ガラスの海のアルシエ

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5 ウートセス 「星がきれいだね、」  ルシエンサは膝をかかえて、空を見ている。  三個の流星が別々の方角に散ってゆく。 「星だけは変わらない、」 「何?」 「変わらないよ、」  ガラスの海は、夜の静寂の下で白々とした光を貯める、  その白さは死の白さだ。けれどもそこに悪意はない。それは死なのだ。良いも悪いもなく。そんなことがふと、思考の隅によぎる今夜。 「あまりにも多くが変化していくからね、」  僕もルシエンサのとなりで、  久しぶりに体をリラックスさせ、  散ってゆく流星の群れを、ただ見ている。 「ときどき変わらないものを見つけると、安心するんだろう。何かそれが、よりどころになる気がして」 「そうかもしれない、うん、」  ルシエンサは足元に視線を落とす。  そのあとは特に、何も言わない。 「そろそろ維持修復作業(メルカメント)に入る」  僕は体をわずかに動かす、 「もう?」 「いい時間だ。まだ星を見ていたい?」 「うん、いいけど、」  ルシエンサが顔を上げ、 「ねえアルシエ、」 「何?」 「眠る前にあれをやろう。三次元チェス(ウートセス)」 「まだ続けるつもり?」  僕は唇の端に小さな笑いを溜める、 「あそこから形成逆転は無理だと思うけど。それともあれかい? リセットして新規ゲームを?」 「もちろん前回の続きを。秘策があるんだ」 「前もそう言っていた」 「今回のは本当の秘策」 「どうだか、」  僕は肩をすくめ、  それから右肘を地面についた楽な姿勢をとり、記録貯蔵庫(メスメト)から、保留中のゲームキューブを引き出してくる。 「じゃ、アルシエのターン」 「一度君にゆずっても良い、」 「いいの? 油断は自己を滅ぼすかも、だよ?」 「勝てる自信がある。むしろ1ターン休止した方が有利な局面かも、だね」 「ん、どうだろ、」  ルシエンサは躊躇する、  しかし、やがてターン権を手に取り、 「じゃあ、行きます。5層のクトロロ部隊を上方4層へ。搭載兵器はそのまま不使用、」 「ふうん、」  僕は部隊移動を確認。左下翼のこちらの主力を誘おうとしている。陽動だろう。 「まだターンは終わっていないよ、」  ルシエンサが、不敵な微笑を浮かべて指を動かす、 「6層4THのカコット部隊、そのまま下方へ。7層5THのカコットと合流。その位置で待機、」 「悪くない手だ、」  僕はルシエンサの意図を読む。  そこから遠隔兵器でこちらのルギを攻撃する意図か。あるいはそれも陽動で、本命は8層のギルド都市制圧かもしれない。その可能性も捨てきれない。 「では行く、」  僕はすでに対処を決めている、 「5層3THのラトカ2、搭載兵器を使用。ターゲットは2層のウリネ都市。到達は3ターン後」 「え?」 「続けてターンをとる、」  僕はすでに何度となく描かれた戦闘プランを実施へとうつす、 「8層のギルド都市、ササリクを生産。16ユニットを2ターン内で」 「それは無理じゃ――」 「可能だ、」  僕は断言する、 「忘れた? 十五ターン前に、この都市の生産ラインに六つのオプションを付加した、そのうちの一つが、」 「ああ、わかった。わかったよ、もう、」  ルシエンサは、まだ少し不服そうだ。 「待ってね。次の手を考える、」 「秘策は?」 「だからそれもこれからだってば」 「嘘」 「もう、黙れば? 集中できない、」  ふくれっつらをするルシエンサ、 「7層5THのカコット、43まで後退。そこで守備待機、」 「埋設地雷に抵触した、」 「え? え?」 「戦果確認。カコット戦力は682から112へ。搭載兵器は効力消失、」  僕は淡々と事実を伝える。  この展開は、すでに12通りの撤退ルートで想定した。すべてのルートに、埋設地雷がある。次のターンで、残存カコットを包囲殲滅、それでこの層にある脅威の大半は排除されるはずだ―― 「休戦協定」 「もう休戦? 今夜はずいぶん早いね、」 「少し戦意を喪失した。また今度やろう。次回のスリープの前に、」  ルシエンサは、すでにゲームキューブから離脱している。やれやれ。いつも先に投げ出すのは彼だ、 「もう。少しは手加減したら?」 「加減して欲しい?」 「ん、」  ルシエンサは黙り込む、  その間に、また四つの流星が空を流れた。  もうすでに深夜と言っても良い時間。 「さっきの発言は取り消します」 「そう?」 「うん。全力できてほしい。そうじゃないとつまらないから」 「後悔しない?」 「後悔しない、」  ルシエンサは大きくひとつ、腕をのばしてあくびをする、 「そろそろ行こうか、」 「そうだね」 「維持修復作業(メルカメント)に移行」 「じゃ、またスリープ明け会おうね、アルシエ」 「そう希望する」 「何それ?」 「そうならない可能性も」 「永遠にスリープ?」 「あるいは、」 「あはっ。冗談、」  ルシエンサの声は、もうすでに、かなり遠い。僕の思考は鮮明さを失い、  さきほどまで見えていた星空も、灰色に滲んで、僕の思考は、僕が辺土(ルンド)と名付けた、色も重さもない空域へと昇華していく、あるいは沈下していく。  かわりに降りてくる彼、  維持修復作業中(メルカメンジ)の僕らにかわって世界と対面する彼。  僕はまだ彼の名前を知らない、  彼は遠くから大きく手をふって、  僕の視野の最後の領域、  さっきまで僕らがいたはずの、あの惑星(ほし)の夜まで、まっすぐに降りていく。  眠ろう。  僕は少し眠る。  ガラスの海のことも、今からしばらく、忘れる。そして――
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