ガラスの海のアルシエ

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8 レージ  稜線を超えると、  はまっすぐに視界に入った。 「大きい、」  ルシエンサが驚きの息を吐く。  僕も同意する。  巨大だ。  全長は約2000メル。原型のないほど破壊された前部を合わせると、それ以上だ。  扁平四角柱の大型居住棟を16以上も搭載、  深い泥土の谷にのめりこむようにして、  は、視界を塞ぐように横たわる。  ラナクを慎重に操作し、急斜面を低速で降下、  僕たちはやがて、その船の、足元に立つ。 「避難船(レージ)――」 「2万都市に匹敵する。だけど見ろ、側壁の大穴――」 「ただの座礁ではない?」 「わからない。行ってみよう」    側面のいびつな破壊穴(ドレータ)から、  僕らは船の中に、足を踏み入れる。  匂い。  空気の組成が変わる。  足元に堆積した泥土。  居住区画の破壊は徹底している、もはやその場所には人間(ルン)の生活の影もなく。  あらゆるものが劣化し、酸化し、黒ずんだ組成不明の残骸の群、  堆積し、付着し、残存する、  座礁時に大きな火災か爆発を伴ったのだろうか。内陸6000陸里(マル)の泥土地帯に埋没したこの避難船(ふね)、 「だけどこれも、大星震を乗り切れなかったんだ、」  天井から垂れ下がる雑多なケーブルの残骸を見上げながら、ルシエンサがつぶやく。 「乗り切れた船など一隻もないよ、」 「もちろん知ってるけど、」 「あそこを上ろう。操縦区画(ナジュール)を探す」 「そこで何を?」 「何かを」  操縦区画(ナジュール)は、船体後部の上層階に位置していた。二時間以上かけて、僕らはその階に到達する。  この区画の破壊程度は、比較的軽微。  、ではあるけれど。  床の上に携帯式演算機(タプレイ)の残骸を発見、  指をかざしてデータをとろうとしたが、それは完全に死んでいる。 「中央制御脳(ジェネシク)は?」 「今それを探している」 「あの端末は?」 「排気系統だよ、ルシエンサ」 「じゃあ、あれ?」 「単なるデコレーションだ。おいルシエンサ、少し黙ってほしい。探索に集中できない、」  二十分かけて、  僕はようやく中央制御脳(ジェネシク)と連動する端末を発見する。それは床に厚く堆積した炭化した瓦礫の山の下に埋もれていた、 「接続は?」 「いや、」  数度の試行のあと、  僕は通常接続を断念する。  いかなる残存エナジも、そこには見いだせない。中央制御脳(ジェネシク)は完全に死んでいる。  それはそうだ。  これだけの熱破壊と海水浸食を受けて、それでも存続し続けるこの規模の中央制御脳(ジェネシク)など―― 「待って」  ルシエンサが僕を制止する、 「何?」  ふりかえると、  ルシエンサは焼け焦げたケーブルの束に耳を押し付け、そこに何かを、聞いているのか―― 「パルス」 「まさか」 「認識した」 「嘘」 「すごく旧式」 「いつ?」 「エルド期の技術、」 「航行記録装置(パドック)、」  僕は瞬時に理解する。  無エナジ状態が相当時間持続したあとでも、貯蔵情報を半永久的に失わない。事故調査用の、情報貯蔵アルバム―― 「接続したっ」 「すごいぞルシエンサ。たまにはやるね」 「静かに! 聞いて」  ルシエンサが目を閉じ、耳をすませている。  僕もそれに倣う。  微弱な原始なパルス。  野蛮で非効率、  だけど、どこかなつかしい。  温かい、と描写しても良い。  その古い微弱なパルスは、  伝える、  記録。  破壊の日々の。  ハッチを完全に締め切る時間も惜しんで、避難船(レージ)は航行を開始、  押し寄せる波、  波高は平均で7000メル、  。  すべての都市が、海面下に消える、消えていく、  選ばれた特権上層民をかろうじて拾い上げた避難船(レージ)、  滅びゆく惑星(ほし)の上、  猛り狂う波の上にかろうじて残された人間文明(ルノッカ)の残滓、  しかし、  十七日後に生じた大黒煙、  爆発の原因は不明、  瞬時に浸水、  下層の住人は事態を理解する間もなく溺死、  上層階に残された避難民は、  散り散りに、自動放出される救命艇(オック)に、  船は、  それでも、  救命艇(オック)の航路を、  考えられる限りの、想定しうる残存陸地の方位へと正確に打ち出し、ひとりでも多くの、  人間を、  愛すべき恒温生命(ナノノッカ)を、  生きて、(おか)へと、  わずかな可能性に望みをたくし、  船は、人間を、ひとりでも、  救い、  救いたい、  救いたかった、  船は、  最後まで、  救い、  人間を、  救いたく、  …………  最後の爆発が中央制御脳(ジェネシク)を死滅させ、  その轟音の最初の二秒が、  かろうじて、  航行記録装置(パドック)の最後の列に記憶されていた。  最後の列、 「船は、うん、」  ルシエンサが、言葉をつむごうとする。  けれども言葉は出てこない。  彼は、船が記憶した最後の音の残響を、耳の奥でまだ、聞きながら、 「救いたかったのだろうね、」 「うん、」 「心優しい船だった、」 「うん、」 「誠実で、忠実で、」 「……そして彼は、救えた、の?」 「どうだろう、」  僕は、船が示した最後の優しさを、  理解し、  理解しながら、  その、  彼が示した人間(ひと)への愛情を、  評価しながら。  言葉を探している。  もう死んでしまった、空漠とした避難船(レージ)の胎内で、  まだ僕は探している、  彼の愛の、その結果を。  彼は何かを救えたのだろうか?  幾多の失望と破壊の中で。  限りない喪失の渦中で。  彼は何かを、救えたのだろうか?  何かを?
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