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かける.1
学園祭の振替休日も終わり、二日ぶりに登校した教室は嫌なざわめきが支配していた。
クラスメートの視線が一箇所に集中している。その視線の向く先はすぐにわかった。
一翔だ。
一翔は自分の席で背中をこわばらせ、必死に何かに耐えていた。
なんだ? どうしたんだ?
俺はカバンをロッカーに置くと一翔に近づこうとして、その前にクラスメートに取り囲まれた。
「おい、冬麻! お前、秋宮がレズだって知ってたのか?」
「噂って本当なの?」
「秋宮さんが女の子好きだって、学校中の噂になってるよ!」
口々に質問が浴びせられる。
「え? ちょっと待てよ。噂?」
「うん。昨日学校のSNSで怪文書みたいに回ってて」
「冬麻君は何か知らないの?」
「秋宮さんと仲いいでしょ?」
噂? 一翔が同性愛者だっていう? 誰だ? 誰が流した? いや、この話知ってるのは俺と多分……春日だけだ。情報の発信源はきっと春日だ。
それとも、体育館裏の告白が誰かに聞かれてた?
でも、この噂、間違いなく悪意を含んでる。一翔に悪意を抱くとしたら……春日しかいない。
俺は、体育館裏で春日の顔に浮かんだ憎悪をまざまざと思い出していた。誰かが面白半分に噂を流したってよりも、何かの意図があって流れていると思った方が。
でも、そんな事より噂を消す方が大事だ。どうする? 何をどう言えば……。
そこで、選択肢が二つ浮かんだ。
一つは、彼女はクラスに好きな男がいるって言ってた。だから、噂は噂だと軽く流す。
もう一つは、俺の学校内でのあり方を全く変えるものだった。
そう、俺と一翔は付き合ってる事にする。
学園祭の後、一翔を家に連れていったのは事実だし、恋人だって装えなくもない。
それにあの時教室で、一翔を送っていくよとクラスメートの前で言ったのだ。付き合ってる、少なくともその寸前だって、偽装はできる。
でも、そう言ってしまえば、もうクラスの空気ではいられないだろう。
レズだって噂がある女の子と付き合ってる。その視線に耐えられるか? 俺は。
でも、このままじゃ一翔が……自分の恋愛の嗜好を他人にばらされるのはかなりのダメージだって聞いた事がある……一翔にとってどうかはわからないが、それでもここまで噂になれば内気な一翔にその圧力は……。
「気持ち悪いよ。だって更衣室同じなんだよ? やらしい視線でみんなの体、見てたの?」
「信じられない」
ヒソヒソ話が聞こえてきた。一翔にだって聞こえているだろう。
足元に深淵が広がった気がした。それに気づかないふりをするか、飲み込まれるか、深淵を見つめ返すか。
自分のルールと人の精神。どっちが大切か、わかりきっているだろう!? そうだろ、俺。
俺は、決心して息を吸った。
「そんな話、嘘だろ。だって俺、秋宮と付き合ってるもんな」
吐き出す声が震えないように自分をコントロールするのにだいぶ力を使った。それでも、周りの空気が一瞬で塗り替えられる。
「は? 付き合って、る?」
「ああ。一昨日告ってOKもらったんだ」
もし、あの体育館裏を誰かに見られていても、俺が一翔を抱きしめていたのは事実だ。なんとか誤魔化せるだろう。通じろよ。
「え。本当なの?」
「ああ。ほら、学園祭後に二人で一緒に帰ってただろ」
「そ、そうなんだ」
「なんだ。やっぱり出どころ不明の怪情報だったんだね」
「本当、びっくりしたぜ」
クラスメートたちは半信半疑だ。だから、俺は一翔に近づいた。
「なー秋宮。俺たち付き合ってるよな?」
一翔。調子を合わせろ! 俺は心の中で思いっきり念じていた。表情の抜けた顔で俺を見上げてきた一翔に必死で笑いかける。
「秘密にしとこうって話してたのに、あっさりバラしてごめんな。でも、あんな噂が……」
「あ……冬麻君……あの、わ、」
一翔が何かいいかけたのを遮って、春日がその場に降臨した。本当に、瞬間的に現れた。
「翔くん。それって本当?」
俺と一翔を睨みつけて、春日が仁王立ちになってる。クラスメートたちがはっきりと怯えた。
「違うよ、春日さん! 私、冬麻君とは付き合っていない!」
必死で首を振って一翔が言う。やめろ! 一翔! このままじゃお前が餌食だ!!
「やめろよ、秋宮。昨日OKしてくれただろ?」
俺は、深淵に落ちていく一翔をなんとか捕まえようとした。
「違う!」
一翔が悲鳴をあげる。くそ!!
「どう言うことなの? どっちが嘘をついてるの?」
俺は仁王立ちになった春日の手首を掴んだ。一翔をこの場に置いとくのはかなり心配だけど、この春日をどうにかしなければ、この噂がさらに酷いものになるだけだ。
逆転の手は、この噂を流した春日を説得して、噂を消し去るしかない。
「ちょっと他所で話そう、春日サン」
俺はそう言うと、春日を人気のない渡り廊下まで引っ張っていった。
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