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7 ウィタ
渓谷の底に降りると、空気が変わった。
「磁気フィールド?」
ラナク内蔵の急襲警報器が黄色の警告色に転ずる。僕はラナクを急制動、
落下するようにラナクから離れ、
最速動作で礫砂の斜面上に伏せの姿勢をとる。
「何があるの?」
ルシエンサが間延びした声で言う。
「それを今から確かめる、」
時刻は正午をまわったところ。
無色の太陽が頭上から、強力な熱を惑星の地表に叩きつけている。気温、摂氏187度。
僕は視野にあるものたちをひとつひとつ精査する。
陽炎のむこうで、黒褐色の岩石の壁が谷の両側にそびえる。その岩壁に沿うように、
暗青色の長大な構造物。
材料は、高密モルタルとエポリン樹脂の混合物。イハ期の産業軌道の遺構。鉱石を運ぶ用途に用いられたと推測。
軌道を先までたどった位置に、信号所のような外観の構造物。窓はない。土台の基礎組と高さ14メルの外壁は、損傷なくそのままそこにある。
渓谷に音はない。風もない。
地表から立ち上がる陽炎だけが、ときおり視界をぶらせる。
「誤作動じゃないの?」
緊迫感を欠いた声でルシエンサが、
「急襲警報器を軽視してはならない、」
「だけど何もないよ?」
「まだわからない、」
「ねえ、もういいからラナクを――」
ザッッ、
すでに、
僕は後方に飛んでいる、
しかしかわしきれない?
…ザッ、
…ジュッ、ジャズッ、
音と熱反応が交錯、
視界は暗転と明転をくりかえし、
混乱。
フォーカスがふたたび落ち着いたとき、
僕は谷間の別の地点に伏せている、
左の頬のあたりを焼かれた、
だけど皮下回路までは達していない、
「アルシエ?」
「声を出すな。微細なパルスにも反応する、」
「自動攻撃粒子? でも見えなかった――」
「視覚偽装している――」
そのとき立ち上がってくる、
同時に薄まってゆく自我、
ああ、
彼女がまた、降りてきたのか――
「アルシエ?」
「黙れ、」
「アルシエ?」
「黙れと言っている、」
私は繰り返す、
繰り返させるな白痴め。
索敵モード、
反応?
ひとつだ。
構造物に付属、
距離は210メル、
「ねえアルシエってば、」
「アルシエではない、」
「じゃあ誰?」
「戦闘者」
「声が変だよ。女になった?」
「白痴。索敵を妨げるな」
「ハクチって何さ?」
私はそいつを無視、
距離210、
先ほどの分離熱源、
あれは使い捨ての子機だろう、
二つあったが、二つとも熱を失っている、
まだストックが複数個ある可能性、
危険度89と判定、
背部の格納シュータから、
それを、
「使うの? もったいないよ、ウィタ」
「黙れ」
「もうあまり数がないのに、」
「黙れ」
「黙らない、」
そいつは、ひどく場違いな声で、
まだ私の行動を制止ている、
「いいか白痴、」
「ルシエンサ」
「いいかルシエンサ、」
私は伏せの姿勢を維持したまま、忍耐強く話かける、ひどい時間の浪費だが、
「敵の総戦闘力は不明。最大限に見積もるべき局面だ。よって、十分に効果が期待できるこれが――」
「あそこに誰かがいるかも、だよ?」
「いたら何だ?」
「破壊される」
「で?」
「『で』って言われても――」
「かわりに破壊されたいか?」
「否」
「では邪魔をするな」
「でも、」
「お前の懸念は理解する。あそこにあるのが思索する知的存在である場合、私の攻撃により、コンタクトの機会が消失、それに内在する記録情報も喪失――」
「そう、それだよ。わかってるじゃないか、」
「無意味」
「なぜ?」
「こちらの意図を確認せず、無警告で先制破壊を試みる。そのような非文化的意志を示すものに、どのような存在価値が?」
「それは――」
「存在価値などない、と即断する。それはむしろ、思索せぬ無機物より有害。よって排除するのが最善。それが最適防衛」
「極端だねウィタは、声は可愛いのに――」
「議論は終了。攻撃に転ずる。反論?」
「うーん、まだちょっと釈然としないけど――」
終わりまできかず、
私の右腕は、それを――分離式熱放射端子と呼ばれる――、計算上の最適空点にむけて投げる、
それははじめ正放物線を描き、途中で自己推進に切り替わる、指定空点に到達、そして発熱――
視界がすべて白色に転化。
続いてくる衝撃、
それから音。
鳴り続ける音。
すべてが終わったとき、
渓谷を塞いでいた両側の岸壁は複数個所で崩壊、一面に、黒と青の瓦礫が堆積する。その上にたちのぼる黒青色の粉塵――
「……産業軌道は?」
ルシエンサが、まぶしそうに眼をぱちぱちさせる、
「すべて破壊、」
「信号所は?」
「瓦礫に転化、」
「もう、ほんとにウィタ、キミは――」
「戦闘は終了した、」
私は再度、視覚内のすべての箇所を総点検、そこに敵性反応はなし。磁気フィールドも消失している。
「戦闘は終了した」
私は繰り返す、
「帰還する」
「どこへ?」
「わたしがいた場所へ、」
「それはどこ?」
ルシエンサが疑わしそうに、私の顔をまっすぐ見つめる。
私は長すぎる髪を後ろにかき上げ、
次に機会があれば、髪形を変更するべきだ、これはあまり戦闘向きではない、
「ねえウィタ?」
「何だ?」
「あれは何だったの? さっき攻撃してきたの――」
「正確な情報はない、」
私は体を起こし、
関節部他、主要パーツに異常がないことを再度確認する。頬の熱傷は軽度、
「おそらく歩哨、だったのでは?」
「何のための?」
「戦闘地域だった、ここは、」
私は記録集の中から情報を拾ってくる、
「大星震の前後、二つの対立する共和国間の要衝だった、この渓谷は。当時の自動戦闘機構の末端が、まだここで、存続していた。そのように推測する、」
「せっかく大星震を乗り切ったのに、」
ルシエンサが肩をすくめる、
「戦うことを、止められなかったんだね?」
「では私はゆく、」
私はルシエンサに背をむける、
「……また会える?」
「会わない方が良い、」
「……なぜ?」
「戦いの場所だ、私が降り立つのは、」
「ずっと戦ってきた?」
「そう」
「これからも?」
「おそらく」
「ねえウィタ、」
「何だ?」
私は最後に一度、振りかえる。ルシエンサの姿は、もう、ずいぶん遠い。
「ありがと、」
彼の声が、最後に私の耳に、
「助けてくれた。またいつかね。それまで元気で――、」
何と典型的な謝辞。なんと個性のない別れ文句?
私は内心で笑い、
次に機会があれば、もう少し個性的な、少しは気の利いた用例をいくつか教えてやらなくてはと考える、
それがその時の、最後の思考、
次にはもう、
「……ひどいな、これは」
僕はその場所で、しばし立ち尽くし、
しばらく言葉を探している、
「……説明してくれ、ルシエンサ。あれからここで、何があった?」
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