58.見合いの席・前

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58.見合いの席・前

 その言葉に、彩彩の顔から表情が抜けた。それは、彼女にとってあまりにも突然の話だったからか? 実一はそんな娘の顔を意地悪く眺めていた。  玄達は、本気でこの縁談を持ってきたのも事実なのだろう。だが、一方で実一とこの話をすることで、和樹丸が本当に娘の行動に不快を感じていないか、それを確かめるのも大きい。  和樹丸が鐘虎に立腹していれば、その最側近である実一は縁談など断るだろう。  だが、実一はそんな駆屋の不安を宥めるために、拓馬の縁談話を受けたのではなかった。本当にただ鏑屋にもたらされる利益を考えたからだった。  だが、この娘が縁談話を受けて何を考えどう行動するか。それに微かな好奇心はあった。  そしてついでに実一は考えていた。  彩彩は駆屋の跡取りになりたいと考え、そう動いている。商家の運営や客の侍とのやりとり、そんなことには長けていると見た。青葱坊主の息子にとっていい見本なのではないか?  そして、彩彩は駆屋より大きな商家に手を伸ばせる時、どう行動するか、それを見たいのも嘘ではない。もし自分が彼女の立場に立ったら、自分はきっと……。だが、この娘は自分とは同じ選択肢を取らないだろう。いや取れないはずだった。  実一は彩彩に対しての『生ぬるい若造』と評価を変える気はなかった。その評価は彩彩の中途半端さからきている。彼女がそれをひっくり返せたら……いやその機会は彩彩には絶対に訪れない。そう実一は考えていた。 「み、見合いですか? ですが、拓馬殿と鐘虎とでは……」 「彩彩! 冗談はやめろと言っている」 「彩彩殿。息子ではお眼鏡に敵わないかね?」  さて、彩彩はどう出るか? とは言っても、父の命だ。そして見合いの相手は自分の家より大店、彩彩は頷くしかない。 「いえ……なにぶん急なお話だったものですから」  鐘虎の引き攣った表情は一瞬で消えた。まあ、合格だな。実一はそう思って朗らかに笑った。 「では、しばし息子の相手をお願いしても?」 「ええ。ご子息がこの鐘虎でよろしければ」  彩彩は鐘虎でいるのを止める気はないようだった。その二つをどう両立させるつもりなのか?  実一はその時、なぜかあの男のことを思い返していた。空に飛ばした感情がふと蘇る。  彩彩。いや、鐘虎も自分と同じ思いを持つことがあり得るのか。それとも、中途半端なままで人生を進めていくのか。その行動が誰を利して誰に痛みをもたらすのか。実一がそれを確かめたいと思ってしまったのはなぜなのだろう? 『はぁ』  二人きりで座敷に残されて、鐘虎と拓馬は同時に大きなため息を吐いた。 「見合いの話は父が言い出したことかな? 拓馬君」  だが、二人して黙っていても話は進まない。鐘虎は額に手をやって、チリチリとした頭痛を押し込めると言葉を継いだ。 「え、はい。そうです」  拓馬は頷く。というか、少年にはこの話の発端がさっぱり見えなかった。父が何を思って、男装の麗人、しかも想い人付き、との縁談をあっさり受け入れたのかさっぱりわからない。 「それはすまないね」  だが、鐘虎が苦笑した、のはいい。 「えっと……彩彩様は俺、じゃない(わたくし)との縁談を受ける気はないんですよね?」  それは少年にはわかりきったことだった。多分断るから口裏を合わせろとか、そういう提案が彩彩の口からは出ると思っていて……。 「さて……どうかな?」  だから、拓馬は彩彩が視線を逸らし、庭を見ながらそう呟いたことに驚いた。 「え?! だって鷹花のことはどうするんですか!? 恋人なんでしょう?!」  慌ててそう言い募る。だって、大湖首様と対峙するぐらい、その代弁者になるくらい、彩彩は刀匠に惚れていて? 「私たちは別に思いを通じさせる気もないしね。老人になった時、縁側で二人並んで茶を飲む友達ぐらいであればそれでいいんだよ」  鐘虎にとって自分がそれぐらいしか望んでいない、のは嘘だった。いや建前か? 本当はいつの時もそばにいる、一番近くにいるのが高光であって欲しかった。だが同時に。 「それに。鏑屋さんの屋号はそれはそれは魅力的だなぁと思ってね」  拓馬はその言葉を聞いてゾッとして、背筋が凍った。 「駆屋さんの屋号よりもですか?」 「それは当然ね。駆屋より鏑屋さんの屋号のほうが大きいじゃないか。蘆野國中で五商家しかない錦の鑑札を持っている」 「それはそうですけど」 「私が駆屋とのつながりを持って鏑屋に入れば、尺商としてとしてそにとり地方だけでなく、国中で尺商いができると見ればそれはそれは楽しい。そうじゃないかい?」 「それはそうですけど……でも、鷹花のことはどうするんですか」 「言ったろ。私たちはお互いとどうこうなる気はないんだ。ああ、拓馬殿が花嫁に愛人付きでもいいと言えば……色々別だけどね」  鐘虎は苦笑いを浮かべてみせた。  本当は、鐘虎としてはこの話を断るべきなのだろうと思っていた。だが、その思いは周りの大切な人の思いを汲んだからであって、彩彩が欲得ずくで考えればこれはいい話なのだろう。  鐘虎は拓馬をゆっくりと眺めた。  彼はいまだ少年だ。実一に彩彩の才覚を認めさせられれば、鏑屋の正式な跡取りは無理でも、裏にまわって鏑屋の権力を握れるかもしれない。  少年は咄嗟のことにどうしていいかもわからず戸惑っている。  鐘虎が彼の歳にはもう少し、自身の家・駆屋という商家のことを把握していた。それは、ただの少女の意地だったのかもしれないが、それでも自分に何ができるか考えようとしていた。  拓馬にはその意地がない。  もし、結婚してしまえば裏で操ることぐらい簡単にできそうだよな。  まあ、結婚しないけどね。  ふと、鐘虎は可笑しくなった。蘆野國最大の商家に手に入れらる機会がこの場に転がっている。それを自分は、蹴り飛ばそうとしている。それも、ただ単に恋人の感情を考えたからと言う理由だけで。……実一殿は、そんな私を評価はしないだろう。あのお人は本当に『男』だから。  自分の感情すら策略に使う、そんな性格をされている。  だから、鐘虎とは相容れない。それがわかっていても、息子の見合いの話に乗った。  ふむ? 鐘虎が鐘虎を辞めれば、少しは評価を変えると言いたいのかな?
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