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 生理のときは、だいたい悪夢を見る。  子宮があなたの本心を訴えているのよ!  なんていう、トンデモ科学的な理由ではなく、単純に、勉強机に向かってうとうとするせいだった。シーツやマットレスを汚すのが恐くて、ベッドに横たわることができないのである。  ハッと目を覚ますと、まだ夜中の三時だった。起きるのは七時だから、あと四時間。  菜月は眠い目を擦り、下腹部にずしんとくる重い痛みに、顔を顰めた。  実際に確かめたわけではないけれど、たぶん、自分はクラスの中でも生理痛が重い方なのだと思う。顔色が悪いと指摘されることも多いし、体育の授業なんかは、だいたい見学になる。無理に参加したところで、先生に見咎められる。  三日目までがピークで、四日目からは量も少なくなるから、それまでの辛抱だ。明後日の夜は、ベッドに寝られるだろう。念のため、バスタオルを敷いて。  そろそろと歩いて、トイレに向かう。  狭い個室の中には、買い置きのロールがいくつかと、掃除用具。オブジェであるといわんばかりに、堂々とスプレーボトルが窓際に出しっぱなしになっている。  菜月は、友達の家に遊びに行ったときに借りたトイレを思い出した。  トイレはパーソナルで、家の中でもっともプライベートな空間だが、寝室や風呂と違い、他人も使う特殊な場所だ。  自分の家とのあまりの違いに、驚いた。  まず目に入ったのは、カーテンがついた三段のカラーボックスだった。  一番上には、パッケージから取り出したトイレットペーパーが、カゴに入れられていた。ご丁寧に、布がかけられていて、埃が被らないようにしてある。  一番下には、掃除用具。これもまた、カゴに入っている。直に入れない理由を考えたけれど、そもそも出しっぱなしの生活に慣れている菜月には、思い浮かばなかった。洗剤は、わざわざ別のオシャレなスプレーボトルに入れ替えられている。  そして二番目の棚には、生理用のナプキンが何種類もあった。  衝撃を受けた。  友人の家は、本人と母、それから姉がいた。女三人、生理の日が被ることもあるだろう。昼用・夜用があることも、いろいろな会社が独自のブランドを持っていることも、ドラッグストアの売り場で立ち尽くしたことは何度もあるから、知っている。  だけど、それらを家族みんなで共有するのではなく、自分の好みに応じて買い分けている一家がいるのだということが、目の前の棚の様子から推測できて、驚いたのだ。  菜月はパンツを下ろして、便座に座った。  保健室でもらったナプキンは、学校では使わない。寝る前にパンツに装着し、その上にトイレットペーパーを何重にも巻き取って、重ねる。腹痛と無理な体勢が祟って目が覚める度、トイレで紙の方だけ変える。  朝になるとナプキンに血が含まれているのだが、家のトイレにゴミ箱がないから、学校へ行って、剥がして捨てる。  洗濯は菜月の仕事だから、パンツやパジャマが汚れていても、父にバレずにこっそりと洗うことはできるが、それでも気持ちのいいものではない。  三時の定時観測では、特に漏れている箇所もなくホッと息をついて、水を流した。  ついでにリビングの灯りをつけて、棚の目立つところに置いてある薬箱の中を漁った。  学校の友人に言うと、「珍しいね」「おばあちゃんの家ではやってた」と言われるのだが、菜月の家の薬箱は、製薬会社のスタッフが定期的に通って中身を点検し、使った分だけ料金を支払うという、由緒正しい昔ながらの置き薬だ。  自分であれこれと買いそろえる必要がなく、設置費用は無料で、無駄が出ない。父ひとり子ひとりの家庭だから、父親はとにかく、常備薬は多ければ多いほどいいと思っている。  確かに、こうやって痛み止めを服用するのにお小遣いを気にしなくていいのは、助かる。  ナプキンも設置してくれたらいいのに。  ちら、と思って、打ち消した。馬鹿な話だ。  グラス一杯の水で薬を飲んでも、すぐによくなることはない。  腹を抱えてうずくまっているうちに、きっと自分は眠りに落ちるだろう。五時ごろにまた目が覚めたときに、効いてくれていればいい。  自分の部屋に戻る前に、菜月は父の寝室の前を通った。  夜中や明け方、何度も目を覚ましてトイレに籠もる娘に、父は一切気がつかない。翌朝顔を合わせたときに、「何度もトイレに下りてきてたみたいだけど、大丈夫か?」と、尋ねてくれたことは、一度もない。  しばらくぼんやりと扉を眺めても、中にいるはずの父のいびきすら聞こえてこない。しっかり防音されている。  体内から血が出ていく感触にハッとして、再びトイレに舞い戻る。ナプキンを取り替えたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。  あの日、友達の家のナプキンの買い置きから、ひとつふたつ抜き取ってもバレなかっただろう。 甲をつねって手を伸ばすのを我慢したことを思い出し、菜月はトイレットペーパーをさらに厳重に巻いて、股間に食い込ませるようにあて、個室からようやく出た。
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