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 初めて目にした経血は、「血」というほど赤くはなかったことを覚えている。  茶色くて、最初、この年になって漏らしたのかと青くなった。  朝起きて、なんとなく下腹部に痛みというか、違和感があった。昨日飲んだ牛乳、賞味期限を確認しなかったけれどまさか……と、トイレに行って、冷静になって、ようやく理解した。  クラスではすでに何人かが初潮を迎えていて、女子だけのかたまりで喋るときに、ウキウキを隠せない大人びた顔で、腹を押さえている子がいた。  気のつく子が心配して、声をかけて、「実はぁ……」と、こそこそ打ち明けるのが、何やらステイタスっぽかった。  これが生理。そして生理痛。  指を間違って切ったときの血に対しては、そんなことを思わないのに、自分の身体の中から、傷口を伴わずに大量に流れた血は、なんだか気持ち悪かった。  まじまじと見ていたくないのに、視線を逸らすことができない。突きつけられた現実に、頭がクラクラした。  トイレの中でぼーっとしていると、「いってきます!」という大声とともに、扉が開閉した音がした。  そういえば昨日、父が「明日の朝は早いから、自分で支度して学校に行くこと」と、言っていたのを思い出した。  誰も頼ることができない。トイレの中には、何もない。 「お母さん……」  母を呼んだのは、久しぶりだった。闘病していた母は、三年生のときに死んだ。以降、父は菜月のことをひとりで育ててくれている。そのことについては感謝しているし、時折不満は噴出するものの、おおむねうまくいっている。  そう、今日、今この瞬間までは。  形見以外は、死後すべて、処分されていた。生理用品は消耗品で、衛生用品。真っ先に捨てられている。  母親のいる家庭だったのなら、姉のいる家庭だったのなら、初めての月経にも、対処できただろう。ナプキンは常備してあるのが当然で、報告をすれば、きちんと付け方から教えてくれたに違いない。  学校では男子の目が気になって(大昔は、男女別だったそうだ。学校って、たまに余計なことをする)、まともに扱うことができなかったから、今目の前にナプキンがあったとしても、ちゃんと装着できる自信はなかった。  仕方なく、トイレットペーパーをぐるぐる巻いて、パンツに当てた。新しい下着を箪笥から出して、ちょっと悩んで、汚れたものは部屋のゴミ箱に捨てた。上から、適当にティッシュを重ねて隠した。  そうこうしているうちに、八時だ。そろそろ家を出ないと間に合わない。  慌てて着替えて、ランドセルを背負って玄関を飛び出す。その瞬間、どろりと何かが出て、広がっていく感覚。  立ち止まって、思わず股間を押さえた。  トイレットペーパーは分厚く畳んだけれど、どれだけ吸ってくれるものか。経験のない菜月には、まるで見当もつかない。  とにかく、早くどうにかしなければならない。  悩んだ末に、コンビニに寄った。 「いらっしゃいませー」  出勤前の大人たちが、コーヒーやガム、タバコを注文して、適度に混み合っているため、菜月が入店したタイミングでは、その存在に気づかれない。  けれど、やっぱりどうしたって、小学生が登校前にコンビニできょろきょろしているのは、目立ってしまう。  朝のこの時間帯は、夜勤の若者から早朝勤務のおばさんと交代するタイミングでもあった。 「あれー。菜月ちゃん? どうしたの? なんか探し物?」  家も近所で、幼稚園、小学校とずっと同じであるクラスメイトの母だ。菜月の母が病気で死んだときも、通夜や葬儀の手伝いを、率先して買って出てくれた。いい意味でお節介で世話好きなおばさん。  菜月は、ぐっと唇を噛みしめた。  おばさんになら。  一瞬、そう思った。けれど、やっぱりダメだった。これがもしも、女の子の友達の母親だったのなら、打ち明けていたかもしれない。初めての生理に不安になる気持ちも、母親がいなくてフォローが行き届かない可能性についても、理解してくれるだろう。  でも、男子の母親というだけで、できなかった。おばさんの息子は、取り立てて目立つことなく、女子をからかって楽しむ趣味の悪い人間ではない。きわめて善良な小学生男子だったが、それでも、何かの拍子で自分の話を聞き、初潮を迎えたことを知られてしまう可能性は、ゼロじゃない。  菜月は、にっこりと笑った。ナプキンを購入するのは、諦めた。  学校ではどのサイズを買うべきか習わなかったし、買ったところで、ランドセルの中に隠しておける自信はなかった。  パッケージはどれもそこそこ大きく、小学生の荷物は、ただでさえ多い。 「ううん。なんでもないです。行ってきます」  何も買わずに、コンビニを出た。小学校までの道のりは、子どもの足で十五分。  教室に鞄を置いたら、すぐにトイレでトイレットペーパーを取り替えよう。  菜月は足早に、体内から血が出るのを感知する度に立ち止まりつつ、学校へと急いだ。
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