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 いつも通り、床の拭き掃除をする為じゃない。  ここでひとり、沖田さんが素振りをしている頃だとわかっていたから。  天才剣士と評される沖田さんは、人知れずこうして、弛まぬ努力をしていた。 「沖田さん!」  息を切らして、引き戸にしがみ付くような恰好になってしまった。  振り返る沖田さんはやっぱり驚いていて、その理由は今わたしの父が来ていて、近藤さんと話していることを知っていたからかもしれない。  どうしました? と、聞き慣れた涼やかな声で笑いかけてくれるのを待たずに、わたしは一礼して道場の冷たい床を踏んだ。  見上げるくらい背が高くて、あれだけ木刀を振っていても息ひとつ乱さない。  あなたのどんな瞬間も、好きで好きで、憧れてやみません。  只事ではないわたしの様子を心配そうに見つめる優しいあなたの、一番近くにずっといたい。 「……ずっと、お慕いしていました。お願いです、わたしをあなたの妻にしてくれませんか」  震える両手を握り締めて、下を向いていると涙が床に次々と零れ落ちた。 「修行中の身ですから」  それでも、伝えずにはいられなかった。  答えがわかっていても。  沖田さんは、誰よりも敬愛する近藤さんに、絶対に逆らいはしない。  局長の養子の嫁に、と決められたわたしを奪うなんて、局長への謀叛に等しい。  ましてや沖田さんは、わたしのことをどうとも思っていない。  好きだから、大好きだから。ずっと見ていたから、あなたの心がわたしにないこともわかっていました。  でも伝えずに葬るなんて、できなかったんです。  生涯ひとりだけの、わたしの運命のひと。  いつも笑っているあなたが、どんなお顔でいたのか。きっと困らせてしまっているから、怖くて顔を上げることができませんでした。 「ごめんなさい」  横を擦り抜けるあなたが遠ざかる前に、懐剣で首筋を切った。  結ばれずに彷徨う道を、生きて歩んでいくわたしは想像もつかない。  その後、死ぬことができなかったわたしは、局長の心遣いで他家へ嫁ぐことになった。  わたしの運命のひとはあなただったと、今でも信じているけれど、あなたの運命のひとはきっと近藤さんだったのでしょうね。  わかりますよ、剣士としての命をすべて捧げて尽くすあなたを、いつも眩しく見つめていましたから。
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