私のまほろば

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 とろとろと走るミニボックスカーの車窓の向こうを青々と茂った木々の緑や、時折現れる田畑が後ろへ流れていく。真っ青な空では造りものめいた入道雲がどっしりと存在感を放っていた。 「それ、あー、なんやったっけ。髪くくってる……まあええわ、それ、ゴム。里莉のやろ?」  運転席の晴田さんに問いかけれて、頷きながらうなじのすぐ上で髪を束ねているシュシュを両手で直す。かろうじて結ばれた短い毛先が人工芝のように固く、それとは正反対の柔らかでつるりとしたサテン地に指が触れると、なんだか胸がむず痒くなった。 「今朝、くれたの。可愛いねって言ったら、きっとなごちゃんも似合うよって」洗面所で髪を結う里莉ちゃんを褒めたら、すぐに引き出しからこのシュシュを取り出して私につけてくれたのだ。 『ほら、どう? いい感じでしょ? 似合うよお、可愛い!』そう言って笑ってくれた里莉ちゃんの顔は、気恥ずかしくてまっすぐ見られなかった。  可愛いらしい洋服やアクセサリーを身につけ、可愛いらしい車やバイクに乗って、可愛いらしいキャラクターグッズや化粧品を集める里莉ちゃんとは違い、私は何も女の子らしいものは持っていない。彼女とともに暮らすようになって二週間ほどが経ったけれど、いつも好きなようにお洒落やコレクションを楽しむ里莉ちゃんのことが、ちょっとだけ羨ましかった。もしかしたら里莉ちゃんは、そのことに気づいていたのかもしれない。 「おん。あいつの言う通り、よお似合っとるわ」  晴田さんは目だけでこっちを見てから、からりとした調子で言った。それがやっぱり照れ臭くて、またすぐに目を逸らしてしまう。リアウィンドウの向こうには、畦道をゆっくり歩く老夫婦の姿があった。  この二週間ほどの間、私は里莉ちゃんの提案で週の半分は牧場の手伝いを、もう半分は晴田さんの弁当配達の手伝いをして過ごした。牧場の手伝いといっても牛の餌となる稲わらを運んだり、簡単な清掃くらいの、ほとんど見学に毛が生えたようなものだったけれど。牛や牧場の仕事のことを何も知らない私に、里莉ちゃんも戸次さんも一つ一つ丁寧に説明してくれる。  ハマモトの配達の手伝いは、里莉ちゃんと晴田さんの二人でハマモトを切り盛りする浜本さんご夫婦に相談したうえで、私に提案してくれた。せっかくの夏休みを労働に割くのは微妙かもしれないけど、せっかくこっちに来たんだし、色んなことを経験しておくのも悪くないんじゃないかと思って、というのが里莉ちゃんの言葉だ。  晴田さんと接することも含めて最初は戸惑ったものの、彼の気さくさに救われ、徐々に気持ちもほぐれていった。それになにより、浜本のおじさんもおばさんも晴田さんと同じくらい、明るく親切だった。配達の手伝いだって、結局のところ晴田さんについてまわるだけで作業らしいことは何もしない。それでもお昼ご飯にと、いつも様々な種類の賄い弁当を持たせてくれるのだ。いつも、ひとくちサイズのチョコレートやソフトキャンディーと一緒に。  賄い弁当は、とびきり分厚くカットされたチャーシューが白ごはんの上でしっとりと艶めくチャーシュー丼や、柔らかくぷるんと揺れる巨大な卵焼きと脂ののった焼き鮭、からりと揚がったコロッケが入ったもの、出発前に晴田さんが揚げた衣がザクザクの唐揚げと海苔ご飯の入ったもの、生姜焼きと白身魚のフライ、筑前煮が入ったものなど、バリエーションに富んでいた。  なかでも私は特にチャーシュー丼のチャーシューが一番好きだ。このチャーシューはおじさんが仕込みから調理まで何時間もかけて完成させる、ハマモト創業時からの名物らしい。晴田さんが作る料理も、浜本のおじさんおばさんが作るお弁当も、食べる人のことを考え、手間暇かけて作られている。それが口にする度に、胸に響いた。  おじさんは私が配達に同行することが決まってから、自動車にクマのぬいぐるみを飾ってくれた。それは数年前から趣味になっているというゲームセンターのUFOキャッチャーで獲ったものだという。今も目の前のダッシュボードの上で小ぶりのふわふわしたクマのぬいぐるみが、つぶらな瞳でこちらを見上げている。里莉ちゃんのくれたシュシュと同じく、このぬいぐるみもまた私になんともこそばゆいときめきをもたらした。
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