1.話の始まり

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1.話の始まり

 錦尺貫升商(にしきのしゃっかんしょうあきない)鏑屋孔明実一(かぶらやこうめいじついち)は、屋敷の離れで刀の鑑定をしていた。襖は開け放してあり、初夏の日が燦々と降り注ぐ中庭がよく見えた。  どこからか小鳥の囀りが聞こえてくる。ししおどしが程よい間隔で乾いた音を鳴らしていた。  実一が鑑定している刀は、『刀狩り』によって蘆野國全国各地から集められた物だった。  五十年戦乱の続いた蘆野國は五年前、新しい帝・明日命(めいひのみこと)の名により平定され、もはや用のなさなくなった武器が、今年初めから各地より都に運び込まれている。  そして、その刀を鑑定するのが実一の仕事だった。とはいっても、十振いくらのような鈍刀(なまくらがたな)は実一の配下のものが鑑定して弾いており、実一の元に回ってくるのは、まさに『名刀』と呼ばれるのに相応しい刀だった。  だが、いかに『名刀』とはいえ元の持ち主は農民や村の用心棒。刀の由来は不明で、鑑定書すらない。それらを分類し、銘をつけ、刀鍛冶を特定する。実一はこのところずっとその作業を行っていた。 「この刀も、同じ作者だな。『鷹花』の銘……これで二十本目とは。制作年は若いし、最近の刀匠の作か……何者だろう?」  実一は(なかご)に刻印された銘を確かめ、もう一度刀を光にかざした。と、遠くからバタバタと元気のいい足音がして。 「父様! 父様!! 大変です!! あの、あのっ」 「何事だ? 騒々しいぞ、拓馬」  勢いよく駆けてきた少年・拓馬が、ツルツル滑る廊下を踏ん張って止まった。 「だ、大湖首(だいこしゅ)のす、」  そしてその少年、拓馬が全て言い終わる前に。 「邪魔をするぞ、孔明。話があって来た」  その後ろから、ぬっと武士が姿を現した。簡易な冠を被り、腰には大小、新緑の肩衣(かたぎぬ)と短筒袴はその武士の爽やかな印象をさらに強くしていた。  歳は、実一と同じ三十代半ばのように見える。男臭さとは縁のない顔に浮かぶのは人懐っこい明るい笑い。堂々と立つ姿勢にすらっとした物腰、その人物は……。 「これはこれは、大湖首・和樹丸様。わざわざ御足労願わなくても、お呼びとあればこの実一、すぐに参内いたしましたのに」  この、蘆野國を実質的に支配する大湖首、東雲大徳(しののめだいとく)数寿和樹丸(すうじゅわじゅまる)その人だった。 「いや、たまには気分転換に出歩かなければな。それに、宮に呼び出すと色々めんどくさいし」 「そうですか。まあ、お座りください」  実一は敷物の周りをさっと片付けると、和樹丸に上座を譲り、自分は下座に座り直した。 「それで、ご用事とは?」   そう言いながら、実一は息子に下がっているようにという視線を送った。だが。 「ああ。拓馬も聞いてくれ」  和樹丸はそれを押し留め、拓馬は一瞬困ったような表情を浮かべたが、実一が頷いて見せるとその隣に膝をそろえて座った。 「話というのはだな。半年後の明日命の即位十周年の祝いに、守刀を献上しようと思っておるのだ。そこで、その守刀の制作者を孔明に決めてほしいのだが」 「守刀をですか?」 「そう、内密にな」  確かにと実一は思った。大湖首が守刀を献上する。普通ならそれはめでたいことだ。  だが今、実際に権力を握っているのは帝ではなく自分の主人だ。刀は色々な意味にとられかねない。  余計な疑いを誰かに持たせることもなく、主人の意向を実現するには、この話は宮ではなく自分の屋敷で行うべきだったのだと。  そう、主が帝に刀を贈るのは警告だ。余計な疑いは言いがかりではなく真実だった。主に帝の足掻きはわかっているのだ。帝が帝自身の権力を手に入れようと画策しているのは。  だから守刀を贈るのは、いざとなればその刀が己に突き立てられるのだという、無言の脅し。  だが、実一は帝に同情する気はなかった。  今、蘆野國に平和をもたらしているのは、自分の主だ。ただのお飾りの帝ではない。  貴族、名主、神官。権力者の間の調停をし、その領池(りょうち)を分配し直した。それと共に、私的な関所を廃し街道の整備をして、国内の流通を整えた。また各地で異なっていた法規・税制を統一して公正な国づくりを進めているのが実一の主だった。  帝など何するものぞ。  だから、実一は主人の頼みを二つ返事で引き受けた。 「わかりました。和樹丸様からのご要望は?」 「実力はあるが無名の刀匠がいい。そうすれば、他の者の励みにもなるだろう。そして、これからの刀鍛冶たちの管理にも有利なはずだ」 「ならば、その右手にある刀をご覧ください」  言われて、和樹丸が白鞘を取り上げた。 「ほう、この刀は……。見事だな」 「鍛冶師の銘は『鷹花』。その銘が刻まれた刀は他に二十本ほどあります。どれも近年の作ですから今も刀を制作している鍛冶師でしょう。その者に頼むのがよろしいかと」 「かなり血を吸っているな、この刀は。それなのに刃こぼれ一つない」 「はい。今いる刀鍛冶の中でも、一二を争う腕前だと思います」 「わかった」  そう言うと、和樹丸は刀をしまった。 「この刀匠を探し、その者に守刀を一振献上させよ」  和樹丸の言葉は正式な命だ。それを受けてから、実一は疑問を浮かべてみせた。 「は。それで、拓馬をなぜ?」 「ああ。拓馬も一緒に連れて行けばいいと思ってな。拓馬ももう十五、そろそろお前の仕事を見せるべきじゃないか?」  サラッと言われて、実一は頭を下げた。 「我が家の教育方針までお考えいただき、ありがとうございます」 「拗ねるなよ、孔明。お前、拓馬にちょっと過保護すぎるぞ」 「一人息子なので」  しれっと言ってのけた実一に和樹丸は苦笑した。 「だったら余計に鍛えないと。なぁ、拓馬」  緊張の面持ちで、話を聞いていた少年に目をやる。 「はい! お……私も父の仕事に同行しますっ! 実際に鍛冶師の仕事も見たことがありますし、足は引っ張りません! 必ずや、その刀匠に大湖首様ご依頼の刀を打たせてみせます!」 「その意気だ。そうだろ、孔明」  和樹丸が笑う。実一は渋い顔になった。 「まぁ、和樹丸様が言われるなら……」
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