49.鷹花の家

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49.鷹花の家

「ここが鷹花の家です」  永遠に続いてくれ。鐘虎がそう願っていた峠の道は終わり、和樹丸とその供の一行は高光の家に着いてしまった。  家の前庭を掃いていた菜菜が、いきなり現れた仰々しい行列に驚いて、箒を手から落とす。慌てたように駆け寄った拓馬がその箒を拾った。 「菜菜。大湖首の東雲の棟梁様の前です。頭を下げて」  鐘虎も拓馬に続いて菜菜に近寄った。それは、礼儀もよく知らない田舎の少女に危害が加えられないためだった。  状況が掴めなくて目を白黒させていた菜菜は、それでも彩彩の言葉に素直に従うだけの賢さはあった。 「……大湖首様。ようこそいらっしゃいました」  箒を手にして戸惑っていても、しっかりと頭を下げる。 「うむ。急な訪問で悪いが、鷹花はいるかな?」  馬からひらりと飛び降りた和樹丸が、菜菜に近づく。 「せ、師匠(せんせい)なら、こ、工房にいます……。彩彩様、えっと……師匠呼んできた方が……?」  目の前の侍が大湖首。大湖首・この国最高位の侍。それにやっと思い当たったらしい菜菜の声が震える。少女は少しだけ顔を横に向けて、どうしようかと鐘虎を伺った。 「訪ねてきたのは我々の方だ。鷹花に大湖首が会いたいと言っていると伝えてもらえるかな?」 「菜菜。鷹花に大湖首様の直々のご訪問だと伝えに行きなさい。いいかい、大湖首様が案内で訪ねてこられたって、鷹花にちゃんと言うんだよ。  大湖首様は私が客間に案内しておくから」  和樹丸の言葉に続けて、鐘虎は菜菜を促した。ハッと顔を上げ、緊張で真っ白になってはいても、菜菜はこくりと頷くと鷹花の工房に向かって坂を駆け登っていった。 「ほおぅ、なかなかにいい谷だな。この上に鉱林もあるのか」  和樹丸が面白そうに周囲を見回している。拓馬が心配そうな顔をしている以外、一行はそれぞれ落ち着いた表情を浮かべていた。  自身も平然を装いながら鐘虎は内心、高光の言動を危惧していた。大湖首の訪問を断れないよう、菜菜にわざわざ自分(駆屋)の案内で、と念を押したがそれを菜菜は気づいただろうか?  少女がその言葉の意味に気づいても、高光がどう出るか鐘虎には全くわからなかった。  まさか、大湖首に塩を撒いて追い払う。などと言う暴挙には出ないだろうが、それに近いことをしでかしたら、色々とお終いだ。  だが、今は……。 「大湖首様。どうぞ中へ」  鐘虎はとりあえず、和樹丸たちを客間に案内することにした。それは、いくら先触れなしで訪ねてきたとはいえ、大湖首を庭先に立たせておくわけにはいかないという常識からで。同時に高光が何かやらかしたとしても、広い屋外よりも狭い室内の方が自分でも止められるだろう、と思ったからだった。  ……鐘虎は今でも絶対に大湖首と高光を会わせたくなかった。けれど、その選択は大湖首が鷹花に会いたいと言った時点でとれなくなっているのだ。  大湖首に案内を頼まれた駆屋の次期当主として、大湖首の前になんとしても鷹花を座らせなければならない。鐘虎にはそれ以外の道はない。  だから、高光が何か言う前に、鐘虎は高光が逃げられない状況を作り出しておくしかなく。あとは……ただ、高光が自分の感情にうまく手綱をつけられることを祈るしかなかった。 「うむ。邪魔をする」  大湖首が高光の家に足を踏み入れる。護衛の侍の半分と実一も付いていく。だが、実一は息子に待っているように言ったらしく、拓馬は家の前庭に残った。  鐘虎も奉公人の一人に茶の準備をするように言いつけると、家の中に入り和樹丸を客間に案内した。 「せんせ、師匠(せんせい)! 待って……待ってよ!!」  鐘虎に案内されて和樹丸たちが鍛冶師の家に入ってしばらくして、拓馬は聞こえてくる菜菜の声に、坂の上の方を見た。  そして、ギョッとする。現れた刀匠の顔色は真っ青で、怒りに満ちているようだった。 「せんせ……待って……」  その後ろを慌てて追ってきたらしい菜菜の顔は上気して真っ赤だというのに、その師匠の顔はまるで、怨霊の能面でもかぶっているようだった。 「ハァハァ……落ち着いてよ! 師匠。彩彩お嬢様は別に変なことはしてないでしょ? 大湖首様を立たせておくわけにはいかないんだから! だから、先にっ、」  家の前に着いて、上がった息を整えながら菜菜が高光の袖をひっぱる。高光が固まった瞳で少女の手を見下ろした。 「だから、先に客間に案内してくれているんだよ」  その顔に菜菜は言い募る。 「それに! 師匠が打ちたくない刀の依頼を受けさせたいって、お嬢様がそんなこと言うわけないじゃない。ただ、きっとお嬢様だって断れなかったんだよ。大湖首様が直々にうちに来ちゃうぐらいだもん。だから、これ以上彩彩お嬢様に迷惑かけないようにしないと!!」 「守刀の依頼を受けろと言うつもりか? 菜菜」  刀鍛冶の、その言葉には凍える想いが滲んでいた。 「そんなこと言ってないでしょ? 師匠が『依頼を受ける気はない』って大湖首様にはっきり言えばいいんだよ。師匠以外にも腕のいい刀鍛冶はいっぱいいるはずだから、他を当たってくださいって、きちんとお断りすればそれで済む話でしょ?」  だが、菜菜は怯えもせず、さらに言葉を続ける。 「彩彩お嬢様だって、大湖首様を説得するの手伝ってくれるよ。そのために、他の人じゃなくお嬢様自身が来られたんだよ。きっと。  それに、先に大湖首様を客間に案内しとくのだって、師匠が礼儀知らずに見えないようにするためだろうし、お嬢様は絶対に師匠の味方なんだから!」  その言葉に、刀匠が握っていた拳を少しの間緩めたのに拓馬は気づいた。だが、結局、刀匠はもう一度拳を握り直す。 「菜菜。お前はここにいろ。中に入ってくるんじゃない」 「せ、せんせ、」  言い捨てて、高光が肩を(こわば)らせ家の中に入っていくのを、拓馬と菜菜は不安を感じ、心配しながら見守っていた。
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