プロローグ

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プロローグ

 カタカタ、キーボードを叩く。俺の指先の動きに合わせ、大きなパソコンの画面に文字が連なっていく。  ……好き。好きだ。好きだよ。好きなの。大好き。とても好きなんだ。心の全てを懸けて好き。……愛している。  少女は好きという言葉だけを、祈祷のように、あるいは、呪いのように繰り返していた。  彼女は窓辺に跪き、ただ同じ言葉を繰り返す。窓に差し込む日の光が、透き通った朝日からゆっくりと色を変えていく。そして一日は終わり、真紅の夕日その最後の欠片も消えた。  日が暮れた後も彼女は跪いていたが、一番星が光り始める頃閉じていたまぶたを開く。  そしておもむろに立ち上がり、窓枠を掴み窓から身を乗り出した。危うく落ちそうなほどに。  窓に張られていた結界が、少女に反応する。彼女を捉えておこうと魔術式が作動し始め、結界が(いかずち)を帯びた。少女の肌のそこここが細かな電撃によって傷つき、痛々しい火傷が次々と生じる。だが。  その痛みなど、どうでもいいと思っているのか、少女は窓の結界に囚われたまま自分が監禁されている塔の下の中庭に目を凝らす。  闇に包まれた世界、石畳の小道をランプを手にした人影が滑るように歩いていった。  彼女は、人影が見えなくなってもしばらく窓から離れなかった。気が済むまで下を見つめている。そうしてようやっと窓から離れると、ベッドのそばに膝をつき枕の上にある祭壇に祈りを捧げた。  神様ありがとうございます。今日もあの人の姿で、一日を終わらせて下さって。  そして、次の日の朝。少女は目覚めると朝の祈りを捧げ、また昨晩のように窓から身を乗り出した。結界が作動する。帯電した魔術式が少女を(とど)めておこうと働く。少女の体に新たな傷が増えていく。  それでも彼女は窓から身を乗り出すのをやめなかった。  いつもと同じように、目を凝らす。  いつもと同じように、石畳の小道を人が歩いていく。燦々と降り注ぐ朝日が、その人物の全てを明るく照らしていた。……少女にはそのように見えた。  それから少女は、いつものように窓辺に跪いた。  いつから続けているか忘れるほどに、長く念じている言葉を心の中で繰り返す。  ……好き。好きだ。好きだよ。好きなの。大好き。とても好きで仕方ないよ。心の全てを懸けて好き。……愛している。 「うーん……違うな」  つぶやいて、俺はデリートキーを押した。書き始めたばかりの小説の出だし、今日も何時間分かの苦労が一瞬で消え去る。 「何が違うんかな……」  ネットに小説を投稿している俺はこれまでと違った新しいタイプの話を書こうと、この数週間うんうんやっていた。でも、一向にうまい出だしが思いつかない。 「まあ、悩んでも仕方ないか。締め切りがあるわけじゃないんだし……寝よう」  書くのは諦めて俺はパソコンの電源を落とし、ベッドに倒れ込んだ。
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