虹色パレット

36/49
前へ
/49ページ
次へ
「頭が痛くて、気持ち悪くなるほど油の匂いを吸って、身体がくたくたになるまで絵の前にいたし、もう十分だった。本当はゆっくり朝だって寝たい。でもね、先生、私まだ……満足できないみたい」  自分以外の入選した作品もたくさん見た。その一つ一つに、こんな表現があるのかと目新しい手法に驚き、独創的な発想に嫉妬した。同じ年ごろのみんなの作品を見て、刺激を受けずにはいられなかった。 「就職するって言っておきながら私、全然覚悟できていなかった」  日茉莉は顔をあげると、藤宮を見た。 「……先生。私、もっと……絵が描きたい。触れたいし、知りたいってずっと思ってた! 自分を表現したいの。そして絵を、学びたい! 今まで見たことのない絵を、この目で見たい。感じたい。もっとたくさん出会いたい。先生、私、父のようにずっと……絵を描いて生きていきたい!」 『描きたい』と口にすればするほど、堰を切ったように思いが溢れた。 浮かんでは消えていくアイデアを、イメージを少しでも描き留めたい。表現したい。伝えたい。  もっと、もっと、私の奥で眠っているなにかを、 「絵に、想いを込めたい」  父が描いた絵には想いが込められていた。見た人の心に響く、願いがある。  日茉莉はこみ上げてくる涙をぐっと堪えた。そして、無理やり笑みを作った。 「でも、私、わがままですよね。絵を描きたいだなんて……。お母さんに今までどれだけ苦労かけ……」  脳裏に母の顔が浮かんだ。『絵を好きなだけ描いて』という母の言葉を思いだして、せっかく堪えた涙が零れてしまいそうだった。手をぎゅっと、爪が食い込むほどきつく握った。 「白崎さん」」  藤宮の手が、握りしめたままの日茉莉の手に触れる。 「きみのお母さんはね、きみの意見を尊重すると言っていた。でも、白崎さんが我慢していることも、本当は進学したこともちゃんとわかってたよ」  日茉莉は、ぱっと顔を上げた。藤宮と目が合う。 「わがままなんかじゃない。それは、きみの願いだ。きみの両親とぼくは、日茉莉さんの願いを叶えてあげたい。助けてあげたい。全部受けとめたいと思っているよ。だから、日茉莉さんはもう、我慢しなくてもいい」  日茉莉の心に届くように藤宮は言葉を丁寧に紡いでいく。 「大人になんてまだ、ならなくていい」  本心で言ってくれているとわかった。想いが伝わって、日茉莉の心は震えた。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加