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かける.4
「なら、俺が彼氏役をやるよ」
数秒間をおいて、一翔が顔を上げた。
「ご両親に、彼氏がいるって言えばいい。それが一番いい解決方法だろ? 秋宮がご両親に彼女ができたって報告できるようになるまで、俺が彼氏役をやってやるよ」
一言一言、区切るように俺は一翔に告げた。これが、少しでも一翔の力になれれば。
「なんで……? 私に……そこまで……?」
「俺たちは……多分……同じ深淵を覗いている……自分自身って深淵を」
それが結局は、俺が一翔の力になりたいって思う原動力だった。
書く事によって俺が覗くハメになる深淵と、自分が属するのがマイノリティだ、という理由で一翔が覗く深淵は、全く違うものかもしれない。
でも、深淵から返ってくる、自分自身に問いかけられるその視線の強さは同じはずだ。
そして、俺は春日を思った。多分、春日は深淵が足元に開いてるのを知らない。知ろうともしない。だから、春日を俺は受け入れられない。
深淵がすぐそばに口を開けているのに気づかない人物とは、友人にはなれないと思った。
「自分自身……? そうだね……自分自身が深淵、か」
「すぐそこに深淵があるって、俺に気づかせてくれたのは、秋宮だ」
「私何もしてないよ?」
「でも、秋宮を見ていて俺は深淵に気づいてしまったから、だから、力になる」
「私……ううん……。ラッキーだね……冬麻君の友達ってだけじゃなく、好きな作家さんに力になるって言ってもらえるなんて。カケルさんはもう十分私の力になってくれたよ」
「これからも、力になれるようにする。約束する」
「ありがと……冬麻君……でも、もういいの」
一翔は涙でぐしゃぐしゃになった顔で笑った。
「ちょうど、お父さんに転勤の話が出たんだって。なんだか急で、一週間後には赴任しなくちゃいけないって……だから、私それについていくことにしたの。
学校の噂、きっと消せないから、転校した方がいいと思って」
驚いた。でも……。
「……そっか、そうだな。きっとそっちの方がいいよ。よかった……のかな?」
俺は、状況が自分の手を離れたのに明らかにほっとしていた。
「うん。でも、冬麻君は大丈夫? 噂に巻き込まれてるよね? ……私だけ逃げて……」
「俺は被害者扱いになってるから、大丈夫だ。秋宮は今の状況から逃げるだけを考えろ」
「あ、ありがと」
迷う一翔に言い切って、再度尋ねる。
「彼氏役はどうする? 俺は遠恋でも、メル友でも、文通相手でも、なんだってやってやるよ」
「じゃ、じゃあ……お父さんとお母さん……二人にだけ……告白されてOKしたって……嘘言っていい?」
「ああ。口裏合わせなきゃいけないんなら、連絡してくれ」
「でも。学校の噂は……冬麻君が……やっぱり、わ、私!」
「俺は気にするな。何度も言うけど、秋宮は逃げるんだ。脇目は振らず、逃げろ」
そうしなければ、一翔は命も危ういかしれない。部屋から顔を覗かせた時の一翔の酷い有様は俺に本気で危機感を持たせた。けれど、
「いいか? 絶対に逃げ切れ。ただ逃げ切れ。逃げるのに罪悪感を持たなくていい。ただ、逃げ切れ」
俺はそう言うしかない。現実に一翔の状況を改善する手が打てるわけじゃなかった。
逃げる一翔の背を押すだけが俺にできる唯一のことだった。
一翔の状況を逆転できもせず、ただの問題先送りに過ぎない慰めを言うしかない。
一翔を救えなかった。
何も、できない。弱いな、俺。
「う、うん。絶対に逃げ切るよ」
頷いた一翔には少し明るさが出てきた。俺はそれを確かめて、秋宮家を後にした。
そして……。
「な、なんだって!?」
自分の家に帰り、部屋でパソコンを立ち上げた。メールチェックして何通目かにあった担当編集さんからのメールを見た瞬間、俺は全ての状況を忘れた。
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