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魔王の使い
そして新月の夜、迎えがきた。
いつも通り孤児院の食堂で薄めのスープとパンを食べていると、村が騒がしい事に気づいた。
シスターサマンサは、年長の子に下の子たちの面倒を任せてから、私を連れて外に出た。
夜道のむこう、広場には赤く燃えさかる炎が見える。
「っ大変! 火事でしょうか!?」
驚いた私の肩に、シスターサマンサが手を置く。
「……いいえ、違います。あれは悪魔の炎です」
重い口調で言うシスターを見ると、皺が刻まれた横顔の中に苦悩が窺えた。
それを見て、胸の奥がキュッと苦しくなる。
私が一番懐いていたのはシスタージェシカだけれど、シスターサマンサだって厳しさと優しさとで私たちを育ててくれた。
「この人を悲しませてはいけない」と、強く思った。
「シスターサマンサ」
もう一度呼びかけると、彼女はこちらを向く。
疲れを感じさせるその顔を見て、私は努めて明るく笑ってみせた。
「大丈夫です! 私が強い事はシスターが一番ご存知でしょう? 魔王なんかやっつけて、シスタージェシカを助けだして必ず戻ってきます!」
ぐっと拳を握って言うと、シスターサマンサは目頭を押さえて俯いた。
「……駄目ね。励まそうと思っていたのに、逆にあなたに慰められるだなんて」
彼女の華奢な肩は震えていた。
どんと構えたお婆ちゃんシスターという印象だったのに、いつもの頼りがいのある様子はなりを潜めていた。
目の前には、娘と思った孤児を魔王に渡さなければならない、無力な老女がいる。
どれだけ神に祈りを捧げても、こうやって生贄を求める魔王の前で、私たちはなすすべもないのだ。
どうにもできないのなら、せめていなくなる時ぐらいは潔く。
「……大丈夫ですよ。私、しっかりしていますもの。きっと、大丈夫」
遠くに見える火は、普通の火よりもっと不吉な色に見えた。
心の奥底にある原始的な恐怖を煽り、「あれに焼かれれば永遠に苦しむのだろう」と思わせる、不安と恐怖をあおる色だ。
不吉な色を見て、私の胸の奥がざわめく。
けれど、私は最後の勇気を振り絞って笑った。
「大丈夫です! 魔王なんて私が倒します! シスターはみんなと一緒に待っ……」
そこまで言って、私の言葉は途切れた。
シスターサマンサに強く抱き締められたからだ。
「ごめんなさい、アメリア。私たちを許して。シスタージェシカの時も、私はこうして大切な人を魔王に差しだすしかできなかった。大勢と一人の命を秤にかけて――、大勢を選んでしまいました」
苦悩に満ちた声で言う彼女は、体を酷く震わせていた。
空元気でやり過ごそうと思っていたのに、私まで涙ぐんでしまい、とっさにシスターサマンサを抱き締め返す。
「私が生贄となったのは、きっと神のおぼしめしです。私は悪い子でした。悪戯を沢山しましたし、村の子と喧嘩をしました。家族がいるくせに文句を言うあの子たちが羨ましくて、憎たらしくて、我慢できなくて暴力を振るいました」
言葉の通り、村の子供たちとも交流はあったけれど、生まれた時から両親の愛に包まれていた彼らと、親の顔を知らない私たちとでは天と地ほどの差がある。
彼らは自分の部屋やベッドを持ち、将来だって家の手伝いをしてこの村に留まる事ができる。
当たり前のものこそ、一番の幸せだ。
なのに彼らは『親がうるさい』だの『こんな家出ていきたい』だの言うものだから、私は腹が立って堪らなかった。
『お前は何をしても、怒ってくる親がいないからいいよな』と言われた時は、あまりの怒りで相手の少年の上に馬乗りになって殴ってしまった。
そんな彼らも、今は成長して大人な意見を言うようになったけれど。
「何回怒られても、私は醜い嫉妬心を消せませんでした。――だから、その心を魔王に見抜かれたに違いありません」
『隣人を愛しなさい』『罪を許しなさい』とシスターたちは神の教えを説く。
けど私は、神学校を目指してはいるけれど、聖人でもないただの人間だ。
数え切れないほど懺悔しても、この心の闇だけは晴らす事はできなかった。
だからきっと、神様が罰をお下しになられたのだ。
そんな私を見て、シスターサマンサは首を横に振る。
「人はみな神の子です。迷える子羊なのです。あなたがそう迷ってしまうのは仕方のない事。神様は人に試練をお与えになられ、人は試練を乗り越えて成長します。……ですが、今回の事は話が違います。あなたが罪悪感を覚える事はないのです。それだけはしっかり覚えていて」
シスターサマンサは私を見つめて言う。
私が頷くと、彼女は「祝福を」と額にキスをしてくれた。
そこに、松明を持った村人が近づいてきて声を掛けた。
「あぁ、いた! 良かった。魔王の使いがアメリアを探しています!」
これだけ私の事を思ってくれているシスターがいる。
勇気を出した私は、シスターに笑いかけた。
「……行ってきます。今まで惜しみない愛をありがとうございました」
うまく笑えたかな。
今まで沢山迷惑をかけたのに、これ以上心配させたくない。
最後だからこそ、そう思う。
村人と一緒に広場へ行くと、そこには真っ黒で豪華な馬車があった。
馬車の前には、浅黒い肌に白い髪、頭に角を生やした赤い目の魔族が立っていた。
村人たちは馬車と魔族から距離を取り、私が来るのをずっと待っていたようだ。
私の姿を認めて、いつも野菜を分けてくれるおばさんがエプロンで涙を拭った。
「あぁ、アメリア……。ごめんなさいね」
卵を分けてくれるおじさんも、目の端を光らせていた。
「孤児院の事は任せてくれ。必ず守ってみせる」
「……ごめんな」
私を守ると言ってくれた男の子は、皆の後ろにいた。
いいよ。怖いんだものね。私も怖いもの。仕方がない。
そう思って私は精一杯の笑顔を浮かべ、彼らに頭を下げた。
「今までどうもありがとうございました!」
それを皮切りに、女性たちがさめざめと泣き、男性たちは私から目をそらした。
最後まで私の手を握っていたシスターの手をそっと振りほどき、私はできるだけ背筋を伸ばして魔族に対峙した。
「生贄に選ばれたアメリアです。どうぞ、私を連れていってください」
「……承知いたしました。参りましょう」
魔族は馬車のドアを開け、私をいざなった。
馬車の車輪は炎に包まれて燃えさかっていたけれど、近づいても熱さは感じなかった。
「お手を」
馬車の踏み台に足をかけようとすると、魔族がそう言って褐色の手を差しだしてきた。
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