52.宝剣の一振

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52.宝剣の一振

「そうか? お主の腕はこの国一番だと思った。だからこうして、わし直々に訪ねてきたのよ」  大湖首がそう言った時、平伏したまま顔を上げない鍛冶師の肩がぴくりと動いたのを、実一は見た気がした。  そして同時に、おかしいと思う。実一の見立てでは、刀鍛冶は大湖首の威光に簡単にひれ伏すような職人ではないと感じていたから。  なぜ、顔を上げ自分の言葉で話さないのだろう? なぜ、駆屋の彩彩お嬢様に全て任せているのだろう? それまでの鷹花を知っている身には、鍛冶師の振る舞いは異様に思えた。  鷹花なら、たとえ大湖首であっても、依頼される以上は対等だとしそうなものだったのに。  それとも、これは彼なりの策なのだろうか?  彩彩……いや、刀匠にとっては鐘虎か……彼女を自分の代弁者にする。刀匠としてだけでなく自分を抱える尺商の代表者は彼女だとする。  そして、自分と話したければまず鐘虎を通せというのを皆にわかるように示している。自分が認めた駆屋の次期当主は鐘虎だと行動で示す……? 「お主の打った刀は見た。あれ以上のものを作れる刀匠は、蘆野国にはおらぬ。  だからわしは、お主に守刀の制作を頼みたい。この世の最高の宝剣、その一振をな」  大湖首の言葉が終わるのと同時に、鐘虎は俯いている高光に顔を寄せた。高光は何も言わず荒い呼吸音だけが聞こえる。  それでも、高光にとってはギリギリ自分を律しているのだろう。それが鐘虎にははっきりとわかる。だから、鐘虎は鷹花が何か言っているのを聞くふりをしていた。  連れてきた……違うか、父親の命で付いてきた駆屋の奉公人たちが心配そうな顔をしているのも鐘虎には見えていた。いや? 彼らは鐘虎にいい感情を持っていない。  だからこの場の真ん中にいるのが、鷹花でなく鐘虎なのもよく思っていないだろう。だが、彼らは鷹花が自分の代弁者の役を鐘虎にやらせている以上、鐘虎の邪魔もできないはずだった。 「分不相応の評価だと鷹花は申しております。その役を求められるのは、どうか他の刀匠にしていただきたいと」 「ふむ。それほどまでに……わしの、頼みは受け入れられんか? お主のその腕を世の中に示したいとは思わんのか? これはそういう依頼だとわかってないわけではあるまい。  ……それに、どうだ、鷹花。わしの依頼を受けてくれれば、褒美以外にもお主の願いの一つや二つ叶えてやることもできる」  ……だったら、姉を返せ! 姉だけでなく、俺の村を返せ!! お前がかつて俺から奪い去っていったものを全て返せ!!  ……返せないだろう……?  それは絶対に叶わない無理な願いなのだ。そんな虚しい願いを抱いている人間のところに行って、願いを叶えてやるなどと、安易に言っているその口に石を詰めて縫い止めてやりたい!!  高光は自分の手の震えが止まらないのにも気づいていた。  必死で自分を律し、震えているのは手だけだと思おうとしていた。なぜ、震えているか尋ねられたら……? いや、思いもしなかった高位の侍に会って、怯えているのだ。きっと、誰もがそう解釈するだろう。それぐらいの田舎者なのだと。  そうであって欲しい。 「それほどをしてもいい腕だと、わしはお主を見込んだのだ」 「見込み違いでしょう。そう鷹花は申しております」  代弁する鐘虎の声。 「そうかな? のう、鷹花。お主はなぜ刀を打つ? お主の望む刀はどんなものだ?」  高光は答えられなかった。そして、高光が答えられない質問には、鐘虎にも答えられない。鐘虎にも、高光は大湖首の言葉に絶対に答えられないことがわかっていた。  侍を殺すためだ。  自分が刀を打つのは、侍を殺すためだ。  侍の棟梁にそんなことは決して言えない。  だから、高光は何も言わず。そして、鐘虎も次の大湖首の言葉を持つしかできなかった。 「わしの望む刀は、すべての民を守護する刀だ。民を理不尽な暴力から守り、その力で、人の世を正しく(まつ)っていく。そんな刀をわしは望んでいる」  その大湖首の言葉に、高光は全身の血が沸騰するかと思った。その言葉は、高光自身の刀を打つ理由と一部重なっていたから。  自分と同じ意志を持って、自分とは全く違う行いをする。この大湖首はそう言ったのだ。  その理想に、自分の姉は殺され、自分の故郷は焼かれた。  許せなかった。何を以っても許せなかった。もし、刀を打つ代わりに……頭を下げさせ謝罪することを求めて、実際に目の前で頭を下げられても、きっと俺はこの大湖首を許せないだろう。  それほどの怒りが、目もくらむほどの怒りが、高光の中で荒れ狂っていた。 「鷹花。お主の打つ刀はその象徴として相応しい、わしはそう見た。新時代の訪れに相応しいとな。そんな刀を打つ気はないか?  全ての者が、平和が来たのだと実感できる、その証となる刀を」  平和? 平和! 平和!? それが何だというのだ? 姉さんはそんな平和のために殺されたのか? 姉さんが何をした? 村のみんなが何をした!? 俺の平和を、俺の人生を破壊したのはお前だというのに、どの口が平和などと……簡単に口にするな!!  震えが止まらなかった。 「高光、抑えろ。あとは私が何とかする」  耳元で、鐘虎が囁く。その言葉も遙か遠い。 「大湖首様。やはりそれは見込み違いでしょう。鷹花にはその期待に応えられるだけの刀を打つ自信はないようです」 「ふむぅ……? それは鷹花の本音かな?」 「本音以外の何だと言われるのでしょう。このように、大湖首様の御前で顔を上げられもしない、その程度の男です。大湖首様の過分な期待はこの男にとって、害になりこそはすれ、益にはならないでしょう」 「ふむ、その程度の男に惚れたというか? 鐘虎は。……鐘虎の惚れた男がその程度とは」 「可愛い男ではないかと」 「そんな男に惚れるか?」 「人の趣味はそれぞれでは?」 「お主はそのように見受けなかった」 「ご期待に添えず、申し訳ない」  何を言ってるんだ! この大湖首は! 鐘虎も鐘虎だ。こんな時に、そんな話に乗るんじゃない! 可愛い男とかしれっと言うのはやめんか! 二人っきりでもそんな話はしないのに!!  二人の緊迫感の無い話を聞きながら、高光は別な意味で怒りが込み上げてきていた。 「ふむ……だがな、わしはやはり鷹花に守刀を打って欲しいと思う。褒美も願いも、ある程度までなら融通を利かそう。それでどうだ? 何でも、望みを言っていいのだぞ?  のう、鷹花。それが鐘虎の願いでもお主が言うなら、わしは叶えてやってもいい」  その大湖首の言葉に、高光はまたゾワっと鳥肌が立つのを感じた。  それまでの、軽薄なやり取りはこの為だったのかと思う。大湖首には高光と彩彩の間の感情が、読まれている。  高光に利があることだけではなく、彩彩にも利をもたらすことができる。はっきりと大湖首は言ったのだ。  もし、高光の心が彩彩にあれば……乗ってくる可能性もある。いや大いにあると、大湖首は見ていた。そう、高光が頷きさえすれば、頷いて、彩彩に駆屋の跡目を継がすことだってできる。  いや、それは大湖首の方便かもしれない。だが、本音の可能性もある。  鷹花と鐘虎がうまく交渉すれば、証書の一つぐらい手に入るだろう。  そして、彩彩は願いを叶えられる。そうしておけば、鐘虎が鷹花を説得する側に回ってくる可能性もある、と大湖首は見ているのだろう。彩彩と高光は同時に思った。 「高光。気にするな」  だから、鐘虎は高光の耳元で囁いた。それが、どんな状況を自分に持ってくるか考えないわけでもなかった。だが、それよりも高光の思いの方が大切だった。 「お前はそれでいいのか?」  高光はやっと囁き返した。 「ああ。構わない」  スッと鐘虎は姿勢を正し、大湖首と向き直った。 「分不相応なものを求めることはしない。そう鷹花は申しております」  和樹丸は少し考えるような表情をし、それから立ち上がった。 「そうか。それは、仕方ないな……なら、今日はもう帰るとしよう」
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