●1:ハローサイアク

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「そ。博士はここで悠々と生き続けた。でも老いが博士を蝕み始めた。博士は永遠を望んだわ、古代の大皇帝のようにね。長く生きようと手を尽くしに尽くして五十年も抗ったけど、とうとう時間という死神が博士を追い詰めた。そして……顛末はさっき言った通り。博士の肉体及び人格は、死んだと言っていいんでしょうね」  言葉に感情は何も滲んでいない。客観的事実をそのまま告げているような感じだった。ラジエラにとって博士とは、どうにも好ましい存在ではないらしい。 「あんた、博士のことが好きじゃないんだな」 「最低としか言いようがない。クソ野郎。自分勝手で、世界中の人を巻き込んで、メチャクチャにして、人として許されないことをして、裁かれもしないで……結局謝罪もしないまま。人としてどうかと思う。だから未だに、博士を討ち取ろうとして襲撃がある」 「……でも、博士の人格は消えちまったんだろ? そのことを伝えちまえばいいじゃないか」 「伝えた。だけど、それでも記憶が――膨大な技術と危険な叡智が私の脳には刻まれているから。世の平和の為に抹消すべき、って。人格こそないけど、博士の脳内を移植された私は博士本人であるとも解釈できるから、大罪人として裁かれるべきだ、って」 「自首は……、しないのか?」 「……考えた、そんな手段も。だけど、私……『私』は、何もしてない。この世界にとって悪いこと、何もしてない。ここで生まれて……、そう、生まれただけ。息をしている、だけ。なのに罪があって邪悪で死ぬべきなんて、何か、おかしいとは思わない? 生きていることが私の罪? 生まれてきてはいけなかった? 生きたいと願うことは許されないの? そう考えると、酷く虚しくて悲しくて、胸にポッカリ穴が開くの」  身勝手でしょうけどね、と水平線に目を細めるラジエラ。表情は凪いでいるが、眼差しはどこか遠い。 「身勝手なんかじゃない」  マタイオスは被せるようにそう言っていた。思わず、マニピュレータでパラソルを――お子様ランチの旗でも取るかのように――砂浜から引っこ抜くと、ラジエラを覗き込んだ。 「ごめん、自首した方がいいんじゃねーのみたいなこと言って。生まれてきて、生きてるだけで悪くて、死んだ方がいいなんて、トチ狂った話だよな」 「――私が悪くないって言ってくれるんだ。初対面なのに」 「素性の知れない男を助けてくれたじゃねーか。初対面なのに」 「……そう。……ありがとうね。……パラソル、戻してくださる? 陽射しが眩しいわ」 「あ、ごめん、なんかつい取っちゃって」  元の場所にパラソルを戻した。そっと……ズレも指先で微調整。「ありがとう」ともう一度言ってから、日陰の彼女は続けた。 「一応ね、これでも贖罪の気持ちはある。断罪したい人達の気持ちも分かる。でもやってもない罪で糾弾されることへの理不尽も感じてる。……だから私は、せめて逃げたり隠れたりしないでここにいるし、ステゴロ条約に則って、ウドンだけを使って、できるだけフェアに戦ってる。――もしいつか、誰かが私を討ち取ったなら、それでもいいやって思ってる」 「……死んでもいいっていうのか?」 「しょうがないでしょう、私の『前世』のせいで何万と死なせてしまったんだから。それがせめてものスジってもんよ」  キッパリと言われてしまえば、何も反論できなくて。波の音だけが空白を埋める。マタイオスが気の利いたことを考えている間に――先んじたのはラジエラだった。 「それで――あなたのことも話さなくちゃね、約束だから」  ラジエラという乙女は、義理堅く律儀な性格をしていることがマタイオスにはよく分かった。彼女の言葉に頷いて、居住まいを正す。 「先に言うけど、ごめんなさいね。あなたのこと、何も分からない。満身創痍でここに流れ着いてたのを見つけた。集団から酷い暴行を受けた感じだった。意識はなかったからやりとりはできてない。身元が分かるような持ち物もない。男性で、二十代の中頃ぐらいかな。ちなみにウドンから出てるあなたの声は、声帯の構造から再現した。……骨格とかから判別できる顔は、こんな感じ」  ラジエラの言葉終わり、マタイオスに画像データが送信された。視界にホログラム映像のように浮かび上がるのは一人の男――浅黒い肌に脱色したような色の髪。坊主頭だが前髪と襟足だけスカしたように長い。青い瞳の目つきのなんと悪いこと、チャラチャラと顎髭まで整えちゃってまあ。耳には悪趣味にデカいピアスも開けて、もう、見るからに無頼漢、コテコテのチンピラだった。 「……」  マタイオスが黙り込んだのは、呆れるほど『しっくりきた』からだ。見覚えがある、と魂で感じた。
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