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プロローグ 鮮血のマリアベル
屋敷そのものは立派だが、豪華な調度品などはない。
家具はどれも質素で、客人用の部屋にすら、最低限のものしか置かれていない。
外観だけは素晴らしいが、中身はない。そんな家で、一人の青年が紅茶を口にしていた。
大きな窓からは庭が見えるが、手入れなどほとんどされておらず、荒れている。
だが、日差しはよく降り注いでおり、青年――アーロン・アークライトの金の髪が、柔らかな光を受けてきらめいていた。
アーロンだけを切り取るなり、背景を捏造するなりすれば、絵画のような光景である。
彼の見た目も動作も上流階級のそれで、こんな空っぽ同然の屋敷には似つかわしくない。
それもそのはずだ。彼は、この家の人間ではないのだから。
アークライト公爵家の嫡男である彼は、この屋敷で、ある人を待っていた。
「……また、なにかあったんだろうなあ」
約束の時間はすでに過ぎており、アーロンは小さくため息をついた。
待ち人は、よくトラブルに巻き込まれる。……否、自分から突っ込んでいく。
そんなところを好ましく思うが、いつか大変な目に遭うのではと思うと気が気ではない。
今だって、もしものことがあったらどうしようと、ハラハラしている。
そんな彼の心配とは裏腹に、ばん、と元気よくサロンの扉が開かれた。
「アーロン様! お待たせしてしまって、申し訳ありません!」
「ベル!」
それまで憂いを帯びていたアーロンの金の瞳が、ぱあっと輝いて……かと思うと、今度はびしっと固まった。
「ベル、血! 血!」
「え? そんなについてます?」
「ついてるよ! べったりと!」
「あー……。結構な群れでしたからねえ」
ベルと呼ばれた少女は、あはは、と苦笑する。
青みがかった銀の髪に、大粒の宝石のような空色の瞳。
鼻筋はすっと通っており、ほんのりと色づいた唇は小ぶりだ。
髪や肌の手入れはあまりできていないようだが、磨けば相当に光るであろうことが伺える。
しかし、磨かれる前の今だって、彼女が静かにほほ笑んでいれば、男はぽっと頬を染めるだろう。
だが、この状況なら、たいていの者は引く。
何故なら、彼女は簡素な水色のワンピースを、血で染め上げているからである。
顔や髪にも血がついている。
なにも知らなければ、事件や事故を疑うレベルだ。
「怪我は!?」
「全部返り血ですよ!」
慌てて駆け寄るアーロンに、彼女はどやあっと親指を立てる。
二人が近づいたことで、彼女の小柄さが引き立った。
男女の違いもあるとはいえ、この少女は女性の中でも華奢なほうなのだ。
「お待たせしてしまいましたが、魔物の群れはしっかり倒してきました!」
男の心配など知らず、少女はえっへんと胸を張った。
この少女、マリアベル・マニフィカは、貧乏伯爵家の娘だ。
マリアベルがまだ幼かったころ、マニフィカ領で魔物が大量に発生。
人々は危険に晒され、作物も荒らされる大規模な被害を受けた。
マニフィカ伯爵家は、私財を売り払い、借金まで作って領地と領民を守ったのだった。
そのときの影響で、今もマニフィカ家は立派な貧乏貴族だ。
そんな家だから領民には慕われており、彼らは助け合って暮らしている。
マリアベルは、魔法の才に恵まれていた。天才と言ってもいいだろう。
支援や回復系はやや苦手だが、あらゆる属性を使うことができ、特に攻撃系の魔法が得意だった。
10歳にも満たぬころ、自身に与えられた天性の力に気がついた彼女は、決意する。
もう二度と、領民をあんな目に遭わせないと。
自分の力で、魔物をみんなぶっ倒してやろうと――!
そうして、この血に濡れたご令嬢が爆誕した。
魔法使いであるため、剣士などに比べれば返り血は少ないほうである。
……相手の大きさや数によっては、今日のようにべっとりになったりもするが。
幼馴染のアーロンはこの光景にも慣れっこだが、他の令息には、ビビッて逃げられた過去もあったり。
いつの間にかついた二つ名は、「鮮血のマリアベル」。
伯爵家のご令嬢をそんな風に呼ぶのはいかがなものかと思うが、本人はあまり気にしていなかった。
むしろ、自分が血を浴びて領民を守れていることを、誇っているふしすらある。
本日も、元気に血濡れのマリアベル。
そんな彼女を前にしたアーロンは、本当に返り血だけだとわかると、ほっとした様子で「先に着替えておいで」と微笑んだ。
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