3人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ
9 オルン
「暗いね、」
ルシエンサが低い天井を見上げる。
「十七回目、」
「え?」
「同じ言葉。同じ感想、」
「だって本当に暗いんだもの、」
右手に持った携帯灯が少し先の足元を照らす、
ひとつ角を曲がると急に天井が高くなる、それと同時に通路の暗さは少しやわらぐ。天井のどこかが崩落しているのだ。わずかに差し込む斜めの光が、地下の空洞をぼんやりと浮かび上がらせる。
「ねえ、戻った方がいいよ?」
「なぜ?」
「理由は、うーんと、わからないけど」
「怖い?」
「……少しね」
「危険はない」
「だけど、」
「しかし広いね、」
都市遺構。
この規模のものに出会うのは、何年ぶりだろう。当時の居住人口は、推定で80万。
地表の街区は例外なく破壊されている、
しかし、
その地下に存在する、長大な迷宮的通路網。街が生きていた当時は、壮麗な地下街だったのだろう。今は完全に、瓦礫と沈黙が支配する闇の領域だが。
最初に入り口を見つけたのはルシエンサ。
ちょっとだけ探検を。
そのつもりだった。
が、かなり深部まで来ている。
途中で見つけたからだ。
鉱石受容器に反応する、何か。
「もう一層下。かなり近い、」
「ねえ、もう帰ろうってば」
「キミだけ帰れ」
「できたらとっくにそうしてるよ、」
そして、最下層。
「人工照明、」
「まさか」
「見てあれ。ほら」
「信じられない、まだ生きた区画が?」
明かりのさす通路の最深部、
ひとつの扉をくぐると、
光が、
光――
四秒後、
僕の視野はその場所の光度にようやく順応する。
「円盤?」
「なんだろう?」
直径二十メルの、正円形の部屋、
ともされた天井灯が暖かな光を床に落とす、
部屋の床には、数多くの円形の構造物、
ひとつひとつのサイズは、直径1メル程度、透明の蓋部と、それを支える基部、
そのひとつに歩み寄り、中をのぞく、
「まさか、」
ルシエンサが深く息を吐く、
信じられない、と僕は言う。
緑の。
コロニー。
植物体。数多くの。
円形の容器の内部を、すっかり覆いつくして。生存する有機体?
「……ほんとに本物?」
「ねえアルシエ、あれを、」
そのとき視野に飛び込んでくる、
キューブ、正六面体、金属質の、
片手の上に乗る大きさ、
それは、無音無振動で中空を浮遊し、
なめらかな動きで、僕たちの視点の中央で静止、
「ヨウコソ、オクサマノニワ、エ」
「……君は?」
「ワタクシハ、オルン、ト、モウシマス」
「守護天使?」
「ずいぶんな名前をつけたね、」
ルシエンサが笑ってつぶやく。
「これは実物か?この植物体?」
僕はあらためて部屋をぐるりと見回す、
数にして24基。円形の、植物育成槽――
「スベテ、ジツブツデゴザイマス。スベテ、オクサマガ、オソダテニ、ナラレマシタ。トテモ、タイセツ二」
「奥様?」
「オクサマハ、オナクナリニナリマシタ」
「え?」
「オクサマハ、ナクナラレマシタ、」
オルンは繰り返す、
あくまで無機質な合成音声。
「イマカラ、ニヒャク、ニジュウロクネン、マエデ、ゴザイマス。オヒトリデ、シズカニ、イキヲ、オヒキトリニナリマシタ、ココデ、」
「そう――」
「イゴ、ワタクシガ、セキニンヲモチ、オクサマノシゴト、ヲ、ケイゾク、シテオリマス」
「仕事?」
「ハイ。ミドリヲ、マモルコト。ヒキツグコト。コノホシノイサン、ヲ、ツギノセダイ、エ」
「そうか、」
僕は腕を組み、
その女性の姿を想像する。
ここでひとりで、植物を育て。
ここでひとりで、植物を守り。
引き継ぐために。
彼女の世代が手にしたものを、
手にしていたはずのものを、
次の世代へ。
次の――
「ここが彼女の庭だったんだね。あるいはここが、世界で最後の本当の庭――」
「綺麗だ、」
僕は植物育成槽のひとつに顔をよせる、
羊歯植物の何かだ、
種類は僕には同定できない、
濃い緑の葉を茂らせ、
その隣にはまた別のコロニー。
蘭毛植物、
花と呼ぶにはあまりにも地味な、
淡い金色の綿毛を、
透明樹脂の天井の内側で、
しずかに、集めている。
それは極小の花畑。
暗き迷宮の最下層にひっそりと息づく、この惑星で最後の楽園、
「オクサマハ、ミドリガ、オスキデシタ、」
オルンが僕の肩の上方で静止する。
それは無音で水平方向に位置回転し、
それからまた静止、
「デスカラ、ワタクシモ、ミドリヲアイシマス。ワタクシガ、セキニンヲモチ、オクサマノシゴト、ヲ、ケイゾクシ、」
暗い地下街から地上に出る。
地上は光で溢れている、
すでに夕方が来ている。
巨大な夕陽が、ひとつ、
滅び去った八十万都市の上で、
鈍色の残照を落としていく、
「ねえアルシエ?」
「何?」
「えっとね、」
「だから何?」
ルシエンサは、まだ言葉をみつけられない。
まだ探している。
まだ探して。
歩きながら僕は、
やがて彼が見つける言葉を、根気強く待つ。
夕陽が崖の上にかかり、まもなくそれは、崖の向こうに消えて、夜を呼ぶだろう。
「僕たちは天国を見たのかもしれないね、」
ようやく言葉を見つけたルシエンサ、
それはだいたい、僕の感想と一致している。
「もちろん小さな天国だ、あれは、」
僕はうなずく、
「けれど天国に変わりはない。この惑星の上に、あの場所がある限り、」
僕はそこから遠景を見る、
崖の向こう、
夕陽はまだ、かろうじて消えずにそこにある、
「僕らもまだ、行く価値がある。歩く価値はある。そうじゃないか?」
「そう思う、」
ルシエンサが僕の手を握る、
僕はそれを、軽く、握り返す。
「もう少し先まで行こう、」
残照の地表に長くのびた、自分の影を僕は見る、
むやみに長く引き伸ばされた、僕であって僕ではない、その虚ろな残像(タウド)、
「そして見よう。何かを。それが何かは知らないけれど、」
「知らないけれど、」
ルシエンサがあとを引き継ぐ。
そう、
彼もまた、その言葉を知っているのだ、
「でも、そこには多分、良いものもある。そうでしょアルシエ?」
「そうだ。ただひとつでもそれがあれば、行く意味はある。あるだろう。そう希望するよ」
「ぼくもだ、」
そして。
僕らは肩をならべ、
光の失われた世界の上を、
語る者の絶えた、滅びの惑星の上を、
歩いてゆく。
歩く。
僕らのラナクがそこにある。
僕らはまたそれに乗り、
もう少し先まで行くだろう。
行こう。
僕らが行けるところまで。
その、まだ神々も知らぬ、どこかの場所まで。僕らは。
最初のコメントを投稿しよう!