私のまほろば

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 大皿にこんもりと山のように積まれた唐揚げや、筑前煮、鰤の照り焼き。座卓の上にところ狭しと並べられた料理は、どれも甘塩っぱいにおいや香ばしい揚げ物のにおいを漂わせていて、ごくりと生唾を飲む。大皿の隙間を埋めるように並ぶマカロニサラダや青菜のおひたし、色とりどりの野菜のピクルスといった副菜も、どれも手がかかっているのを感じさせ、とびきり美味しそうだ。 「さすがハルくん! いつもながらお見事」  里莉ちゃんが隣に座る晴田さんの背中を叩くと、彼は誇らしそうに人差し指で鼻をかいた。 「従姉妹をしばらく預かるって聞いたときから、こうなるような気がしててん。里莉は料理はからっきしやもんなぁ」 「いや、そうだけど、そんなはっきり言わなくてもよくない?」 「なんや、それ。いつも自分で言うとるくせに」  晴田さんの横で顔をしかめて見せてから、「自分で言うのはいいんです。まぁ、いいや。冷めないうちに食べよう。ほら、なごちゃんも。はい、いただきます」と両手を合わせる。私が慌てて同じようにしようとする間に、山のてっぺんから唐揚げを箸でつまみあげ、口に放り込んだ。 「んー、サックサク、ジューシー。やっぱ唐揚げはハルくんのに限る」 「せやろ? なごみちゃんも遠慮せんで食べ」 「あ、ありがとうございます」  晴田さんが私の前に置かれた小皿に取り箸で唐揚げをのせてくれる。一気に賑やかになった食卓に慣れないまま、そっと唐揚げを齧ってみればザクッと小気味のいい音がした。  今日、牧場でとった昼食は里莉ちゃんが家から握ってきてくれた梅干しのおにぎりだった。「本当にごめんね。もっと立派なお弁当作ってあげられたらよかったんだけど」と申し訳なさそうに言う彼女に、私は朝ごはんと同じく、おにぎりでも何でも気持ちがすごく嬉しいことを伝えたのだけれど。  しばらくして、良いアイディアが浮かんだというような表情で里莉ちゃんは言った。 「料理は彼氏の方が得意なんだよね。そうだ。なごちゃんさえよければ、今夜の夕飯はハルくんに作ってもらおうかな。どう?」  里莉ちゃんの彼氏。知らない男の人が家に来ると思うと、正直なところ、緊張もするし愉快な気持ちにはなれない。お母さんの連れてくる歴代の彼氏たちは、誰も彼もが身体も態度も声も大きくて威圧感があった。だから断りたいと思ったのだけれど、里莉ちゃんの厚意溢れる物言いを無碍にするのも躊躇われ、頷くしかなかった。  そうして夕方、食材ではちきれんばかりに膨れたエコバッグを携えて家にやってきたのが、里莉ちゃんの彼氏であるハルくん――晴田陽平さんだった。この辺りの生まれではないのか、関西弁で親しげに里莉ちゃんと話す晴田さんは、背は高いものの、粗暴なかんじはしなくて密かに胸を撫で下ろす。  晴田さんはこれだけの料理を、あっという間に全部ひとりで作ってしまった。その手際は目を見張るほどだったのだけれど、それもそのはず、彼は最初にここに来た時に通った商店街の弁当屋ハマモトで働いているという。そういえば、ここまで乗ってきたのも配達に使っているらしいワンボックスカーだった。後部ドアには大きく描かれたカタカナのロゴ。  彼は里莉ちゃんに冗談を言っては大きく口を開けて笑い、彼女もまた顔をくしゃくしゃにして笑う。楽しそうな二人の雰囲気に、私も妙な緊張感はもたずに済んだ。  そんな二人の様子は食事中も健在で、里莉ちゃんは運動部の男子のように料理をもりもり食べながら晴田さんと軽快な言い合いを繰り広げている。 「そや、なごみちゃん、もう里莉の部屋は見た?」  不意に名前を呼ばれて、私は首を横に振った。 「里莉な、可愛いものが好きやねん。洋服もメイク道具もキャラクターグッズもなんでも、無節操に可愛いものなら集めたくなる性質なんやって」 「ちょっと、余計なこと言わないでよ」  呆れたような顔の里莉ちゃんを尻目に「今度、覗いてみ? 一階の奥の部屋。あっこ、すんごいことになってんで。部屋じゅう荷物だらけで布団の他は足の踏み場もあらへん」と、悪戯っぽく笑う。「苦手なんは料理だけとちゃう。整理整頓もやねん」 「あんたってやつは……」 「なごみちゃん、掃除はできる? よかったらここにいる間、ちょっと手伝ったってや」 「え、あ、はい」呆れたような怒ってるような里莉ちゃんを前に反応に困りつつ、小さく頷けば、晴田さんは「ええ子やねえ」と大きく頷いた。 「そんな私のことが好きなくせに! あのね、ハルくんは料理も整理整頓もダメな私を、ああだこうだ言いながら甲斐甲斐しく面倒見るのが好きなのよ。私と正反対できっちりしてるもんね。ハルくんこそ、そういう性質なの」 「おん。そやで? よかったなあ、家事の得意な面倒見の良い、優しい男捕まえて」 「誰が!」いつものことなのか、言葉に反して里莉ちゃんの顔には楽しげに笑みが浮かんでいた。はいはい、これ食べて落ち着き? などと言いながら彼女の小皿に煮物をよそってあげる晴田さんの鼻筋にも、可笑しそうに皺が寄る。  ――楽しいな、と思った。  目の前の二人が発する笑い声も、自然にこちらに投げかけられる言葉も。心が浮きたって、勝手に口角が緩んでしまう。料理を口に運ぶ箸も進むから、不思議だ。こんなに賑やかで、美味しい食事もあるんだな。  私の口から漏れ出た小さな笑い声を、里莉ちゃんは聞き逃さなかった。 「あ、なごちゃんまで笑わないでよ」 「ごめん、つい」里莉ちゃんの整理整頓ができないことを笑ったわけじゃないけれど。すべてを言葉にするのは、なんだか気恥ずかしくて。口をつぐんだままでいると、すかさず晴田さんが里莉ちゃんに言葉をかける。  ふと、何年も前のある夏の日の記憶が脳裏に浮かんだ。この部屋で座卓を囲む、おじいちゃん、お母さん、里莉ちゃん、里莉ちゃんのお父さんとお母さん。そして、私。座卓の上には今夜みたいにたくさんの料理が並んでいて、そこには大好きなスイカも、苦手だった山菜の煮物もある。  他の座卓には私と同じくらいの年頃の子供を連れた宿泊客の姿もあった。早々にお腹を膨らませて暇をもてあました私や他の子供たちは四つ並ぶ座卓の間や、縁側を歩きまわってお母さんに叱られたっけ。それをおおらかなおじいちゃんが「子供は元気があってこそだから」と宥めてくれる。その場にいるみんなが笑っていた。私の人生できっと最も楽しかったひととき。  こんな時間があったことを、私はすっかり忘れてしまっていた。  ひとりの食卓とは違う、絶え間なく交わされる会話。誰かと笑いながら囲む食事。私はまたこの家で、特別でない特別を改めて知ったのだった。
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