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60.拓馬の策
「拓馬、和樹丸様に呼び出されたから、私は少し出てくる」
「はい! お気をつけて!!」
見合いがすんで、鏑屋親子は宿屋に戻っていた。宿に着くまで、いや着いてからも、見合いの手応えや感想を父が求めなかったのはなぜだと思いながらも、拓馬は少しホッとしていた。
最悪の見合いだった、とは言いたくなかったからだ。いや、相手が最悪とかそういうわけではないから、最悪とか軽々しくは言えないけれど。
でもやっぱり最悪だよ、父様!! やっと見つけたその理由は、大いに父が原因だった。
それを言うわけにはいかない。そして、父が出かけるならこれは最大の機会だ!!
拓馬は、実一が護衛を連れて港に向かうのを、宿屋の二階から眺めていた。父の姿が消えて、しばらく待つ。いや実際は待たなくてもよかったのだが、確実に父が港に行ったと判断してから、拓馬は階下に降りた。
「拓馬殿、どこぞにお出かけか?」
拓馬の期待を裏切って、実一は護衛の侍を残していた。その侍に声をかけられて、拓馬は一瞬、背筋を逆立てた。
「いえっ! ……少し散歩に行こうかと」
その一言でなんとか冷静さを取り戻す。
「ならば、供をします」
「いえ、すぐ戻りますから」
安心させるように笑って言ったのは、本気で嘘だった。その嘘は通じたらしい。
「そうですか? なら、お気をつけて」
見知った相手とはいえ、侍だもんな。商家の子供などの護衛など、断られれば付いてくる必要も感じない、か。拓馬は心底助かったと思った。
弧芽の街、宿屋が視界に入っている間、拓馬は特に目的もなくブラブラ歩いているように見せかけた。だが角を曲がり、宿屋から見えないと確信が持てると同時に駆け出す。
弧芽の街を抜け峠道を辿る。走って走って、一心に目指したのは烏谷だった。
「鷹花師匠!!」
昼飯を食べ高光は工房に行こうと、前庭を抜けたところだった。子供の声に坂の下を見る。真っ赤な顔をして、少年が坂を駆け上がってくるのを認めて、高光は顔を顰めた。
なぜ、奴一人でここに現れる?
「鏑屋の拓馬?」
その後ろを見るが、実一の姿はない。
「どうかしたのか?」
高光がそう言った時、拓馬は鍛冶師のところに辿り着いた。膝に手を当て、走ってきたため上がった息を整える。
「どうかしたのか?」
高光はそう言いながら、自分の家の方を見た。菜菜が玄関からひょっこり顔を出したところだった。
「水を持ってきてやれ」
高光は菜菜にそう声をかけた。びっくりした菜菜が一回引っ込んで、そうして、湯呑みを手に高光たちの方へ向かってくる。
「拓馬様? 一人で来たんですか? なんで?」
菜菜が水を差し出しながら、尋ねる。拓馬はその水を一気にあおり、ギッと高光を見上げた。
「鷹花師匠! 大湖首様の依頼を受けてください! そしてその褒美に、鐘虎お嬢様との結婚を認めて欲しいって言ってください!!」
一息に言う。
『は……?』
高光と菜菜の呆気に取られた声が重なった。
「大湖首様のご依頼を受ければ! 褒美ぐらいもらえるでしょ!? その褒美を鐘虎お嬢様が駆屋の跡取りになって、花花師匠と結婚する権利が欲しいって言ってくださいよ!!」
唖然として、高光と菜菜は顔を見合わせた。
「ちょっと待て。お前は何を言ってるんだ?」
「……今日、駆屋さんの、旦那さんが、俺と、彩彩お嬢様の見合いの話を持ってきたんです!
そうじゃない、見合いさせられたんです! 父様も乗り気で!! いいんですか!? 鷹花師匠! 彩彩お嬢様が俺と結婚しても!!」
拓馬がそう言うと、菜菜の顔から表情が抜けた。高光は顔を顰め、少し考えると空を見た。
「それは、鐘虎が決めることだ。俺の口出しできることじゃない」
今度は拓馬の顔から表情が抜ける番だった。
「何言ってるんですか! 鷹花師匠が大湖首様に褒美が欲しいって言うだけで! 全部解決するんですよ!? 鐘虎お嬢様と花花師匠なら結婚できて! 跡取りの心配もしなくてよくて!! 鐘虎お嬢様は駆屋を継げて!!」
言い募る子供に高光はもう一度顔を顰めた。
「鏑屋と駆屋が手を結ぶってことだろう? その見合いの真の意味は。お前がそれを蹴られるのか? そこの代替え案はないんだろ?」
拓馬が胸を張る。
「ありますよ! 鐘虎お嬢様と花花師匠が結婚した後に、俺と菜菜が結婚すればいいんです!
花花師匠が鐘虎お嬢様と結婚したら、菜菜だって駆屋に養子に入れるでしょう? それなら、駆屋と鏑屋の手も組めるし!! 誰にとっても無理のないいい案じゃないですか!!」
高光は菜菜の表情を見た。あまりのことに養女は感情がついていってはいないようだった。
このクソ餓鬼が! 高光は拳を握り締め……。
「痛っ!!」
思いっきり、拓馬の脳天に振り下ろした。
「そういうことはどさくさに紛れて言うもんじゃない! 大体、人の結婚のお膳立てを勝手にするな!!」
「じゃあ! 他に何かいい案があるって言うんですか!? 俺は嫌ですよ!! 鐘虎お嬢様と結婚するのは!! いつか暗殺してくる相手となんか、結婚できません!!」
「変なことを言うな! あいつが人を暗殺するような性格か!!」
「でも、鐘虎お嬢様は、大店を運営する権利が欲しいんでしょ! 夫なんかその邪魔だって」
拓馬の顔にはゾッとしないという表情が浮かんでいた。自分の言ったことがその未来につながると本気で思い込んでいるらしかった。
高光は、数日前に言った『彩彩が拓馬の相手になる』との言葉を後悔していた。言ったことは実現するとはいうが……鐘虎は鏑屋が手に入るならそうしたいと言い出すかもしれない。そう思って息を吐いた。自分たちの間の感情は明確な形にはしていないのだから。
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