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43.女であり男でもある三人の……2
怖い。この恐怖は初めて男の着物を着て、父の商談の席に乱入する前に感じていたものと同じだ。鐘虎は膝の上で揃えた自分の手が震えているのを感じていた。
ごくり、唾を飲み込む。しかし、どんなに恐ろしくとも言わなければならない。話を進めなくてはならない。自分の求めるものを手にするにはこの席は最大の好機なのだから。
目の前の二人に鐘虎の利用価値を認めさせなければならない。そして、この二人を高光から遠く引き離さなければならない。
「和和様。鏑屋さんにも申し上げましたが、鷹花は蓬生で頼りとされています。鷹花も求められるその責任に、応えようとする男です。ですからどうか、蓬生から……私たちから、鷹花を取り上げないでいただきたい。
駆屋の次期当主として、尺商として、鷹花が今世最高の刀匠だということは認めます。ですが、鷹花は間違いなくここに必要な者なのです。
そして、鷹花は煌びやかな名声などでなく、この地で一介の鍛治師として生きる平穏な生き方を望んでいます」
私のそばで、一介の鍛治師として。……高光は私に必要な者。その思いが根底にあっても、自分が口にしたことは嘘ではない。鐘虎は一息に言い切り、息を吐いた。
「ほう、つまり……好いた男が遠く離れた都に連れて行かれるのを受け入れるつもりはないと?
……駆屋・長娘の……彩彩、殿」
和和が悪い顔で笑った。女名を呼んだのは完璧にわざとだ。和和はそれが完璧にわざとだと間違いなくわかるように、呼吸も拍子も計って呼びかけている。
「私は駆屋・鐘虎です。たとえ、私が彩彩であったとしても……いえ、私が彩彩であってもなくても私は同じことを言います。この場にいるのは、駆屋の次期当主です。次期当主として取引のある職人にはその者の望みを叶えさせてやる責任がある。
そして、鷹花の望みは大湖首様の依頼を受けることではない。……それは和和様にもわかっていただきたい」
和和は自分の前に述べられる言葉に興味深そうに、それでいて面白そうに笑っている。それが実一には気に入らなかった。
彩彩の言は好いた男を、好いているからこそ理解していると思い込んで、自分勝手に口にしているとしか思えなかった。評価を受けさせたくない? 都に登らせたくない? 自分のそばから離れて欲しくない? それはあまりにも自分勝手だ。
最初、彩彩に会った時に言った通り、いい腕の職人にはそれに見合った評価が必要だ。それがたとえ、自分の望みからかけ離れる未来を持ってこようとも。そして、本当に好いた相手だったらなおのこと、彼女はその手を離す決心をつけなければならない。
目の前の相手は自分が鐘虎であると宣言しながら、彩彩の心を述べているだけだと思え、その中途半端さが実一には受け入れられなかった。
鐘虎であり続けたいなら、駆屋の跡目が欲しいなら、彩彩の思いは忘れるべきだった。自分の家にこれから何が必要か、感情ではなく計算で行動すべきだ。それができないのに、自分たちの前に駆屋の跡取りだとしゃしゃり出てくる、その『女』の厚かましさが許せなかった。
「それが、其方の家を潰してもかな?」
「取引についてのお願いをしただけ、でですか?」
「次期当主が大湖首様の意向に逆らった……店を潰すには十分すぎる理由だ」
悪く、笑いながら言った和和の言葉に、鐘虎はびくりと身を竦ませた。
「そのような無体を行うのが大湖首様なのでしょうか? 刀匠など他に替えが効くようなことで」
「替えは効かんさ。この腕を見てしまうとな」
そう言って、和和は一番出来の良い短剣を取り上げた。すっとその切っ先を鐘虎に向ける。
「其方はこの刀匠が野に埋もれてもいいと思うのかね?」
「それが、鷹花の願いなら」
鐘虎は迷うことなく即答した。
「其方の願いでなく、か?」
「私がこのような場で、己の感情に目を曇らされていると言うのですか?」
「ふふ、少なくとも我らは少々そう思っている」
だが、主人のその言葉を実一は疑っていた。
本当は実一だけが彩彩の言葉を疑っていて、和和は納得しているのでははないかと。その証拠に、和和は機嫌の良さそうな表情を崩していなかった。彩彩の選択次第では、和和は彼女を気に入るだろう。いや、もうすでに気に入っている。和和に和樹丸の姿を透かしている彼女を。
別に若い『男』に嫉妬しているわけではないのだがな。
ただ単に、この『女』のどっちつかずさに苛立ちを感じているだけで。
「そうであれば、私はこの場にいないでしょう。私が彩彩であるのならば、わざわざ和和様に鷹花の意思を代弁する必要はない。私がもし、ただの彩彩なら鷹花の望みを述べるのではなく、自分の言葉として、刀匠を都に連れて行かないでくれと言います。
私が駆屋の鐘虎だからこそ、私は今、刀匠の意思をお伝えしています。それが嘘だとでも?」
もし、自分の前に彩彩の道しかなければ、彩彩は高光の思いを代弁しているふりはできなかった。どう足掻いても『女』にそうする資格はない。
その程度は目の前の二人の『女』にははっきりとわかってるはずだった。
彩彩ができることといったら、せいぜいが高光に対する泣き落としぐらい。全てを巻き込むような危険な道をとらなでくれと、懇願するぐらいだった。
そんな受動的な行動は死んでもしたくなかった。誰かにみっともなく泣きつくなんて絶対に嫌だ。だから今、自分は鐘虎として二人の『男』の前に座ってるのだ。
それを自分でもわかってるし、その覚悟があると、二人にも示さなければ……。しかし。
「ふむ。……そこまで……言い切る、か。其方にそれまでの覚悟をさせる男……わしはますます鷹花に興味が湧いてきた!!」
和和の言葉に鐘虎はギョッとした。
「和和様!? お会いになられても鷹花は絶対にあなたのご依頼には頷きません! それなのになぜ!!」
思わず、和和と大湖首を重ねてしまうぐらい慌てていた。
「それはどうかの? わしの言を拒否できるぐらいの気概のある男なら許そう。そうでないなら、他の選択を与えないまでよ」
「無理矢理刀を打たせると!?」
「其方が、説得するなら鷹花も頷くのではないかな?」
「私は、鷹花にそのようなことは言えません!!」
鐘虎は思わず立ち上がっていた。
「大湖首様が献上する守刀を打てば、その名誉がいかほどのものか彩彩殿にもわかるだろう。自身のその腕を世間に認めさせる。それは職人が最も望むものではないかな?」
鐘虎に向かい、実一は静かに言った。それは実一が信じている事実だった。
「名誉などいらぬと言われても、もし献上品を打てば百年とその技は残る。間違いなく」
それは事実かもしれない。だが、鐘虎が知る高光はそんなモノを求めてはいなかった。
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