8人が本棚に入れています
本棚に追加
きっと、父も、この未来は想像していなかっただろうと思うと、言って驚かせてあげたい気持ちでいっぱいになった。
「あれ。じゃあ、もしかしてお母さんも知ってた? このこと」
「もちろん。さっきの面談では懐かし話で盛りあがった」
「へえ、そうだったんですね。私だけ知らなかったんだ。絵のことも、アトリエのことも……」
少し冷静になった日茉莉は、ちょっとだけ疎外感を感じて、寂しくなった。
「教えてくれたらよかったのに」
「きみも、もっと正直になったら?」
日茉莉は藤宮の言葉にどきっとした。藤宮はまっすぐ日茉莉を見つめる。
「白崎日茉莉さん、率直に聞く。進路どうする?」
日茉莉は藤宮の真剣な瞳から、父の描いた絵に視線を向けた。
キャンバスの中にいる五歳の日茉莉は、いきいきとしていてた。光あふれる緑の草原の中、手を高く上げ抱っこしてとせがんでいる。こっちにきらきらした瞳を向けながら。
日茉莉は十年以上も前に描かれた、自分がモデルの絵に、そっと触れた。絵はとても凹凸があり、何重にも描きこまれている。澄んだ瞳にはやさしかった父の面影があって、日茉莉は、胸と目頭が熱くなっていくのを感じた。
「私、絵を描くことが、なりより好きです。描いた絵を褒めてくれる父のことも大好きだった」
ずっと、この幸せは続くものだと信じていた。だけど、父はこの世を去り、日茉莉は好きだったアトリエから去った。
住む場所を変え、時が流れ、身体は大きく変化した。だけど、どこにいてもどんな時でも絵だけは描き続けてきた。やめなかった。ずっと、今まで。
日茉莉は、純粋で正直だった五歳のころの日茉莉を、じっと、見つめ続けた。
「初めて100号の絵を完成させたとき、力を出しきれたって満たされたの。自分の中のすべてを燃やし尽くしたというか、すごく達成感があった。絵を好きなだけ描いて、受賞という形さえ残せば満足いくと思っていました。だけど、実際は全然違った。次はこういう絵を描きたいという気持ちがどんどん溢れて……」
身に染みて思い知った。
絵が完成するということは、もう、描けなくなるということだと。
「放課後、友達がカラオケやショッピングをして、お洒落を楽しんでいるのを見たり聞いたりしたときは、自分もたまには遊びたいと思った」
だけど絵を描くことを選んだ。
最初のコメントを投稿しよう!