45.鐘虎の決意

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45.鐘虎の決意

「鐘虎お嬢様。大湖首様がお忍びで弧芽の街にいらっしゃるそうです。先程、大湖首様の船が港に着いたとか」  客が帰り、自室でぼんやりと庭を眺めていた鐘虎に、手代の一人が報告を持ってきた。  ノロノロとその手代に視線を向けた鐘虎は、何を言っている? 大湖首様ならさっき店に来たばかりでしょう! と叫びそうになるのを堪えた。  和和は、昼過ぎに鷹花の元へ行きたいから、案内する者を駆屋としてつけてくれ、と言い置いて帰っていった。それは、偽装のためだったのだろうか?  なんにせよ……和和の強力な威圧感に鐘虎は参っていた。和和と顔を合わせている間中、緊張しっぱなしだった神経をなんとか宥めているところで、大湖首のことを聞かされても頭が回らない。 「だめね……」 「はい? 鐘虎お嬢様?」 「なんでもない。これじゃダメだと思っていただけさ。……お父様は帰って来られたか?」 「はい。先程お戻りになられましたが?」 「なら、お父様に……会いに行こうか」  それでも、鐘虎は行動するしかなかったのだった。自分自身の願い二つを賭けて。  彩彩の父親、白色尺商(はくしょくしゃくあきない)駆屋玄達(かけやげんたつ)は鐘虎がその書斎を訪れた時、何か書き物をしていた。 「父上、鐘虎です。少々よろしいか?」 「彩彩……鏑屋さんが来たそうだな。お前がなぜ相手をした? 大番頭に任せるようにと言っておいたはずだが」 「錦の大店の当主の接待を番頭に任せるわけにはいかないでしょう? 後継の私がいながら」 「後継っ。そう言ってるのはお前だけだっ!!」 「そうですか? 奉公人達の半分は私が店を……いえ、今はやめましょう。父上、鏑屋さんから言付けが」 「お前にか……なんだ? なんと言ってきた?」 「大湖首様が弧芽の街にいらっしゃるので、鷹花の所へ案内して欲しいと。大湖首様のお乗りになった船が港に着いたのを父上もご存知でしょう?」  玄達は渋い顔をした。 「確かに、大湖首様がいらっしゃったのは知っている。だが……大湖首様は鷹花をそこまで…… それに、鍛冶師のところへ案内せよと……誰を付ければ……」  考え込んだ、玄達に鐘虎はキッパリと宣言した。 「大湖首様は私が案内します。それが一番かと」 「彩彩! 何を言い出すんだ!!」 「この店で、鷹花と一番気心を通じているのは私です。それに、いかに刀鍛冶でもあるといえど鷹花はただの野鍛冶。大湖首様のような、侍の棟梁と面と向かったことは無いでしょう。  鷹花が何か無礼を働かないともいえません。ですが、鷹花の気性は父上も知っての通り。鷹花が万が一大湖首様相手に対応を間違えた時に、奉公人達では抑えられないかと。  私なら、大湖首様と鷹花を同時に宥めることができます」 「ほお。本当にそうできる自信があるのか?」  父親が冷笑しているのが鐘虎にはわかっていた。だが、引く気はない。  父親に言ったのは紛れもない本心だった。  それに、本当にもし万が一が起こった時、奉公人は鷹花を切り捨てる。それは自分たちが、駆屋が生き残るためには正しい行動だろう。だが、鐘虎はそれを許すつもりはなかった。 「彩彩……いいや、駆屋・鐘虎。其方はなんとしても大湖首様と鷹花と会わせたくないと思ってる。そのように見えるが……その理由はなんだ? それほどまで、鷹花が大湖首様を拒絶すると思っている理由は?」  和和の質問には答えられなかった。 「鷹花はただ飾りの刀を打ちたくない。そう思っているだけであれば、大湖首様が相対しても、特に問題はないだろう? だが、其方は確固とした根拠があって鷹花と我々……いや違うな。大湖首様と会わせたく無いように見える」  絶対に答えられない。だから。 「まあ、答えずとも良い。大湖首様が鷹花に会えば確かめられるのであろう」  和和の言葉を鐘虎は思い出していた。ああ言われて、それから駆屋として鷹花のところに案内する人員をつけろと言ってきたのは、間違いなく鐘虎に大湖首の案内人になれということだ。  もしくは、鷹花が大湖首を拒否する本当の理由を話せという意味か。  話せはしない。  それなら、大湖首は自分が案内する選択しかない。  本当に万が一の時は自分の命を賭けなければいけないな。  鐘虎は覚悟を決めていた。 「父上。もし、鷹花が大湖首様のご依頼を御前ではっきり断った場合、どうします? その時奉公人だけがその場にいるのは問題なのでは? 彼らに駆屋を代表した責任が取れますか?」  玄達は唸ると少し黙り込んだ。 「私なら、鷹花と大湖首様の間に立って、場を収めることができます。  それにもし、万が一大湖首様のお怒りを買い、最悪の状況に陥っても、鐘虎の正体は彩彩です。大湖首様の前で鷹花を庇ったとしても、それはじゃじゃ馬娘が許可もなく勝手にしたことだと、父上は言い抜けられるでしょう?  ですから、大湖首様の案内は私にお任せください」  鐘虎が言うと、玄達は視線を動かし庭を見た。紅葉(こうよう)にはまだ少し早い楓の葉が風に揺れている。父親がため息を吐いたのを確認して、鐘虎は一瞬緊張を解いた。それは、鐘虎の思い通りことが運んだ印だったから。 「わかった。彩彩、お前に任せる。ただ大番頭と他数人はつける。基本の対応は彼らに任せ、お前は鷹花を説得することに全力を尽くせよ」 「わかりました、父上」  とは言ったが、鐘虎は大湖首と鷹花の顔合わせの、最初から最後まで自分が責任を持つつもりだった。
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