●5:薔薇の似合う君と

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 ――幾度目かの朝陽がまた昇る。  時間は巻き戻り、今。ラジエラはベッドから身を起こし、目を擦り、窓を見た。ここはコテージの二階だ。カーテンを少しどければ……波打ち際、膝を抱えたまま横になっているカンダの大きな姿。  彼は未だ立ち直れていないようだ……。全てを捧げた相手から裏切られた傷は、かなり深いらしい。  心配だ。どうにか元気づけてあげられないだろうか。――それと同時に、ラジエラは不思議な感情を覚えた。「いいなあ」、という気持ちだ。それは嫉妬。愛されるサロナに対して。熱狂的な愛や恋を『することができる』カンダに対して。  ――誰かに愛や恋をしたり、されたり、そんなのは、ラジエラの世界には存在しない。してはならない。そんな視覚はない。ましてや恋愛の果てに子を成して、自分と博士の業を子に継がせるものか。 (こんなこと考えるなんて……昔の夢を見たからかな)  ナーバスになりかけたメンタルを、頬を両手でピタンと挟み叩いてリセットする。  身支度や食事などを済ませて――砂浜へ。その頃にはカンダも起きたようで、横たわる姿勢から体育座り状態になっていた。 「おはよう、カンダ」 「んあ……おう……」  ちらりと機械の顔がラジエラを見下ろす。乙女は脳波操作で、砂浜よりビーチチェアとパラソルをせり上がらせた。 「気分はどう?」  ビーチチェアに座り、乙女は問いかけた。曖昧な苦笑が返事だった。  ……そのまま、二人、波打ち際に並んだまま。  幾らかの時間が流れた。 「あのさ……」  潮騒に紛れてしまいそうな声量で、カンダが呟く。ラジエラは眼差しを向けて、その言葉を促した。彼はぽつぽつと語り始めた。 「俺は……俺はな……永遠を信じてたんだ……ずっとずっと変わらないものがあって、それはとっても幸せなことなんだって……」 「どうして変わらないもの――永遠は幸せだと思うの?」 「え? それは……」  カンダは隣のラジエラを見下ろす。 「あ……安心できるから、かな……だって変わらないものって不安じゃないだろ」  水平線に視線を戻し、体育座り状態の男は続ける。 「俺はさ……別に、出世しまくって大物になりたいとか、大成功して大富豪になりたいとか、なんかすげえ大望を果たしたいとか、そういうのはいいんだ。変に大物になったら責任とか大変だろうし……だから、別に普通の幸せでいいんだよ。普通に仕事して、普通に暮らして、普通に結婚して、普通に……真っ当に……だってずっとクソみたいな人生だったから……」  そして、サロナと普通の幸せが手に入ると信じていた。それが男にとっての永遠だった。 「でももう薄々気付いてる。俺はきっと、そういう『普通の幸せ』はもらえないんだ。普通の人が普通に手に入れてる幸せってのは、俺にとって、手を伸ばして伸ばして伸ばしても手に入らない、だけど遠く遠くであんなにも綺麗に光ってる、星みたいなもんだ……」 「そっか……、うん、気持ち、ちょっと分かるかも」  ラジエラも同じ方を向いている。水平線――空と海の青い境界線。遠い世界。 「……なんかごめんな! 暗い話して。ちょっと落ち込んでたけど、もう大丈夫だからさ……気にしなくっていいよ」  カンダは努めて明るい声でそう言った。空元気の嘘であることが丸わかりだった。ラジエラは逡巡する。『博士』の天才的頭脳を持つ彼女の脳に、凹んでいる友達を一瞬で元気づけられる数式は存在しない。 「気にしないで。どうしたらカンダが幸せになれるか、最近ずっと考えてるの」 「……ラジエラは優しいなぁ。俺は自分の幸せのことしか考えてなくて手一杯だってのに……」 「自分自身を幸せにしようとするのは大事なことだと思う、卑下することないよ」 「うん……ありがとよ」  そして、しばしの沈黙。波の音。 「あのね……」  言葉を切り出したのはラジエラだ。 「あなたがサロナさんに求めたモノとは違うと思うんだけど……私はあなたのこと、大事にしたいって思ってる。こんな私だから、『普通』の尺度はちょっと分からないし、きっと私のもたらすことは『普通』じゃないんだろうけど……」 「いや、ラジエラのおかげで俺の人生は変わったんだ。本当に……感謝してるよ」 「そう。……どういたしまして。……ねえカンダ、人間に戻りたい? そうしたら、あなたの求める『普通の幸せ』に、少しだけでも近付けるかもしれないなって思って」  かつて『博士』が行った手法だ。カンダのクローン人体を造って、脳の中身を転写移植。かつてラジエラが「推奨しない」と言った技術だ。  ラジエラは思い返す――初めてカンダと出会った時のことを。  血だらけで、ボロボロで、波打ち際に漂着していた男。意識はなく、死につつあり……慌てて救命措置を行った。しかしそれでも間に合わないほど彼の身体は損傷していて……最終手段として、ラジエラは彼の脳味噌を摘出し、生体金属ウドンの中に組み込んだ。彼が悪人だった時のリスクはもちろん考えたが、人命救助ができる手段があるのに敢えてそれをしない選択肢はラジエラにはなかった。結果的にそれが功を奏した。彼は一命を取り留めたのだ――脳へのダメージのせいか、記憶を失ってたけれど。  そうして、ラジエラとカンダの日々は始まった。あの時は未だ、カンダはマタイオスだったっけ。  罪悪感は、あった。今もある。カンダを『自分/博士』の共犯者にしてしまったことへ。  記憶が戻ったら解放してあげようと思っていた。  だけど。  いつからだろう。カンダの愚直さに、優しさに、甘え始めていたのは。  期待が募っていく。生まれて初めての、対人関係に。  いつかは解放してあげなくちゃいけないのに。  いつかは、いつかは……そう思い続けて結局今日まできてしまった。  こんな日々がずっと続けばいいのにな、と思ってしまった。 「……、」  ――静寂。カンダは俯いて、ラジエラの言葉を反芻する。  カンダは――「うん」と言うことができる部分が自分の中にあることに、言葉を失った。一瞬でも想像してしまった。人間に戻って、今度こそ真っ当な仕事をして真っ当に生きて、普通の暮らしと普通の幸せを得る自分の『If』を。  だけど―― 『護っても何もここまで肩入れして今更ほっとけねえよ……いいよ、しょうがねえさ、もう俺達ゃ一蓮托生ってことで、そうしよっか』  カンダは自分からラジエラへ放った言葉を覚えている。これは約束だ。命の恩人に対しての。 「俺だけのうのうと『普通の幸せ』を手に入れるなんてズリィよ。そんなことはできない。一蓮托生で、おまえを護るんだって約束した」 「……私の言葉が、私の存在が、あなたを縛る呪いになってはいない?」 「呪いだなんて!」  カンダは思わず振り返り、ラジエラへ体を向ける。 「そんなこと思ってない! むしろ救いだとすら思ってるのに!」 「そう」  ロボットを見上げる乙女は――ふっと微笑んだ。 「なら、よかった。その言葉が、私にとっての救い」  そうしてまた海を見つめる彼女は、マゼンタの瞳をそっと細める。 「ごめんなさいね」 「どうして謝るんだよ?」 「……嬉しいって思っちゃったから」 「どうして嬉しいとごめんなさいなんだよ?」 「どうしてかしらね」  乙女はずるいから、そういって煙に巻いて。考えさせる暇を与えないように、違う話題を突き刺すのだ。 「博士が失敗した『脳の中身を転写する技術』、完成させようと思う。そうしたらあなたを人間に戻すね」 「え!? いやっ……俺の話、聞いてた!?」 「聞いてたよ。聞いた上でそう思った。あなたは普通に、人間として生きるべきだと思う。あなたはずっと頑張ってきたんだもの。それぐらいのご褒美があったっていいじゃない。……あなたのことが大事だから」 「でも……」 「あなたが邪魔になった、とかじゃないからそこは安心して。あなたに幸せに普通に生きて欲しいの、私は。それが私の夢だから」 「俺がいなくなったら……おまえは……」 「これまでだって一人で生きてこれた。だから大丈夫。それに、あなたが人間に戻れても、ずっと友達でいてくれるでしょ。縁が切れるわけじゃないんだから」 「……でも……だけど……素直に喜べねえよ……俺だけそんな……」 「いいの。大丈夫。だから素直に喜んで。そろそろあなたの笑顔が見たいな。あなたが悲しそうだと、私も悲しい気持ちになる」 「……」  ぐ、とカンダは拳を握り込んだ。そして、颯爽と立ち上がる。青い空と太陽を、睨むように見上げている。 「分かった! 今日で落ち込むの一旦やめる! 落ち込まないのを頑張ってみる!」  ラジエラを悲しませまいと、カンダは精いっぱいの元気をかき集めた。伸びをする。深呼吸の真似事をする。 「いいね」  ラジエラも続いて立ち上がる。今日もいい天気だ。  そのまま少し、二人は午前の太陽を浴びていた。 「……なあ、ラジエラ」  カンダが乙女の名を呼んだ。 「ラジエラにはさ……なんか、やってみたいこととかある?」 「やってみたいこと……」  海の風に黒髪をかきあげ、考える。  ――なんでもないただの人間として、普通に町で暮らしたい。  ――生きることを許されたい。  ――『博士』の罪を、なかったことにしてしまいたい。  ――自由を知りたい。  だけど本音を言うことは、できないから。  悪戯っ子のような笑みで隠して、乙女は言った。 「うーん、そうだなあ――男の人から花束を貰ってみたい。バラの花束を。だってなんだかロマンティックじゃない?」 「そんなんでいいのか?」  カンダに肉の顔があったなら、目を丸くしていたことだろう。ラジエラは「うん」と頷く。 「よし! じゃあ今からやろうぜ!」  なにせカンダという男、サロナにバラどころじゃないモノを貢いできた男。ブランドバッグとか、ブランド香水とか、ブランドアクセサリーとか……。だから、もう二度と誰かになにか買ってやるもんかと思っていたけれど――今回は、それとこれとは別。 「……いいの?」 「いいじゃんいいじゃん! 人間姿の機体出してくれ! あと車借りるぞ!」 「うん、じゃあ……用意するね」  ラジエラは少しはにかみながらも、楽しそうに踵を返した。  ちなみにカンダの『軍資金』だが―― 「イワシタル、金貸してくれ」  コテージ側の、ハーブや花々の家庭菜園コーナーの傍。頭部のない首にそのまま麦わら帽子を被っているスーツの男に、カンダは手を差し出した。 「え? なんでですか?」  イワシタルは現在、『お花係』としてこの家庭菜園コーナーの管理を任せられている。技術を盗む気満々なので、地下ラボへの侵入を禁じがてら、「ここをずっと見てなさい」とラジエラに言い渡されたのである。なお島内は監視システムがすげえので、勝手に抜け出したり変な行動をすればすぐにバレる。ので、一日中、ただ花とハーブを見つめたりジョウロで水をやったり雑草を抜いたり害虫を駆除するだけの時間を遅らされている……。 「話聞いてただろ。貸してくれよ」 「ええ~……ちゃんと返してくれるんですか?」 「倍にして返すから」 「クズ人間の100点満点返答……え? パチとかウマで倍にするとかやめてくださいよ?」 「しねえよ! いつか真っ当に働いて返すから」 「その『いつか』ってマジでいつですか!?」  そんなこんな言いつつも、イワシタルは「今! わたくしはあなたに貸しを作った!」と言いながら札を一枚渡してくれた。これならきっとバラの花束が買えるだろう。 「ありがとよ! よっし――『子機モード、ゴー』!」  ――かくしてカンダは、空飛ぶリムジンに乗り、都市を目指して飛び始めた。  誰かに何かをプレゼントするのは、なんだか随分と久し振りな気がする。そういえば忘れていた。誰かの為に――誰かに喜んでほしくて、何かを探しに行く時のワクワク感を。  嗚呼、こういうのが普通の人が持ち得る普通の幸せなのかもしれない――自動運転に全てを委ね、座席にゆったり座っているカンダは、窓越しの青い景色に目を細めた。  その時である。  きらり、空に光が灯って――「なんだあれは?」と思った瞬間、カンダの意識は子機から強制切断された。 「っ――な、なんだ!?」  VRゴーグルを外して現実世界に戻るように、視点がウドンのものに切り替わる。カンダの目に映っていたのは、空から降る光の柱だった。パラパラと、爆砕したリムジンの欠片が海に落ちていくのも見える。もう一度繰り返す。「なんだ!?」 「衛星砲……」  傍らのラジエラが眉根を微かに寄せた。カンダはそちらへ向くと、 「って何?」 「衛星からレーザーが発射されたの。それで車と子機が撃墜された」 「なぁ!? ステゴロ条約は!? バリバリのヤバ兵器じゃねーか!」  その言葉に答えたのは、麦わら帽子を投げ捨てたイワシタルだった。 「あれは焼き畑農業システムです! 空からピンポイントで焼き畑を作ることができるのです! 武器ではありませ~ん!」 「……ってことは『商会』の商品か!?」 「その通り! わたくしが敗北をしても、『商会』はまだあなた方に敗北してはいませんとも。さあ! 世界平和の礎になって頂きますよ!」  イワシタルが高笑いした直後、力二が窓からフライパンを投げつけて気絶させ、それを黙らせた。 「商会の連中が攻めてきたってのか? ヤバくねえか!?」  窓から身を乗り出した力二は顔を蒼くしている。せめて防御の為なのか、鍋を頭にかぶっていた。 「……皆、急いで地下ラボに避難して。私はバリア装置を復元させる。カンダは迎撃お願いしていい?」  砂浜から地下へのエレベーターがせり出す。カンダは「おう」と頷きつつ、首を傾げた。 「待てよ、バリア装置って『ステゴロ条約違反だから分解して破棄した』って前に言ってなかった?」  ラジエラは変なところで律儀で公平だった。ステゴロ条約を順守して『挑んで』くる者らに対してフェアである為、彼女自身もその条約に則っていた。  カンダの問いに、ラジエラは溜息を吐く。 「言った。だけど流石にアレを焼き畑農業用とは認められない。現代で焼き畑農業なんて、森を焼くより効率的な方法がたくさんあるからもう行われてない。……それに……あなた達を護りたいから」  人命を前に、ポリシーなど些事だ。ラジエラ一人だったなら、地表を吹っ飛ばされてラボまで攻撃が及んでも別によかったけれど……。 「……おまえホントにすげえなぁ」  カンダは呟いた。いついかなる時も、ラジエラの第一は「誰も死なせない」だ。ポリシーを一貫できる決意の強さに、カンダは感心と敬意を改めて覚える。分かっているのだ、きっと彼女はこう答える――「私は『前世』でたくさん殺してしまったから」。  そうして同時に、カンダは学校でもっと勉強しておけばよかったと後悔する。博士のことを歴史の授業でやっていたはずなのに。ラジエラのバックボーンについて何も知らない自分の無知さが、子供時代の不真面目さに価値を見出していた愚かさが嫌になった。  ――いつものように、鋼の掌に乙女を乗せる。顔と顔を寄せて、口付けを交わす。それが開戦の合図。  鋼鉄の巨人は水平線へと向く。数多の敵影――先日イワシタルが乗っていた、ウドンと類似した黒いロボットの兵団が迫りくるのが見える。イワシタルとの時と違って、パイロットのいない無人自動操縦のようだ。  空がまた光る。衛星砲――しかし二発目は、島全体を覆った光のドームが防御する。ラジエラがバリア装置を復旧させたのだ。  ならば自分の役目は、あの贋作共をぶっ飛ばすこと。拳と拳をかち合わせ、カンダは駆け始めた。「究極アルティメットスカイフォーム」、そう叫べば科学の翼がせり出し、ジェットが噴き出し、流星のごとくとなる。 「なあオイ、大丈夫なのか?」  地下ラボ。伸びているイワシタルをロープでぐるぐる巻きにしながら、力二はラジエラへ問いかけた。ラジエラは巨大なコンソールを凄まじい速度で操作している。彼女の手だけでなく、脳波コントロールによる多数のマニピュレーターが島中で動かされていた。 「ステゴロ条約のこと?」 「……商会の連中、『博士の娘がステゴロ条約に違反した!』って鬼の首取ったみてえに騒ぐかも」 「かもね。でもいいの。私はこの先、島から出るつもりはないし。安全を確保したらあなた達も解放するし」 「おまえ……」 「今の内に言っておくね。カニくんの料理おいしかった。賑やかで楽しかったよ、ここのところは。でも、もう犯罪しちゃ駄目だよ。私が言っても説得力ないけど」  一瞥をよこす暇もないほどの作業をしながら、ラジエラはそう言った。バリア機能を応急措置的に緊急復旧できたが、現段階ではその場しのぎにすぎない。ここから安定化や維持の為に様々なプロセスが必要だった。  一方――  カンダは量産型ウドン達と激戦を繰り広げていた。イワシタル戦と違い、『肉入り』ではないからかタクティカルな行動を取ることはない。だがシステマチックで統率されている。行動に一切の無駄がなければ、情けも容赦も躊躇もない。  ……だが逆にやりやすい。ぶっ壊しても死者は出ず、遺恨も何も生まれない。 「おらあああああああああ!」  殴打用変形をした拳を振り回す。コイツらを破壊するには、再生できなくなるまでぶっ壊し続けるしかない。群がられるのを殴り飛ばし、後ろから組み付いてくるのを溶けて脱出し、倒れた機体の足を掴んでブン回し、投げつける。どこまでも泥臭いインファイトだ。  そんな激戦の中、カンダは考える――さっきからずっと、ラジエラのことを考えている。  ――「博士が失敗した『脳の中身を転写する技術』、完成させようと思う。そうしたらあなたを人間に戻すね」  ――「あなたは普通に、人間として生きるべきだと思う。あなたはずっと頑張ってきたんだもの。それぐらいのご褒美があったっていいじゃない。……あなたのことが大事だから」  ――「あなたに幸せに普通に生きて欲しいの、私は。それが私の夢だから」  ――「あなたが人間に戻れても、ずっと友達でいてくれるでしょ。縁が切れるわけじゃないんだから」  ――「あなたが悲しそうだと、私も悲しい気持ちになる」  あの時。  もっと気の利いたことを返せたように思う。もっと正解に近い行動があったように感じる。後悔ばかりが生じてくる。  どうしてだろう。「そんなこと言うな、俺はずっとおまえの傍にいる」も、「わかった、ありがとう、人間に戻ってもずっと友達だぜ」も、不正解に感じるのは。そして「正解の言葉を教えてくれよ」と問い詰めるのは、もっともっと不正解なんだろう。 「縁が切れるわけじゃないんだから」と彼女は言ったけれど、カンダが人間に戻って島から出たら、もう二度とラジエラとは会えない気がする。 「これまでだって一人で生きてこれた。だから大丈夫」と彼女は言ったけれど、カンダ達がいなくなれば、この先ずっとラジエラは独りで生きていく気がする。 (ずっと……こんな風に戦い続けるのか? ずっと……ずっと……死ぬまで?)  通信はずっと繋がっている。なので、カンダにはラジエラ達のやりとりが聞こえてくる。 「――なあ、連中が狙ってるのはおまえの脳内にある技術なんだろ? だったらくれてやればいいんじゃないか? 交渉だってできるだろ、欲しいものが手に入ったら連中だって無駄に手出ししなくなると思うんだが」  簀巻きにしたイワシタルに腰かけて、力二はラジエラの背中に問いかけていた。 「そのせいで『博士』が起こしたような災禍が起きたら? 博士は膨大な叡智を持て余して破壊に走った。商会や他の人間がそうならない保障はない」 「それはたられば論だしよ、破滅したらしたでおまえには関係ないことじゃないか、この島に居れば終末戦争が起きようが安全だろうし、勝手に破滅した人類のせいだからおまえのせいでもないし」  力二がそう言えば、気絶していたイワシタルがようやっと目を覚ましたようで――「そうですよそうですよ」とウゴウゴした。 「商会の目当てはズバリ! 記憶転写技術です。事実上の転生、不老不死……人類は死という原罪を克服できる。『死』が市場価値を失えばどうなるか分かりますか? 破壊や殺戮の需要が消滅する! 殺し合うことが無意味になる、つまり恒久的世界平和が実現されるのですよ! 戦争も傷害事件も殺人事件ももはや地球上から淘汰される。その素晴らしさが分からないと言うのですか?」 「そうなるのが理想なんだろうけど。技術格差や利権問題で揉めるだろうね。結局、恩恵に賜われるのはお金持ちや権力者からだろうし」 「現状をよりよくできる術を持ちながら何もしないのは、技術を持つ者として怠慢では?」 「かもね。……だけど、私には『あの戦争』をリアルタイムで知っている記憶があるの。あの悲惨さを覚えている。瓦礫だらけの焼け野原、死体だらけの世界――腐臭と蝿で埋め尽くされた空気、淀んだ空、汚れた雨、飢饉、病、それでも殺し合って奪い合うことをやめない人類、絶望と厭世が未来を閉ざして、誰も彼もが世界を呪った……」  ラジエラは淡々と言う。強いて淡々とせねば、惨劇の記憶に押し潰されてしまいそうだから。 「……博士は自前の技術で馬鹿みたいに長生きしたけれど、もう戦争を『体験』した人は生きていないものね。私がここまで争いの勃発を恐れるのを、あなた達はよくわからないだろうけれど」  そうして、乙女は皮肉気に嗤った。 「『そこまで世界を憂いるなら自殺してしまえば手っ取り早いのに』ね、本当に。……理解しているのに死ぬのが怖くて今日まで生きているこの臆病こそ、私の最大の罪なのかもね」  突き詰めれば突き詰めるほど、「己はこの世界に居ない方がいい」結論に行き当たる。この出口のない思考迷路をどれだけ彷徨ったことだろう。  だけどどうしようもない。泣いても喚いても助けはこない、救われない。だからラジエラは表情を引き締める。 「レスバは以上でいいかしら? 私、答えなんて要らないの。……ただ、少し、あと少しだけ、それでも生きてみたいだけなのよ」  その言葉に、イワシタルは尚と反論せんとした。それを力二が小突いて黙らせる。 「結論が出てる人間を論破するなんて無理さ。暴力以外の手段ではな」  そして現時点の人類の暴力ですら、『博士/ラジエラ』の技術という暴力には勝てないのだ。  男共が静かになったところで、ラジエラはふと手を止め、モニターを見上げる。戦い続けるカンダを見つめ、マゼンタの瞳をかすかに細めた。それは遥かな星を見上げる人の、憧憬に似ていた。  ――商会の狙いは明確にラジエラの主義に反していた。そして商会は、こうして島に大規模攻勢を仕掛けられるほどの力を既に持っている。 (できれば、ステゴロ条約をずっと守っていたかったけれど)  ステゴロ条約を守っていると、自分が少しだけ善人になれた気がした。だけど商会に諦めてもらうには、綺麗事だけでは少々つらくなってきた。 (……生まれた時から悪人だもの。今更罪が一つ二つ増えようが――)  美しい指先がボタンを押した。  その瞬間、島より特殊な力場が発生する。  量産型ウドン達の機体が唐突に硬直した。そして痙攣しながら、どろどろの液体金属に溶けていく。  影響が発生したのはそれらだけではない。海上や空中で待機していた商会の航空隊や艦隊の機能を狂わせ不全にする。次々と乗員らが脱出を図る。 「なっ……なんだ!?」  カンダは周囲で起きた出来事に狼狽した。自分の身には何も起きていないので、ラジエラの仕業だろうことを察し取る。 『この島を、私が死ぬまで閉鎖しようと思う』  ラジエラからの通信。「閉鎖って」とカンダは状況が飲み込めないでいる。 『今までは……人類の“挑戦”を受けてきたけれど、もうそれを受けないってこと。誰もこの島に近付けないようにする。……ステゴロ条約違反にはなっちゃうけれど、私から能動的に何かをすることはないから、このことで世界が滅亡するような事態は起きないだろうし』 「……それでいいのか?」 『これでいい。というか、……最初からこうすべきだったのかもね、変な正義感とか出さないでさ』 「ラジエラ……」 『“ご苦労様”、戻ってきて』  その言葉で、カンダの戦闘モードが解除される。敵を殴り飛ばす為の形をしていた拳が、元のマニピュレーターに戻った。 「なあラジエラ、……記憶転写ができるなら、その逆というか、自分の記憶を脳から追い出すっつーか……消すことはできないのか? それで『博士』の記憶を消しちまえば……」 『頑張ればできるかも。だけど、博士の記憶を土台に私という自我は形成されている。土台を消してしまった私の自我がどうなるか――まっさらにリセットされたとして、それは元の私なのか、ちょっと疑問は残るところだね』 「うう……」 『気にしないで、あなたが気を病むことじゃないもの。これでいいの、これで大丈夫――もうあなたを戦わせる必要もなくなったんだから。あなたを安全に人間に戻す為の研究に専念できるんだし』 「あの……あのさ、あのさ」 『うん?』  カンダは俯き、拳を握り込む。肩が震えた。その足元を、波がさらっていく。背後には量産機との戦闘で倒壊してしまったコテージが見えた。男は深呼吸の真似事をして、ようやっとこう言った。 「うまく言葉にできねえんだ……もっと気の利いたことを言いたいのに……俺は頭悪いから……バカだから……もっともっといい選択肢があったはずなのに、いつも俺は何も言えない、言いくるめられちまう、論破されちまうんだ……もっと、どうにかしたいのに。おまえに笑顔でいて欲しいのに」 『……本当に、あなたは優しいね』 「そうかなあ……」 『そうだよ』  カンダはなんだか泣きそうになった。巨大なロボットの姿なのに、自分を酷くちっぽけに感じた。 「そうだ……約束、約束守らなきゃ、バラの花束を買いに行くって言ったんだ、買いに行かないと嘘になっちまう」 『――……、』  もういいのに、と言いかけて、ラジエラはその言葉を飲み込んだ。 『うん、……ありがとう。ついでにカニくんとイワシタルを町に帰すから、送ってあげて。私はその間に島を綺麗にしておくから』  砂浜の一部がせり上がり、空飛ぶリムジン2号が現れた。憮然とした力二と、まだ簀巻き状態のイワシタルと、『肉入り』になっていない子機が乗っていた。
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