虹色パレット

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 学校が美大を意識した授業カリキュラムが売りの進学校なのは、理解している。  日茉莉自身、勉強は嫌いじゃない。だけど、進学が無理ならそのための時間をすべて、絵を描くことだけに使いたかった。  藤宮は、日茉莉が思いを口にしているあいだ、じっと視線を逸らさず聞いていたが、突然、張りつめていた空気を解くように、机の上に置いてあった分厚い黒色のファイルをバタンと両手で畳んで閉じた。 「白崎さんの気持ちはよくわかった。だから、今日の面談は終わりにしよう」 「……え?」  席に着いてからまだ五分もたっていない。それなのにあっけなく面談の終了を宣言した藤宮に驚いて、日茉莉は口をぽかんと開けた。 「いいんですか?」 「いいよ。早く美術室に戻って絵が描きたいんだろ。どーぞ、描いて描いて描きまくって」  さっきまで真剣な顔だった担任は今は笑顔をのぞかせ、飄々としている。  ――絵を描きまくることは望んでいたことだけど……。  もっと、進学しないことを反対され、説得されると思った。面談があまりにも簡単に終わってしまい、拍子抜けだった。  ――経済的に無理って言ったから、引かれたのかな……。  本心を晒したのにあっけない。少し、肩透かしを食らったような気持ちになった。望みどおり絵が描ける。なのに、なぜか心が晴れない。  日茉莉は心のどこかで、藤宮という大人に期待していた。もっと踏み込んで、親身になってくれると思っていた。  胸の中がぐちゃぐちゃのまま、日茉莉は席を立った。 「待って白崎さん。変な顔してる」 「へ? 変な顔っ?!」  あわてて自分の両頬を手で隠した。そのまま藤宮を見ると、にこやかに細められた瞳と目が合った。 「白崎さん、人はね、すべてを手にすることはできないんだ。なにかを選ぶということは、なにかを捨てるということ」  藤宮の言葉がすっと、胸に入ってきた。  どういうことだろうと、彼を見つめる。  日茉莉は、なにかを捨てるつもりはなかった。ただ、今という瞬間に、めいいっぱい絵が描ける道を選んだだけ。自分には見えていないだけで、なにかを取りこぼそうとしているのだろうか。 「よく言うだろ。人生は一度きりだって。白崎さんがちゃんと自分の気持ちを見つめ、決めたことなら堂々とすればいい。ぼくはそんなきみを全力で応援する。だから、そんな顔をしない。今は思う存分、好きな絵に集中して」 「……全力で応援って、おおげさです」 「おおげさじゃないよ。本気で協力するつもりだ。きみはこの一年で絵を描きたい。学びたいんだろ? ぼくはこれでも教師だからね。残りの一年で絵についてすべてを教えるのは無理だけど、力のかぎりを尽くすと約束しよう」  藤宮はにっと笑って続けた。
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