M1 シャって、ギュって、ジュって(雨ノ森川海『GIRL ZONE』より)

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M1 シャって、ギュって、ジュって(雨ノ森川海『GIRL ZONE』より)

 まるでストーカーみたいじゃないか。  運転する右の窓にちらりと視線をやりながら、譜久村(ふくむら)諒一(りょういち)はそう自問した。片手でハンドルを左に切り、ハザードランプを点滅させて車を路肩に停める。  我ながらなにやってんだろうと思う。実に情けない。  たった一度目にしただけなのに、たかだかスカートを握って回転しただけなのに、ましてや見も知らぬ少女だというのに。なにやってんだ、オレ。  譜久村は口元を覆っていたマスクを顎まで下げ、ジャケットから取り出した煙草に火をつけた。 「いた、いた」  数十メートルほど先に見える、掘っ立て小屋のような無人駅。そのプラットホームに、淡い陽光を浴びた制服姿の少女が一人で佇んでいた。チェック柄のマフラーに目元まで顔を埋め、両手を紺ブレザーのポケットに突っ込んでいる。弛んだショルダーベルトのリュックが背中というよりは尻の辺りに垂れ下がり、グレーのスカートは膝上までしかない。  五十の歳を過ぎた譜久村は、あれじゃ寒いだろうな、と憂い、そして同時に、いまどきの子は……、と吐き出す紫煙とともに独り言ちた。  車内に漂う煙草の煙を逃すために窓を開けると、乾いた光に絡まって冷気が吹き込んできた。  思わず首を竦め、薄目を開けながら車外を眺める。遠くに連なるピンネシリの山肌が真っ白な雪に覆われていた。  この時期、北海道は春の囁きを耳にしながらも、まだ冬の微睡の中なのだ。千鳥ヶ淵ではすでに桜が散ってしまったらしいが、ここには薄桃色に染まる景色はない。麗らかな日差しが訪れたと思えば、綿毛のような小雪がちらつく日もある。  北国の四月は、足音が近づきつつある春と居据わろうとする冬がせめぎ合っているように感じる。  譜久村がプラットホームに佇む少女をはじめて目にしたのは、五日前のことだった。単線の線路に沿って並行に伸びる真っ直ぐな農道を、けたたましいエンジン音のディーゼル車で通勤していたときだ。  利用客などほとんどいないはずの無人駅に、珍しく列車を待つ人影があることに気づいた。  コンクリートを荒く敷いただけの簡素なプラットホーム。そこに制服姿の少女がいる。  車の窓から見えた光景はほんの数秒ではあったものの、譜久村はどこかに引っかかりを感じた。  通学にしては遅い午前十時過ぎに、こんな場所から列車に乗る生徒がいるんだと思い、いや待てよ、いまはどこの学校も休校措置がとられているはずではなかったのかと疑念が湧いた。だが、それだけではない。少女の存在に妙な違和感を覚えたのだ。  なにかがおかしい。  譜久村はバックミラー越しに、小さくなっていく少女を見つめた。  固まってる。そうだ、固まってるんだ。  一人佇む少女の姿は路傍に鎮座する地蔵のようにぴくりとも動かなかった。  きっと寒さのせいなんだろうと自分を納得させ、譜久村は職場へと向かった。  翌日、いつもの通勤時間に無人駅を通りがかると、プラットホームには昨日と同じ位置に、同じ恰好で、同じ姿勢のまま少女が立っていた。なんら変わることなく、寸分も動かず佇んでいた。  その次の日も、次の次の日も固まった少女はプラットホームにいた。もしかしたら等身大の人形なのではないかとすら思った。  ところが五日目の金曜日、譜久村は咥えていた煙草を落としそうになりながらブレーキを踏んだ。  車窓から見えたプラットホームの少女は、静止していた画像が突然動画に切り換わったように変化したのだ。  それはリズミカルで空気を切るような動きだった。  シャって上半身を前に屈め、ギュって短いスカートを掴み、ジュって掴んだスカートを引き上げる。さらに右足を上げるや、くるりとターンした。スカートがプリーツごと宙に浮かび、長い黒髪が流れるように舞う。  後方からクラクションが鳴った。 「あぶねえだろうが。急に止まんな。こらぁ!」  トラックの運転手が窓を開けて怒鳴りながら、譜久村の車を追い越していく。  ここが交通量の少ない農道でよかった。譜久村は胸をなでおろし、車を道路脇に停めた。  振り返って少女を確認しようとしたとき、一両編成の列車が無人駅へ滑り込んでいった。  少女が列車の陰に隠れる。  車から降りて駅を見たが、列車がプラットホームを離れると、少女の姿はもうどこにもなかった。  そして今日も、仕事が休みである土曜にもかかわらず、わざわざ車を走らせ無人駅が見える路肩に停めてしまったのである。  譜久村は煙草を吸いながら外を見つめた。自分の行動が呆れるほど恥ずかしい。 「もしかしたら向こうだって、こっちに気づいているかもしれないんだぞ」  車の中で己に言い聞かせるように呟いた。  エンジンを止め、身体を深くシートに委ねる。つい二本目の煙草を取り出しそうになり、ポケットに無理やり仕舞い込んだ。  窓に顔を近づけながら無人駅を見やる。  プラットホームには固まった少女がいた。  どうしてこんなことをしてまで、あの子の姿を確認したいんだろう。  譜久村は頭の中で自分への理由づけを探した。つまりは絵本みたいなもんだ。いまさら絵本なんて読む気もさらさらないのに、何気なく捲ったページが飛び出す絵本だったりする。二次元だと思っていたものが突如として三次元の世界になったりすると、絵本の内容はともかく、ただ単に見たくなる。それと同じだ、と強引にまとめた。  譜久村はプラットホームに佇む少女を視界に入れながらしばらく待った。しかし、少女が動き出す気配はない。道路際に生え始めた雑草が風に揺蕩い、少し開けた窓から春の匂いがした。  前方から車両に黄緑と青のラインを施したキハ四〇系がこちらに向かって来るのが見えた。やはり少女は動かなかった。  プラットホームに入った列車が少女に覆いかぶさるように重なる。  数分停車したあと列車が動き出すと、そこには誰もいない無人駅の建物だけが残った。  その日を境にして、固まった少女の姿を見かけることはなくなった。  間もなく、無人駅を通っていた新十津川駅と北海道医療大学駅間の列車も目にすることはなくなった。一日一往復しかない、日本で一番早く最終列車が出発する単線は新型コロナウィルス感染防止にともなう緊急事態宣言が出されたため、予定していた廃線が急遽、三週間前倒しとなったのである。  プラットホームに佇んでいた少女の跡を追うように、二〇二〇年四月十七日に札沼線も姿を消してしまったのだった。
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