【2】

1/10
前へ
/33ページ
次へ

【2】

 10月も半ばに差しかかろうという頃になると、僕は週に三度どころか五度、つまり登校日の放課後は毎日図書室を訪れるようになっていた。  かといって、真面目に読書に勤しむとか教科書やノートを広げて勉学に励むだとか、そんな模範的かつ有意義な態度で通い詰めている訳ではなく、居心地の良さを再認識した結果、入り浸るに至ったというところだ。  いや、居心地が良いというのも語弊がある。より正確に表現するなら、他よりは幾らかマシという程度だろうか。  僕は今、学校からバスで30分ほどの住宅地に建つ古い一軒家で、父方の祖母と二人で暮らしている。つまりは父の実家に居候しているのだ。  小学校入学前に両親が離婚して以降、都会でも田舎でもない中規模都市の一角で父と暮らしてきたが、小学校卒業を控えた秋になって突然、父の海外赴任が決まった。元来、亭主関白の気質があり、いやに自己肯定感の高い父は、当然息子である僕も諸手を挙げて昇進を祝い、小躍りせんばかりに喜んで一緒に付いてくると思い込み、お祝いのケーキまで買って朗報として伝えてきたけれど、実際の僕の反応は真逆だった。  え、やだ。行きたくない。 これに尽きる。  予想だにしなかったリアクションに父は大変憤慨し、それから3日くらいは口もきいてくれない有り様だったが、それにも僕は動じなかった。  そもそも母と別れたのも、家族とは〝家長たる父親が大黒柱となり率い、導き、他の者はこれに従うべきだ〟と譲らず、何でもかんでも勝手に決めてしまう父と、〝家族とは話し合い支え合い、思い遣りを持って寄り添い生きていくもの〟とする母との間に生じた、マリアナ海溝より深い溝が埋まらなかったことが原因なのは明白であり、10年ちょっとの付き合いである僕だって、父のそんな所業には慣れっこだったのだ。  なので、家庭内冷戦たる親子喧嘩でも何の苦労も葛藤もなく、あっさりと勝利を納めることが出来た。父以上に無言を決め込んでいるうちに息子の頑固さに折れたのか、朗報の夜から一週間後には父は単身赴任を決め、実家に僕を預ける手筈を整えた。そうして転勤の乱は決着し、13歳になる春、僕は祖母の家へ転がり込む形で新天地での生活をスタートさせたのだ。  手前味噌だが、僕には先見の明みたいなものが備わっていると思う。両親が離婚を協議する中、年端もいかない一人息子をどちらが連れていくかという論争に、張本人として意見を求められた当時幼稚園生の僕は〝父は実家も比較的近いし、最悪の場合おばあちゃんの家に行けばどうにかなる〟と、帰省には片道だけでも半日かかる母の実家の立地や、今後の経済事情なども鑑みて、母の背を見送ることを決めた。非常に打算的で子どもらしからぬ見解だと自分でも思うが、要は、父の突然の転勤すら僕にとっては、ある種、計画通りだったのだ。  だから、僕は決して、父の方が好きだったから母に付いていかなかったのではないし、父と共に暮らせなくなろうと特別困ることもなかった。  〝おばあちゃんの家に行けばいいや〟は楽観的な机上の空論だったということは、越してきて早々に目を付けられ、中学3年間をいじめられっ子として過ごす羽目になってから、嫌というほど思い知るのだけど、その点を差し引いたとしても、唯我独尊な父と離れ、自由に過ごせる住み処を手に入れたのかと言われれば、その答えは純然たるイエスではない。  祖母は、本当にこの人からあの父が生まれてきたのかと疑いたくなるほど、真心と思い遣りに溢れた人だ。幼い頃、夏休みや冬休みに里帰りした時には、年の離れた従兄弟たちの輪に入っていけない僕がひとりきりにならないよう、度々話し相手になってくれた。僕の背中に貼られる分別シールを〝仲間外れにされている子〟ではなく〝おばあちゃん子〟にしてくれたのだ。  一方で、そんな気遣い屋の祖母だからこそ、僕は困難を強いられることにもなる。 登校から下校までフルタイムでいじめられていた中学時代は、泥や血や落書きで汚れた制服とジャージを見せる訳にもいかず、学校から遠く離れた公園の水道で洗ってから帰宅していた。初孫である僕と暮らせることを喜んで、ご近所に自慢の孫だと紹介してくれた祖母を悲しませるのは、連中に殴られるよりも、よっぽどツラかったのだ。  いじめの主犯格たちが纏めて進学するスポーツ強豪校を避け、鉄道で5駅分離れ、バスでも同じ路線にならないこの高校に入ってからは、いじめはなくなったものの、今度は帰宅部というのが小さなネックになった。  日本に残る条件として、週3回の塾通いと学年で上半分に入る成績をキープすることを父から提示され、人間関係の構築を避ける意味でも部活や委員会を断固拒否し、週に数回、教室や廊下の掃除をすればいい、美化担当とかいう係を請け負った僕は、塾のない日は当然、他の生徒より断然帰りが早い。祖母宅の近所には団地があり、うちの生徒も多く住んでいるとあって、僕だけ早々に帰宅すると学校生活が一切充実していないのがバレバレなのだ。中学の頃は帰りが遅いのを〝運動部に入っている〟と言って何とか隠し抜いたのに、今度は帰りが早いのを心配されることになりかねない。  夏休みまでは、宿題が多いから早く帰ってきただとか言い訳したり、バスに乗らずに回り道をしまくって時間稼ぎをしていたけれど、冬になるとそこそこ雪も降るし、道草を食うのも骨が折れる。不用意にその辺をほっつき歩いていたら、祖母の知り合いに遭遇するリスクも高い。そこで、塾までの時間潰しだけでなく、他の日の暇潰しにも図書室を利用するに至った訳だ。最初からこうすれば良かったのにと今は思うが、熱心に勉強や調べ物をしている生徒の方が断然多い空間に身を置いているのも、案外疲れるものなのだ。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加