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 はーちゃんが用意してくれた家は、お風呂と洗面台は一緒だけど、2LDKで二人で住むには十分な広さだった。はーちゃんの部屋が七畳で、わたしの部屋が五畳。仕事で家にいないことが多いから、大きい部屋を使っていいとはーちゃんは言ってくれたけど、家賃を払っていない身なのでさすがに遠慮しておいた。ベッドを置いてしまうと狭く感じるので、布団を敷いて眠っている。実家から少しずつものを移動させているが、リラックマの枕とダイヤ柄のローテーブル、ふかふかの座椅子を置いたらもう満足だった。 「夏、ご飯できたよー。」  はーちゃんの声が聞こえて立ち上がる。無印のダイニングテーブルに、オムライスとエビのサラダ、オニオンスープが対称的に並んでいる。はーちゃん特製のオムライスは、卵がとろとろで絶品だ。とき卵の中にコーヒーフレッシュを入れているらしい。ケチャップライスの具は、ソーセージとミックスベジタブル。わたしはグリーンピースが嫌いなのだけれど、はーちゃんのオムライスだけはぱくぱく食べることができた。「夏は、ほんとにオムライス好きだね。」とはーちゃんが嬉しそうにわたしを見る。「はーちゃんのオムライスが好きなんだよ。」とわたしは念を押す。はーちゃんに作ってもらいたいから、オムライスのレシピだけは教わっていない。  二人分のお皿とスプーンを、青くて透明な洗剤で洗う。ミントの香りがふわっと浮かぶ。クマの形のスポンジできゅっきゅとお皿を回すのが楽しいので、わたしは家事の中で皿洗いが一番好きだ。どんどん食器が出てきたら、いつまでも洗っていられるかもしれない。それから、明日は古紙を出す木曜日なので、今からわくわくしている。はーちゃんはおしゃれが好きで、毎月数冊のファッション雑誌を買うので、一ヵ月経ったらまとめてわたしが捨てているのだ。ビニール紐をくるくる巻いて、きゅっと綺麗にまとめるのが楽しい。  洗い物を終えて手を拭いていると、はーちゃんが二人分の紅茶を入れてくれていた。最近わたしたちはオーストラリアの紅茶店「T2」にはまっていて、早めにネット注文して常にストックしている。現在のわたしのお気に入りは、「Fruitalicious」というクランベリーとかドラドンフルーツがミックスされた紅茶だ。甘い匂いを嗅いだだけで「ご褒美感」が強くて幸せな気持ちになる。はーちゃんのお気に入りは、「Melbourne Breakfast」で、バニラの良い香りがする。今日の紅茶のお供は、きなこくるみとドライマンゴー。 「実は、紹介したい人がいるんだ。」  はーちゃんは、照れくさいのか花柄の大きなマグカップで半分顔を隠している。 「えっ。もしかして、彼氏とか?」 「うん。まあ。」 「ほんとに?会いたい会いたい会いたい。」 「そっか。よかった。」 「いつから付き合ってるの?」 「去年の夏ぐらいかな。」  それを聞いて驚いた。あと数ヵ月で一年ということになる。わたしは、はーちゃんを見つめた。一年前と比べてはーちゃんは何か変わっただろうか。そういえば最近は、胸元にいつも同じネックレスをつけていた。シルバーのチェーンにブルートパーズと淡水パールが間隔を空けて交互についていて、何となく海を感じさせるアクセサリーだ。もう一年間もはーちゃんのそばには、はーちゃんのことを大好きな人がいたんだと思うと、何だか感慨深いものがあり、じんとしてしまった。 「はーちゃんよかったね。わたしも嬉しい。」  はーちゃんの彼氏を想像する。昔から顔は福士蒼汰が好きだと言っていたけど、それ以外の好みについては聞いたことがない。わたしは「好きな人」ってワードを聞くと、「富岡義勇」の顔しか浮かばないぐらい恋に疎い人間なので、単純にうらやましいと思った。  浅沼さんは、土曜日の夜に紙袋を持ってやってきた。身長が高くすらっとしている人で、切れ長の目を持つ爬虫類顔の人だった。米津玄師にちょっとだけ似ているかもしれない。紙袋から出てきたのは、「アイスdeヤクルト」という名前のアイスだった。数はなんと十二個。小さな我が家の冷凍室は、アイスでいっぱいになった。 「多かったかな。十二個でワンセットだったから、全部持ってきちゃった。」  はーちゃんがくすくす笑いなら、小さいスプーン二個と大きいスプーンを一個持ってきた。「はじめまして」とお互いに挨拶してから、三人でアイスを食べ始める。クリーム色のアイスが、舌の上でひんやりととろける。さっぱりしていて美味しいし、はーちゃんと浅沼さんが並んでアイスを食べているのが尊いなあと思って、わたしは一人でにたにたしていた。  浅沼さんは、オーバーサイズの黒のシャツを重ねて、上着をアシンメトリーなデザインに変形させていた。いわゆるモード系だ。この辺りではあまり見ない服装だったけど、メンズアパレルで店長をしているというので納得した。はーちゃんもおしゃれが好きだから共通の趣味で仲良くなったのかもしれない。 「何で知り合ったの?」  浅沼さんがアイスのカップに蓋をしてちらっと周りを見たので、はーちゃんが受け取ってゴミ箱に捨てる。 「わたしの職場で出会った。」 「BIG ECHO?」 「僕がよく行ってたんだよ。ヒトカラで。」  はーちゃんは、駅前のカラオケ店の社員として働いている。いつも割引券をくれるので、わたしもママと何回か行ったことがあった。 「ヒトカラ行ったことないです。」 「そっか。楽しいよ。」 「どんな歌、歌うんですか。」 「エルレとかバンプかな。あ、ELLEGARDENとBUMP OF CHICKENっていうバンドがあるんだけど。」 「バンド系全然わからないから、今度聴いてみようかな。」 「うん。良かったら。夏ちゃんは、どんなの聞くの?」  「夏ちゃん」と呼ばれて、少し緊張が走った。はーちゃんは、どこまでわたしたちのことを話してるんだろう。実家を出て、中学生の妹と二人で暮らしている時点で、普通の家庭環境じゃないのは察するだろうし、家に呼んだということは、宗教についてもある程度話しているはずだ。浅沼さんは、わたしたちのことをどう思っているんだろう。怖くはないのかな。 「わ、わたしは、『わたしは最強』とか。」 「え?」 「Adoちゃんのだね。」 「そうそう。ワンピースの映画の挿入歌だった。」 「ああ、いい歌だね。」 「うん。何か聴くとテンション爆上がりするんです。元気になるっていうか。」 「そっか。元気が出る歌っていいよね。」  浅沼さんは何回も頷いて、わたしに微笑みかけてくれた。それは、わたしがはーちゃんの妹だからなのだけれど、こんなにも優しいまなざしで見つめてくれる他人をわたしは知らなかったので、どんな顔をしたら良いのかわからなかった。  この日から浅沼さんは、時々わたしたちの家にやってきて、夜ご飯を食べて帰るようになった。出身が関西だそうで、キャベツもりもりの浅沼オリジナル「もつ煮込みのお好み焼き」を作ってくれたときは、感動するぐらい美味しかった。
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