55.想像と予想と予感

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55.想像と予想と予感

「鏑屋さん、駆屋さんから使いの方がいらっしゃいましたが」  宿屋の奉公人からそう言われたのは、実一と拓馬が朝餉をとっている時だった。もう少しで、食べ終わる膳を一瞬眺めてから、実一は奉公人の方を向いた。 「わかった。食事を終えたら下に降りるから、今しばらく待っていてもらえるか?」 「はい。そう伝えます」  そう言って、宿屋の奉公人は下がっていった。 「昨日の今日でなんなんでしょうね? 父様」 「さあ、なんだろうな」  実一は息子にははっきりと答えなかった。だが、駆屋から人が来た理由のいくらかは想像できる。昨日、鷹花は……いいや、鷹花の代弁者だった鐘虎は大湖首様の依頼を断った。それを駆屋の当主も知っただろう。たとえ、職人自身の願いだったとしても、たかだか職人と商人の長娘(ながのむすめ)に過ぎない者が大湖首様直々の依頼を断るのは、あまりにも無礼な振る舞いだ。  その謝罪がしたい。あるいは、駆屋が今一度、駆屋として鷹花を説得するので気分を害さないでほしい。そういった提案を持ってきた可能性は高いな。  実一はそう思った。そして、自分の予想が正しければ、和樹丸は喜ぶだろうと考えた。  ……だが、彩彩はどう出るか?  鐘虎として自分の言葉で和樹丸様の依頼を断ったほどだ。父親の邪魔をしてきてもおかしくない。駆屋の当主と、その長娘。二人が正反対の行動をとっていることで何が起こる?  駆屋がバラバラになるか? まあそれならそれで面白い。白色の尺商はそれなりに大店だ。その中で分裂が起これば、鏑屋が付け込む隙も出てくる。  そにとり地方に鏑屋の流通網はまだ行き渡っていない。駆屋を取り込めれば、鏑屋がそにとり地方で商売の手を広げることも簡単にできる。それはそれで楽しそうだ。  名実ともに、鏑屋が国一番の錦の豪商だとできる。  そう思いながら、実一は茶を飲んだ。  そして、彩彩のことを考えた。鐘虎として、和樹丸の前で振る舞う娘の姿を。  鷹花が大湖首様の前で動けなかったのは、想定外だった。たとえ相手が大湖首様であろうと、あの刀匠は決して簡単には人に頭を下げないと思っていた。  何があの刀匠に頭を下げさせた? あの者には、自分たちが知らない何かがあるのか? それを鐘虎は知っていたから、刀匠の代弁者となった?  何かとはなんだ?  「父様?」  そう息子に問いかけられて、実一は、自分がじっと茶の入っていない湯呑みの底を見つめているのに気がついた。 「ああ。どうかしたか?」 「いえ、下に降りていかなくていいんですか?」 「そうだな。拓馬、お前はここで待ってなさい」 「はい」  息子が素直に頷いたのを見てから、実一は立ち上がった。  ……鷹花が何を隠していようと、それはそれだ。駆屋から手を回して、依頼に頷かさせればいい。もしくは彩彩ともう一度交渉してみるか?  鐘虎。大湖首様の前でも、動じなかった。その思いが彩彩のものであろうと、自分の言葉で大湖首と対峙した。  実一は鐘虎に対しての『生ぬるい若造』という評価を変えるところまではまだいかないと思っていた。だが、ただの『女』ではないと、少しは見直してもいいかと思った。  駆屋として鷹花を説得する、彼女がそれにどうか関わってくるか。  鐘虎として彩彩の感情を忘れ、真に駆屋の利を考え、正式な跡取りとして振る舞えたら……。その時は対等な『男』として認めてやってもいい。実一はそう思っていた。  下に降りていくと、玄関の上り框に腰掛けていた駆屋の奉公人が立ち上がった。 「鏑屋様。朝早くお伺いしてすみませぬ。我が主が早急に鏑屋さんとお話をしたがっています。できれば今日、駆屋までご足労願えませんでしょうか?」 「それはまた急ですな。どういったご用件で?」  実一は使いに来たのが駆屋の大番頭だったのに驚いていた。こんな言伝(ことづて)一つに奉公人の頭を使う? それほどまでに、駆屋は重要な話だとしたいのか? 「それは、もちろん鷹花のことです。我が家の職人、鷹花が大湖首様に無礼を働いたことを、駆屋として正式に謝罪させていただきたく。  そして、その言葉が大湖首様にも伝わるようにお願いしたいのです」 「なるほど……わかりました。昼前にお伺いさせていただきます」  だが、伝えてくる相手が誰であろうと予想と変わりない言葉に、実一は笑って頷いた。 「それと、……このようなお願いをするのは、はなはなだ申し訳ないのですが、その際には御子息も御同行願えますか?」 「拓馬をですか? ええ、構いませんが」  拓馬を同行? 何故そんなことを申し出てくるのだろう? いや? まさか……。実一はある予測をしたが、自らのその考えが突飛なものだと笑いとばしはしなかった。  可能性はある。  ふむ。これは面白くなってきたな。実一は心の中でうっすら笑った。 「では、昼前にお待ちしております」 「ええ。確かにお伺いします」  駆屋の大番頭は一礼して、宿屋の暖簾を潜って帰っていった。
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