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駆ける.2
「秋宮! 秋宮、どこだよ!!」
走り出した秋宮を暫し見失っていた俺は、体育館裏の洗い場に秋宮の姿を見つける。秋宮は蛇口から大量の水を流し、必死で顔を洗っている。
でもその水音は秋宮の嗚咽をかき消すには威力が足りなかった。
「秋宮? ……まさか……秋宮って、夏都が好きだったとか……?」
あのシーンを見て泣き出す理由はそれぐらいしか思い当たらない。
「秋宮? そりゃ好きな人の告白現場とか見たらショック受けるのは当然だけど、あれだ……」
あれってなんだよ! 自分! もっと上手い言い方が……本当に物書きで稼いでいるのか?!
くそっ! 言葉が見つからねぇ。
「違う……」
天を仰いで、一翔に向ける言葉を探していた俺に、小さな悲鳴のような言葉が聞こえてきた。
「違うよ! 私が好きなのは春日さんなの!!」
「は……春日?」
一瞬虚を突かれ、俺は夕方の空から一翔の背中に視線を戻した。
「私、一年の時からずっと春日さんが好きだったの!! 今でも好きなの!!」
蛇口から迸る水流にぶつけるように、胸のつかえを全て吐き出そうとでもいうように一翔は言葉を発していた。
そこまで聞いて間抜けにも俺はやっと春日が『一翔はレズ』だと言ってたのを思い出した。
「ずっと、ずっと好きなの。
春日さんにイジメられてるのも、春日さんが私なんか世界から消えてしまえって思ってるのも、私の存在が許せないって思ってるのも、わかってるの。それでも春日さんが好きなの。ずっとずっとこの気持ち消せないの!!」
一翔の肩が震えていた。恐ろしく、震えていた。そのまま、一翔が内からの衝撃に粉砕されるんじゃないかってほどに。
「おい! 秋宮!!」
俺は慌ててその肩を掴んだ。その震えを止めないと、一翔が壊れてしまうと思って。
一翔が振り返る。そして叫んだ。
「カケルさんの本だって、もしかしたら私がカケルさんの本読んでるって春日さんが気づいたら、もう一回話しかけてくれるんじゃないかって、そんなバカみたいなこと考えて読んでるの! 昔は純粋にカケルさんの話が好きだったのに。今はもう本当に好きで読んでるのかもわからない!」
俺は、泣き叫ぶ一翔を……一瞬の躊躇の後で抱きしめた。
「生きるのが全部がそうなの! 朝起きるのも、学校に行くのも、春日さんに会いたいからだし、勉強するのだって少しでも春日さんに近づきたいからだし、学園祭の問題作るの頑張ったのも、クラスに貢献できれば春日さんの評価も変わるかもって、そう思ってやっただけなの!」
俺の腕の中で、一翔の体が震えてる。一翔は泣きながら言葉を嘔吐し続けていた。俺が今まで晒された経験のない、剥き出しの感情の発露だった。
「なんで!? なんで!? なんで忘れられないんだよ! 私、なんでなの!?」
秋宮は自分の叫んでる言葉が、かなりリスクのある話だってその危険性すら、忘れていた。
「春日さんが好きなの、忘れたいんだよ!! でも、忘れられない。バカみたいだ、私!」
ああそうか。一翔もまた深淵を覗いているんだ。間違いなく一翔は今、自分自身という深淵を覗き込んでいる。
そして、深淵から返ってくる、視線の強さに飲み込まれそうになっている。
「バカみたいだよね……春日さんが私を絶対に認めないってわかりきってるのに!!」
「あき、みや……?」
俺は、どうするべきなんだ? 慰める? どうやって? なんて言って?
秋宮の持ってる恋愛嗜好は『普通』とは違う。また次がある? 実際秋宮には次があるのか?
一翔が好きなのは春日? それとも女の子? それとも、女の子の春日? どれにしても。
そりゃ、同性愛に寛容な社会になってるってニュースは耳にする。でも、自分の隣の人間が同性愛者だって言われて躊躇いなく受け入れられる人間はどれくらいだ?
同性に愛されて受け入れられる人間はどれくらいだ?
一翔がそんな相手に巡り会える可能性はどれくらいだ?
わからない。
安易に言った慰めの言葉が一翔を傷つける可能性はどれくらいだ?
それに、もし、今の一翔の告白が誰かに聞かれていたら……秋宮が学校でさらに孤立する可能性はどれくらいだ?
わからない。
多分、春日は一翔に好きだと言われて、それが受け入れられなくて、一翔をイジメていた。
その理由がもし他人にバレたら……。一翔はどうなる?
今以上のイジメに晒されるんじゃ?
「秋宮、秋宮。とりあえず落ち着け。な? とりあえず泣きやめ。こんなところ誰かに見られたら、明日から学校中の噂だ」
あやすように背中を叩くが、一翔は一向に泣き止まなかった。
慟哭が嗚咽に変わり、嗚咽が啜り泣きに変わるのを俺は待っていた。
「秋宮。仕方ないよ、」
言いかけた時、人の気配を感じ俺は首をねじった。そして、ギョッとする。
体育館の陰から、春日と夏都が顔を出していた。二人も驚いたような顔で、俺が誰を抱きしめているのかを見た。そして、夏都は面白いおもちゃを見つけたって顔になる。
けれど。……その時の春日の浮かべた表情を俺はずっと忘れられないだろう。
まさに、憎悪。
その一言を体現したようなモノ。
春日が何も言わず身を翻し、一瞬遅れて夏都がその後を追う。
二人が去っていくのを確認しながら、俺はその場から動けなかった。
本当は、抱きしめている言い訳を言って、口止めをしなきゃいけないって頭では理解していた。恋愛感情じゃなくて、友人として慰めていただけだと。
でも説明し出したら、一翔が春日をいまだに好きだって事実を隠し切れるか自信がなかった。
……いいや。本当は春日の憎悪の視線を受け止めきれなかったんだ。
あんな顔を、目つきを、同級生がするなんてすぐすぐには信じられなかった。
正直に言おう。俺は春日が本気で恐ろしかった。憎悪を駆けるその瞳が。
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