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●6:口付けてくれ、我が悪女
あれからどれぐらいの日数が経ったか、カンダは数えていない。それなりには経ったと思う。
あの日から、あの青の境界線の向こうから誰かがやって来ることはない。戦闘がないのと……ラジエラがラボに籠って、カンダを安全に人間に戻す為の技術の研究開発をしているので、カンダはここのところずっと時間が余っていた。
だからカンダは、『子機』を使って地下ラボにいた。ラジエラがいない区画だ。「自由にしていいよ」と彼女からは言われているし、認証もパスできるようにしてくれているようで、自由にうろつくことができる。
地下ラボは広大だ。頭のいい人間が見たら「よく地下にこれだけ広い空間を……」と息を飲むことだろう。カンダはその一角、様々なデータを閲覧できるコンソールの前、パソコン初心者のような覚束ない手つきで操作を行っていた。熱心に閲覧しているのは、ウドンの情報だ。
カンダの脳は生体ユニットとしてウドンに接続しているので、自分の機能については本能のように『理解』しているのだが、原理までは知らない。そして知らない機能が多い。カンダは頭がよくない。活字を読むことは苦手だ。だが借りた電子辞書を使って難しい言葉を噛み砕きつつ、人生で一番頭を使って、ウドンの機能を学び続けた。
その過程で知ったのは、ウドンがかつてはとても攻撃的な『兵器』であったこと。放電、熱線、果ては毒ガスまで放つことができたという。後者二つは取り外されたが、放電については身体変形の一つとしての摩擦帯電がどうたら……と難しい理由でそのままとのことだ。ただし発動の為のコマンドはオフにされている。こんな感じで他にも「危なっかしいが、取り外せないのでコマンドだけオフにしている」代物がチラホラと存在した。
「はあ……」
今日もたくさんの知識を脳に詰め込んだ。天井を仰いで眉間を揉む。カンダの生体パーツは脳味噌だけで、肉体的な疲労は感じないものの、脳の疲労はシッカリ感じる。今日の『お勉強』はここまでにしよう。「ウドンモード、ゴー」と呟けば、砂浜で体躯座りをしていたウドンの機体に意識が戻る。
「お……もう夜か」
星空が綺麗だ。こんなに綺麗な星空は、都市では見られなかった。砂浜に寝そべってみる。脚を波が洗っていく。「はぁ~やれやれ」なんて独り言。
その時だ。傍らの砂浜がせり上がって、エレベーターからラジエラが現れる。いつもの薄い表情ながら、一日根詰めて集中していた人間の疲労が確かに滲んでいる。
「よ。お疲れさん」
「ありがと」
そういえばお互い、朝におはようと告げたきりだった。
「どう?」
顔の傍らに来たラジエラへ問いかける。件の研究のことだ。
「一進一退ってところかな」
伸びをしながら彼女は言った。「そっか、大変だな」とカンダは言葉で労う。前に詳しい内容を聞いてみたが、難しい言葉の羅列すぎて彼には理解ができなかった。
「もう寝るのか?」
「うん、シャワーとかしてからね」
「おやすみラジエラ」
「おやすみカンダ。ドック空けてるからね」
カンダはたまに砂浜で寝そべったまま寝ることがある。ロボットの体とはいえ野晒しで眠るのは……とラジエラの気遣いだ。「あいよ」と苦笑まじりに男は答えた。
そうしてまた日が過ぎて……。
カンダがウドンの機能を一通り把握した頃のことだった。
「――カンダ!」
その日、カンダは巨大ロボの姿で砂浜にいた。ぼーっと空を見上げていたら名前を呼ばれて、振り返る――ラジエラがいる、声を張るなんて珍しい、しかも昼間に顔を出すなんてもっと珍しい。
「どうした?」
「完成した!」
嬉しそうな笑顔。弾んだ息はエレベーターまで走ってきたからだろう。駆け寄ってくる。黒髪を耳に掻き上げる。
「……そっか」
何が完成したのか、聞かなくても分かった。ラジエラははしゃいだ子供のように、早口で件の研究の理論を説明してくれているが、カンダは頭が良くないので、その一端も理解できなかった。ただ、優しく相槌を打っていた。
――そして、彼女の説明が一段落した頃。
「なあラジエラ、キスしていいか?」
言葉は唐突に。ラジエラのマゼンタピンクの目が丸くなる。
「え? ……いいけれど」
「うん」
カンダは鋼鉄の掌を差し出した。乙女がそこに乗る。彼女を落とさないように持ち上げる。肉ならざる顔の前へ――ラジエラが顎を上げて上を向く、カンダは少し顔を傾ける――重なって、合わさる。
それを合図に戦闘機能がオンになった。カンダは込み上げた「ごめんな」を飲み込んだ。唇が離れた次の瞬間、カンダはラジエラを強引に掴むと、電気ショックを掌に流す。ウドンに備わっている放電機能の一端だった。
「がッ……」
ラジエラの身体がビクリと跳ねて、そして、ぐったりと弛緩する。
「……」
気を失った乙女を、カンダは黙ったまま砂浜に横たえた。
そして、洒落たコテージへ、その地下にある研究施設へと振り返る。美しい島の風景を束の間だけ見つめ……彼は拳を振り上げた。
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