56.とある提案

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56.とある提案

「父様。何か……街の様子がおかしくありません?」  昼前。鏑屋親子は護衛を伴い駆屋に向かって歩いていた。だが、拓馬は周囲の様子がいつもと違っているのに気づいたようだ。そう、街の様子は昨日と同じようで、でも明らかにどこか変わっていた。大通り。道のそこここで、不安そうに眉を寄せた人々が話し合っている。 「昨日もまた侍斬りが出たらしい。また一人切られたようだと」 「侍斬り!? 十文字ですか?」 「ああ。そのようだな。和樹丸様もその対策に力を入れるそうだ」 「ちょうど数寿様がこの街に来られていてよかったですね。大湖首様直々のご指示なら、侍たちだって張り切るでしょう!」 「何を呑気に。大湖首様だとて侍なのだぞ? 万が一狙われる可能性がないともいえん以上、呑気に構えておくわけにもいかんだろう」 「夜中に出歩かなければいいだけでしょう?」 「そうやって軽く考えているからいかんというのだ。侍斬りの十文字は、昼日中に侍を切った試しもあるのだから」 「それは、そうかもしれませんけど……和樹丸様が辻斬りに会う可能性なんて実際ほとんどないでしょう?」 「まあ、そうだがな。配下としては可能性がないであろうことも考えておかなければな」  実一がそう言うと、拓馬は納得しかねるという顔になった。 「それよりも、駆屋さんでは、きちんと礼儀を守れよ」  実一は話を変える。それはちょうど、駆屋が見えてきたからだった。 「鏑屋実一殿。わざわざご足労奉り、ありがとうございます」  駆屋玄達はそう言って、深々と頭を下げた。上座に座った実一はゆったりと笑ってみせた。 「いえ、駆屋さんのお話なら興味深いことはわかっています。こちらから出向くぐらいは、手間でもありませんよ」 「そう言っていただければ」  玄達の顔には苦り切ったといったシワが刻まれていた。 「それで、お話とは?」 「鷹花と……我が娘のことです」 「娘御のお話が主でしょうかな?」  実一があえてそう言うと、玄達は深々とため息を吐いた。 「ええ、そうです。昨日(さくじつ)は娘が大湖首様に無礼を働いたようで、なんとお詫び申し上げればいいか。それで、その……大湖首様は娘を不快と思っておられないでしょうか?」  実一は心の中で苦笑した。実一の主人は鐘虎のことを不快に思うどころか、大いに面白がっていた。  鐘虎のような人物を、和樹丸は気に入りがちだった。  和樹丸は自分の言葉に安易に頷くだけの人材ではなく、自分の前で冷静に論を述べる人物を求めていた。鐘虎はその和樹丸のお眼鏡に適ったと言っていい。  鷹花が顔すら上げなかったのに、和樹丸は肩透かしを喰らっている。そのため、大湖首の前で怯えもせずに鷹花の代弁者となった鐘虎が余計面白く思えたのだろう。  全く。あの人は!  そう実一は思ったが、その和樹丸のありようが、東雲氏の活発さにつながっているのも認めていた。(あるじ)の言葉にただ頷くだけ、そういった人材だけでは一党はここまで大きくならず、ただ蘆野國の片隅で腐っていくだけだったはずだ。  だから、まあ。和樹丸が彩彩を面白がったのも、腹だたしいが理解できる。だが、それをこの父親に言う必要はあるまい。この先、駆屋が自分の思った通りの言葉を言うのなら尚更。 「いえ、鐘虎殿の振る舞いは、しっかりとした信念のもと行われたものでしょう。そのような言動に、不快を感じられるようなお方ではありませんよ、大湖首様は」 「彩彩です。鐘虎はあれが勝手に名乗っている名。鏑屋さんもその程度はご承知いただけていると思っていましたが」 「駆屋さんは、……鐘虎殿を後継に据えるつもりはないとおっしゃるか?」 「当然でしょう。あれは娘。今は訳のわからんことをしていますが、女に跡目は継げません。わたくしも気が狂っても継がす気はありません。もし万が一鐘虎を認めて娘の代で駆屋が潰れたら、先祖に申し訳が立たないですからな。  それで……」  玄達の言葉に実一はチリチリとした痛みを感じた。だが、それはいつものことで、だから無視することにして、実一は目の前の大店の主に話の続きを求めた。 「それで?」  玄達は言葉を発する前に、実一の隣に座る拓馬に視線を向けた。その視線の意味がわからないらしい拓馬が不思議そうな顔をする。 「ものは提案なのですが。鏑屋さんの御子息に我が娘を(めあわ)せていただけませんか?」 「……は?」  拓馬の目が点になり、確かめるように実一の方を向いた。その息子の視線を華麗に躱して、予想の当たった実一はにっこりと微笑む。  まあ、予想通りだったな。実一はそう思って、玄達になんと答えようか、今一度考えた。 「ええ。構いませんよ」  玄達の顔がさっと明るくなった。 「おお、そうですな。善は急げと言います。早速これから見合いの場を設けても?」 「はい、喜んで。そうだろう? 拓馬」 「と、父様? ……え……?!」  拓馬が混乱している間に玄達は女中を呼び、指示を出した。
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