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 ひつじ雲がゆったりと漂うのどかな朝だった。ベランダで洗濯物を干していると、うすピンク色のハナミズキが目に入る。向かいにある橘さんの家の庭木だ。うずまきの形に編まれたレトロな座布団が並んでいる縁側は広い。そのすぐそばにある手製のブランコに腰をかけながら、橘さんが煙草をふかしていた。オールバックのグレーヘアと、水色のバラが入ったサテンのシャツが陽に当たってきらきらしていた。今日も素敵だなと見つめていると、橘さんがこちらに顔を向けたので慌てて部屋に引っ込んだ。  一ヵ月前から、はーちゃんとわたしは、藤波ハイツの二〇六号室で暮らしている。転校しなくて良いように学区内で新居を決めてくれたのだが、実家からは二キロ以上離れており、ママからは毎日連絡が来ていた。はーちゃんは全く返していないが、わたしは三回に一度は返信して、時々学校で渡された保護者用のプリントとかテストの答案用紙を渡すために実家に帰っている。引っ越してから通学に自転車を使い始めたので、同級生の中には気付いている子もいるだろうけど、特に誰も聞いて来ない。当然のことだ。わたしには親友と呼べる友達がいない。  数年前のことだけれど、わたしともっと仲良くなろうとしてくれた子がいた。一人でいる方が好きなので困ったなと思いつつも、自分に興味を持ってくれることのありがたさも感じていたのでしばらく行動を共にしていた。でも、ある日その子が「わたしたちは親友だから隠し事をしてはいけない」と言ったときに「それは無理」と即答してしまい、その子を泣かせてしまった。悪いことをしたと思ったけど、素直な気持ちだった。わたしには言いたくないことや言えないことが多すぎた。一方的に話してくれる分には問題ないのだけれど、わたしの意見や経験談を求められると、急に言葉が出てこなくなる。その子がそんなわたしを見て、傷ついた顔をするのが嫌だった。  その点、SNSの世界はとても楽だった。個人情報や属性を明かさなくても、気軽にコミュニケーションが取れる。わたしはSNSでなら、心置きなく両親に対する不満や愚痴を垂れ流すことができた。実際には口にしたことがないような汚い言葉もたくさん使った。SNSにいる人たちは同調してくれたり、慰めてくれたり、一緒に怒ってくれる人もいた。同じ学校じゃないから、友達じゃないから、彼らはわたしに誰よりも優しいのだ。彼ら・彼女らがいればわたしは特に困らないから、きっと親友と呼べるような友達は、これから先もできないだろうなと思っている。  スニーカーをはいていると、はーちゃんが起きてきた。大きなあくびで「いってらしゃい」と手を振りながらトイレに入った。カレンダーに青い印がついている。遅番の日だ。はーちゃんは、このあともうひと眠りするのだろう。わたしはナイキのリュックを背負って家を出た。前は学校が近かったからほとんど乗っていなかったけれど、いまは自転車に乗るのが好きになった。自転車に乗ると、ソフトクリームみたいな雲を見つけたり、新しいカフェがオープンすることに気付いたり、可愛いマルチーズとすれ違ったりした。これまでは歩きスマホばかりしていて、視野が狭かったんだなと思った。  お昼休みに購買で買ったあんぱんを食べていると、「昨日の怪しいダンボール、爆弾じゃなかったね。」という物騒な会話が聞こえてどきりとした。鼓動が早くなる。スマホを起動させて最新のニュースを検索した。元首相が襲撃された事件の被告が公判前手続きで出頭する予定だったが、奈良地裁に粘着テープで梱包されたダンボールが届いたことで延期になっていたのだ。開いた記事には、「ダンボールの中身は、被告の減刑を求める大量の署名だった」と書かれていた。わたしはいますぐ教室を飛び出したい衝動に駆られる。  去年の七月八日。奈良で元首相が襲撃された。当初は政治テロかと思われたが、犯行動機が明らかになると、メディアでは声高々に「宗教の闇」や「宗教二世」について連日報道がなされた。犯人の生い立ちや、宗教二世の苦悩などが語られるのを前にして、わたしとはーちゃんはぶるぶると震えた。ずっと隠れていたのに、ついに見つかってしまったと思った。どんなことがあっても人を殺してはいけない。それはわかっている。でも、この事件を冷静に見られる立場にわたしたちはいなかった。殺意とまではいかなくても、わたしたちが輝子様に抱いている黒い感情は確かに存在していたし、時間をかけて膨らみ続けたそれがいつか爆発する可能性はある。とても他人事には思えなかった。街の人のインタビューが流れていた。犯人の家庭環境に同情する声もあれば、何故自分を不幸にした母親本人を殺さないのかという批判もあった。はーちゃんが、テレビを見つめながらぼそりと言った。 「しんどいよな。」  わたしは何も言わなかった。何かを否定することも肯定することも、とてつもなく恐ろしかったのだ。  教室の中を見渡す。最近はパーテーションがなくなったけれど、コロナの影響で「黙食」の期間が長かったこともあり、わたしと同じように一人で食べている生徒もちらほらいる。同じ小学校から上がってきた子たち以外は、まだ話したことがない生徒もいた。わたしはこれまで、自分から誰かに「宗教二世」であることを打ち明けたことがないし、家庭の事情について同級生から詮索されたこともなかった。でも、実はもうとっくに知られていて、周りから気を使われているだけという可能性はある。  わたしの家には、よくわからない決まりがたくさんあった。誕生日プレゼントは、協会から「祝い物」として頂く輝子様のお言葉が印字されたキーホルダーやペンダントで、欲しいものを買ってもらったことはない。「水曜日はテレビ禁止」とか、「人前で歌ってはいけない(合唱不参加)」とか、ぬいぐるみは一人二つまで(新しいのを買うなら一つ供養しないといけない)とか、犬猫を飼ってはいけないとか、雨の日は家族で水族館に行かなければいけないとか……。もしかしたら、ルール自体にそこまで意味はなかったのではないかといまは思う。輝子様側からすると、自分が与えたルールが「家族のためになると強く信じて、徹底して守らせること」に意味があったのだ。おかしなルールだと思っても何となく言えなかったし、「うちの家ではこうだよ」というような話も絶対にしなかった。ママが普通じゃないことは、できるだけ隠さなければいけないと思っていた。
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