える景色が意識と切り替わって混乱するも……急がねば。  そんな思いに応えるように、だろうか。ウドンの背から翼が生えた。飛行機のような科学の翼だ。その先端、そして足の裏から――ボッ、とジェットが噴き出して。  飛べる。ウドンの生体ユニットとして接続されたカンダの脳は飛び方を理解している。そして鉄の男は重力から解き放たれた。流星のように、音すら置き去りにする速度で、青い海を超えて、超えて、超えて――……。
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