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 僕が初めて雪野さんと話したのは、彼女のブックカバーの色が変わった事に気が付いた日だった。  10月上旬のある日、月曜日の放課後。いつも図書室の受付カウンターで本を読んでいる彼女のブックカバーが、淡いブルーからワインレッドになっていた。  貸出カードに名前を書いた後、吃ってしまって「あっ」とだけ漏らした僕に、雪野さんは〝なんだこいつ〟という顔をした。 「えっと…カバー、か、変えたんですか?その、本の…あの……」  向かって右側にあるドアの小窓から差す西日に照らされて、顔の半分だけ淡くオレンジ色に染まる雪野さんの無表情から目を逸らし、同じくオレンジ色に染まっているカウンターに置かれた分厚い本を指差すと、 「染め直しただけ」  と、非常に簡潔な答えが返ってきた。 「染め…えー、すごい…っすねー……」 「………」  コミュ障全開な僕の態度が悪かったのか、雪野さんの虫の居所が悪かったのか、以降の発言は全てスルーされた。  この1往復半が、雪野さんとの初めての会話の全容である。  3年生で図書委員の雪野さんと、1年生で部活にも委員会にも無縁の僕との接点は、たまに放課後の図書室で会うことがあるという、ただその一点のみだった。  学校と家の中間地点に塾があるせいで、一旦帰宅して再び出かけるという労力を惜しむ物臭の僕は、塾の時間までの暇潰しに週に三度、図書室を利用するのが習慣になっていた。ただの暇潰しに寄るだけなので、特に何をするでもなくダラダラと時間を浪費するのがお決まりで、ちゃんと本を借りたのすら、この日が初めてだった。  話しかけるきっかけが欲しくてテキトーに棚から持ち出しただけなのに、よく見もしなかったお陰で分厚いハードカバーなんかを借りてしまって、図書室を一歩出た時点で即刻、鞄の重さに憂鬱になった。それも表紙に〝上〟なんて書いてある、読み切っても完結しない騙し討ちみたいな本なのだから、家に持ち帰ったところで開く気にすらなれないだろう。いずれ、またこの本を持って、今度は朝の満員バスに揺られないとならないだなんて、想像するだけで泣きたくなった。自業自得なんだけど。  そもそも、同級生とすらロクに話せないまま〝友達ゼロ期間=高校入学からの日数〟という記録を更新し続けている僕が、塾の曜日と当番のタイミングが偶然被った時に見かけるだけの雪野さんに、どうして声をかけようと思ったのかといえば、それはやっぱりブックカバーの色が変わっていたからなのだけど、なんでそれが気になったのかについては自分でもよくわからなかった。ただ、ちょっと興味が湧いたという他に説明のしようがないのだ。
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