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「白崎さんは受験対策をしなくていい。でも、だからって勉学を疎かにするのはダメだ。やることはやる。……そうだね。必修科目は常に85点以上をとること」
「85点以上とれば、受験勉強しなくていいんですね?」
「そう、絵を描きまくる条件だ。これだけは守ってもらう」
必修科目を常に100点満点なら厳しいが、85点がボーダーラインならできないこともない。
進学校のため、合格者は多いほうがいいはずなのに、藤宮は日茉莉の気持ちを尊重し、優先しようとしてくれていた。
「先生、ありがとう。私、いっぱい描くね!」
もう、迷いはなかった。日茉莉は勢いよく頭を下げると、教室を出た。ドアを、ぱたんっと閉じる。
――力のかぎり尽くす、か。藤宮先生、やっぱりいい人。
進学は、経済的に厳しいとプライベートな話をするのは勇気がいったが、藤宮を信じて、打ち明けてよかった。
廊下の窓の外に視線を向けると、抜けるような青空が見えた。小鳥が数羽、渡っていく。
「最後まで、がんばろう」
身体が軽い。まるで背中に羽が生えたみたいだ。心を弾ませながら日茉莉は、廊下を駆けていった。
*
「ただいまー、日茉莉、日向、向日葵お母さん帰ったよー」
その日の夜、妹と弟が食べたご飯のお皿を日茉莉が洗っていると、仕事を終えた母親がくたくたになって帰って来た。
「お母さんおかえり。ご飯作ってるよ。食べる?」
「いただくわ」
母を笑顔で迎えながら日茉莉は、彼女の分の食事を温めはじめた。
「ねぇ、日茉莉。今日行けなくてごめんね。面談はどうだった?」
母は着替えもせずに荷物だけ椅子に置くと、娘の日茉莉が立つキッチンに来て訊いた。
「進学しないって伝えた。今は絵に集中したいからって伝えたら応援するって」
今日の夕ご飯はカレーだ。日茉莉はなべの具を掻き混ぜながら答える。
「あら、そう。藤宮先生が…」
母はキッチンに立ったまま視線を、リビングに飾ってある『ジャスミンの絵』へと向けた。そして、もう一度、日茉莉に視線を戻すとほほえんだ。
「お父さんが生きていたら、きっと、日茉莉が決めたことなら反対しないって言ってたと思うの。あなたは自分の好きなことをがんばりなさい。お母さん応援してる」
日茉莉の進路について、母は進学しなさいとも、就職して家計を助けて欲しいとも言わなかった。ただどうしたいかだけを何度も聞いた。
同時に、「もう自分のことは自分で決められる歳。後悔のない選択をするように」と口すっぱく日茉莉に繰り返し言った。
「あなたは父親に似て頑固だから……。無理だけはしすぎないでね」
「はーい、無理せず頑張りまーす」
日茉莉は母親のためにご飯をよそいながら返事をした。
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