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「頭が痛くて、気持ち悪くなるほど油の匂いを吸って、身体がくたくたになるまで絵の前にいたし、もう十分だった。本当はゆっくり朝だって寝たい。でもね、先生、私まだ……満足できないみたい」
自分以外の入選した作品もたくさん見た。その一つ一つに、こんな表現があるのかと目新しい手法に驚き、独創的な発想に嫉妬した。同じ年ごろのみんなの作品を見て、刺激を受けずにはいられなかった。
「就職するって言っておきながら私、全然覚悟できていなかった」
日茉莉は顔をあげると、藤宮を見た。
「……先生。私、もっと……絵が描きたい。触れたいし、知りたいってずっと思ってた! 自分を表現したいの。そして絵を、学びたい! 今まで見たことのない絵を、この目で見たい。感じたい。もっとたくさん出会いたい。先生、私、父のようにずっと……絵を描いて生きていきたい!」
『描きたい』と口にすればするほど、堰を切ったように思いが溢れた。
浮かんでは消えていくアイデアを、イメージを少しでも描き留めたい。表現したい。伝えたい。
もっと、もっと、私の奥で眠っているなにかを、
「絵に、想いを込めたい」
父が描いた絵には想いが込められていた。見た人の心に響く、願いがある。
日茉莉はこみ上げてくる涙をぐっと堪えた。そして、無理やり笑みを作った。
「でも、私、わがままですよね。絵を描きたいだなんて……。お母さんに今までどれだけ苦労かけ……」
脳裏に母の顔が浮かんだ。『絵を好きなだけ描いて』という母の言葉を思いだして、せっかく堪えた涙が零れてしまいそうだった。手をぎゅっと、爪が食い込むほどきつく握った。
「白崎さん」」
藤宮の手が、握りしめたままの日茉莉の手に触れる。
「きみのお母さんはね、きみの意見を尊重すると言っていた。でも、白崎さんが我慢していることも、本当は進学したこともちゃんとわかってたよ」
日茉莉は、ぱっと顔を上げた。藤宮と目が合う。
「わがままなんかじゃない。それは、きみの願いだ。きみの両親とぼくは、日茉莉さんの願いを叶えてあげたい。助けてあげたい。全部受けとめたいと思っているよ。だから、日茉莉さんはもう、我慢しなくてもいい」
日茉莉の心に届くように藤宮は言葉を丁寧に紡いでいく。
「大人になんてまだ、ならなくていい」
本心で言ってくれているとわかった。想いが伝わって、日茉莉の心は震えた。
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