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――先生はちゃんと生徒と向き合ってくれる。だから、信じられるんだよね。
「理由、教えたら、協力してくれますか?」
「もちろん。なんでもさせて!」
「先生、言いましたね? あとからやっぱりできないはだめですよ」
「先生に不可能という文字はない!」
「はいはい。ホント先生って調子がいいというか、子どもみたい」
「純粋な心を持った大人だと言ってくれ」
日茉莉は思わずくすっと笑った。さっきまで凝り固まっていた緊張が解けて、肩の力が抜けたのを感じる。
ここまで言ってくれる先生は他にいない。藤宮には打ち明けてもいいと素直に思った。日茉莉は進路調査書に視線を向けると、ゆっくりと口を開いた。
「……我が家の家計では、進学が厳しいからです」
言葉にしたあと、心臓がばくばくと暴れ出した。
教師といっても赤の他人。プライバシーにこれ以上踏み込んでこないだろう。という思いと、本心を晒したのだから踏み込んで欲しいという期待が、半分半分だった。
固唾を飲んで、藤宮の反応をまった。
「就職は日茉莉さんの考え? それとも、親御さんの考え?」
「私の考えです」
「そうか」と藤宮は神妙な面持ちで呟いた。
日茉莉の胸の鼓動は速いままで、言いわけするように言葉が口を衝いてでた。
「私は長女です。下に妹や弟がいます。家を出たい、仕送りや学費を払って欲しいなんて言えません。私は就職します。……家族を助けたいんです」
父を失ったあと、一家は住みなれた父親のアトリエ兼家を売り払い、狭いアパートへ移り住んだ。
母は早朝から晩まで働いて日茉莉たち姉弟を育ててくれた。
決して裕福な暮らしではなかったが、今まで不自由のない生活をしてこられたのは母親のおかげ。だからこそ日茉莉は、今度は自分が働いて家族を助ける番だと思っていた。下の姉弟たちには行きたい好きな道へ進ませてあげたかった。
「進学するために私は学校に来ているんじゃなく、絵を学びたいから来ているんです」
決意は揺るがないと伝えるために、日茉莉はまっすぐ藤宮を見つめた。
「先生、学生でいられるあと一年、私は好きな絵に集中したい。卒業したら働く。私の自由は残りの一年間だけ。だから…今だけは好きにさせて欲しい。絵を描きたい。今しかないんです!」
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